メモ:30章

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30章 クイーン組、設立される

Anne was curled up Turk-fashion on the hearthrug
ストーブでなく暖炉の前であるが、LMMが子供のころ親戚の昔話を良く聞くことがあった。 そういう昔話がとても好きだったようである。 [Alpine Path,p.12]
The romance of them was in my blood;
joyous glow where the sunshine of a hundred summers was being distilled from the maple cordwood
スコッチ・ウイスキーのように、夏の太陽の光が蒸留される。ここでも酒の比喩。 蒸留された100もの夏の太陽の輝きという表現で、レイ・ブラッドベリを思い出してしまう。
LMMの自然/状況描写は、ある物の今の姿を直喩/隠喩で表現することが多いと思うが、 この表現では昔の太陽という過去の時間が含まれるので、LMMの他の表現の中では異質な感じがする。 ただ、そういうのが無いわけではない。例えば、 前の年に消え去った花の魂であるジューン・ベル AGG(J):9章 、去年の夏に死んだ花の魂であるメイフラワー AGG(J):20章 、 過去の思い出のバラの園 AIs(J):11章 等。
時間を含んだ描写が少ないのは、アンが(LMMも?)現在を生きているからだろう。 将来の希望はあってもこれまでは不明確で曖昧なものだったし、過去にこだわる性格でもない。
Glittering castles in Spain
Jean de Meun, "Roman de la Rose", trans. Goeffrey Chaucer [Annotated AGG,p.313]
スペインの城関連では、 [日記(E)2,p.39, Jan. 27, 1911] に、1章のロンバルディー・ポプラは(夢の)スペインの城の地所から移植したとある。
Those[Lombardies] were tarnsplanted from the estates of my castle of Spain.
同様に、 [Alpine Path,p.73] では、
But the "White Way of Delight," "Willowmere," and "Violet Vale" were transplanted from the estate of my castles in Spain.
とあるが、日記ではもっと現実的な表現になっていて、 castles in Spainとimaginationを同じ意味に使っているのがわかる。 [日記(E)2,p.40, Jan. 27, 1911]
The White Way of Delight is practically pure imagination.
[日記(E)2,p.42, Jan. 27, 1911]
Willowmere and Violet Vale were compact of imagination.
LMMもスペインの城を持っていたのである。
a tenderness that would never have been suffered to reveal itself in any clearer light
光( light )は隠された心の中を明らかにしてしまう。
The lesson of a love ... was one Marilla could never learn.
普段の立場と逆に、マリラがアンに教えられている。 この点ではマリラはアンの苦手の幾何以上に、ほとんど進歩が見られない落第生である。 Anne を参照。
she had learned to love this slim, gray-eyed girl
6章のマシューの台詞"if you only get her to love you."に対応して、 当初の予定であるアンがマリラを愛するようにでなく、マリラがアンを愛するようになる。 ここで再度明確にアンに対するマリラの愛を述べたのは、この章から先はアンとマリラの関係でなく、 アンが大人になっていく過程を描いていく準備だろう。 先に進む(大人になる)ための基盤であるマリラとマシューの愛情が揺らいでいると、 話の進行がうまく成り立たないから。
She had an uneasy feeling that it was rather sinful to set one's heart so intensely on any human