メモ:29章

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29章 人生の一大イベント

An Epoch in Anne's Life
Charles Dickens : "The Pickwick Papers"(1837), 12章のタイトルにとても似ている表現がある [アンの本棚,2000年6月号, p.81, (2000)] [Proj.Gutenberg]
Descriptive of a very important proceeding on the part of Mr. Pickwick; no less an Epoch in his Life, than in this History
12章は、Mr. PickwickがMr. Samuel Wellerを雇おうとして下宿のおかみさんの Mrs. Bardellに相談したら、プロポーズしたと勘違いされた話なので、 AGG 29章の文脈にはうまく関連づけられなかった。
この他に、 Ralph Waldo Emerson(1803-1882), "Essays", Spiritual Laws, (1841)では次の表現がある [OED] [Emerson's Wrtings]
The epochs of our life are not in the visible facts...(中略)... but in a silent thought by the wayside as we walk;
人生の時代は、目に見える出来事で区切られるのではない...(中略)... そうではなく逍遥しながら路傍でふと考え込んだ思いによって区切られる。
LMMはEmersonの"Essays"も読んでいる [日記(E)1,p.75, Jan. 10, 1892] 。意味的には、派手な街の生活と地味な田舎の生活を対比させて考え込んだアンに合っている。 AIs 14章の、ルビーの家から月明かりに照らされて静かに考えながら帰るアンも、 このモチーフそのまま。 表面に見えない変化が心の底で生じ、人生の転機となったわけである。
all the gaps and clearings in the woods were brimmed up with ruby sunset light. ... the spaces under the firs were filled with a clear violet dusk like airy wine.
AGGの朝陽・夕陽の表現には酒の比喩(注ぎ込まれる酒、それを受ける杯)が多い。 夕陽の光があちこちに散らばる場合は、液体のようにはじける・はねる(splash)と表現される。
MARMION
Sir Walter Scottの作 [リーダーズ+] 。平和なアヴォンリーでのんびりした牛の歩みと一緒に、 血湧き肉躍る戦争詩を思い描いているので、食い違いが甚だしい。
The stubborn spearsmen still made good...
Walter Scott, "Marmion", VI. xxxiv [Annotated AGG,p.303] [完全版,p.564] [松本訳2,p.515][Use of Quot. & Allusion,p.19] ではVI. xxixとあるが、VI.xxxivの誤り。
that heroic ring
[Marmion,p.188, VI. xxxiv]
Though billmen ply the ghastly blow,
 Unbroken was the ring;
The stubborn spearmen still made good
Their dark impenetrable wood,
の固まって戦う戦士達のこと。
When she opened them again it was to behold Diana coming
突撃してくる戦士ならぬダイアナが駆けてきて、現実の世界に呼び戻された。 ダイアナはアンの夢の世界と現実を繋ぐキー・パースン/ゲートウェイである。 マリラはアンを夢の世界から無理やり連れ出すので、 ただ居るだけで世界の門が開くダイアナとは位置づけが異なる。
But betray too eager curiosity she would not.
先を読んだ戦略的な対応をするようになってきた、ということ?
Marilla bought a lovely piece of blue broadcloth
blue broadclothに何か意味がありそうに思うが、良くわからない。 "cut one's coat according to one's cloth"には、身の丈に応じた生活をする意味 [リーダーズ+] があるが、これと関係しているのだろうか?
It was quite a fine old mansion, set back from the street in a seclusion of green elms and branching beeches.
大きな屋敷だから当然かもしれないが、道から離れて建っている。 グリーン・ゲイブルズと同様に、通り(社会)から距離をおいた孤独な家である。 ミス・バリーの出迎える様子も、マリラがアンを待ち受ける様子もそっくりと言って良い。 アンは、街の生活と田舎の生活、裕福なミス・バリーと貧乏なマリラとマシューを、 今度の旅ではっきり比較できたことだろう。 世の中では自分が小さな存在だという視点もアンが初めて感じたこと。 今回の旅の最大の成果は、自分にふさわしい(と感じる)場所や価値を認識できたことであり、 結局アン・シャーリーとは何者なのかを真剣に考える契機になった。 背丈だけが伸びるのでなく、精神も成長していく。 アンの子供時代の終わりを告げる章にふさわしい内容である。
You're taller than I am
アンが大きくなったのと、ミス・バリーが小柄なことと両方の意味だろう。
Mr. Harmon Andrews took second prize for Gravenstein apples
gravenは「彫った」、steinは「石」。 これも15章と同様に、 [出エジプト記,31:18] にある、モーセが神から授かった十戒を刻んだ2枚の石板ではないか? prizeには授かったものの意味があるし、secondは2枚を暗示しているのか? もしsecondが十戒の2番目「偶像崇拝すべからず」を意味するとすれば、 ハーモンでなくベル氏の方が適当(日曜学校の校長先生が豚に御執心)だろう。 applesの意味は不明。重要なもの、くらいの意味か? Harmon は調停者の役なので、何かの調停を意味しているのだろうか?
Mr. Bell took first prize for a pig
グラーヴェンスタイン・リンゴに引き続く文なので、 first prizeは同じくモーゼの十戒の一番目、 [出エジプト記,020:003]
Thou shalt have no other gods before me.
わたしの他に神があってはならない。
だと思う。ダイアナの台詞は、 職分である日曜学校以外の養豚に御執心なベル氏を皮肉っているとも読める。
So you see that virtue was its own reward.
John Home, "Douglas", II.i [Annotated AGG,p.309][Use of Quot. & Allusion,p.19] では"Douglas", III.i 。どちらが正しいか分からなかった。
but to my surprise I found it true.
AA, 12章のマリラのように、ミス・バリーは食事でアンの気分を直してしまう。 ミス・バリーとマリラがアンに対して役割が似ている傍証。
I wasn't born for city life and that I was glad of it
エミリーもLMMも、この点では同じ。
Miss Barry generally laughed at anything I said
ダイアナも(しゃべる前に)クスクス笑う癖がある(12章)。 "Diana always laughed before she spoke." バリー家の特徴なのか?ジョージ・バリーも冗談好きな陽気な人のようなので(AIs, 11章)、 ミス・バリーはダイアナの父方の叔母さんなのだろうと思う。
I don't think I liked it, Marilla, because I wasn't trying to be funny.
26章の物語倶楽部で笑われた時は、まだ不思議に思っているだけだったが、 ミス・バリーの振るまいが気になるようになってきた。少し大人になったってこと?
I've enjoyed every minute of the time
5章に"I enjoyed every moment of that day"という表現がある。 LMMはこの言い方が好きだったのかもしれない。
Anne, throwing her arms impulsively about the old woman's neck and kissing her wrinkled cheek
マリラに対するのと同じで、突然予想もしない愛情表現をされて、 ミス・バリーはびっくりしながらも、嬉しかっただろう。
[Diana] felt rather aghast at Anne's freedom
アヴォンリーのたいがいの人にとって、アンは異質なほど自由であり、 目に見えない規則に捕らわれない行動をする。 この点ではLMMにとってもアンは異質な子供である。 なろうとしてなれなかった自分なのだろうか。
Miss Barry was a rather selfish old lady, if the truth must be told...
ごくたまにしかでてこないが、LMMのかみそりのような人物観察の視点である。
If I'd a child like Anne
先の"Mercy, child, how you have grown!"と同じく、 ミス・バリーからすると、大きくなったアンもまだ小さな子供に見えるのだろう。
the Avonlea hills came out
アヴォンリーは丘が多い。朝もやが溜まりやすいのも、この地形のせいである。 馬車に揺られて丘を登ったり降りたり。 先が見えにくいので、急に風景が開ける意外性が生じるのだろう。
Behind them the moon was rising out of the sea
themはアヴォンリーでなく一行のことだろうか。 ホワイト・サンズ(Rustico)から海沿いに西に進んでいるので、前方は西、 アヴォンリーがあり、日が沈む方向。月が登るのは後ろ。
the kitchen light of Green Gables winked her a friendly welcome back
グリーン・ゲイブルズの窓ごしの明りや窓の反射は、 そこに住む人達に楽しい我が家を思い起こさせる。 例えば、10章末のアン、27章冒頭のマリラ。
through the open door shone the hearth fire
帰ってくるアンを出迎えるために、マリラが開け放しておいたのだろう。
So you've got back?
確信はないが、ミス・バリーの出迎えの台詞"So you've come to see me at last" と対応しているように思える。ミス・ジョセフィン・バリーは街のマリラなのかもしれない。
it's so good to be back
AGGそのものを要約している文の一つ。 不完全な世界の中に幸せな家族/我が家を作りあげていくこのイメージが、 昭和時代を通してAGGの人気が高かった秘密なんだろうか。 信頼できる家族や、安らげる場所、気の合う友人、楽しい日常生活、希望に溢れた未来は、 ゼロからのやり直しだった戦後の復興期にも、前に進むだけだった高度成長期にも、 バブルを頂点に自信や方向性を失った現在の日本にも、要求され続けるものなのかもしれない。 だが、AGGの古典的な生活観/家族観がそのまま修正/再解釈無しで、 今後とも受け入れられ続けるのだろうか?
I could kiss everything, even to the clock.
ことさらに時計を強調したのは、13章冒頭部などのように、 時計はアンの行動を縛るものなので、普段は好きではないからだろう。
it marks an epoch in my life
章のタイトルはこれから取られている。
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osawa
更新日: 2002/12/07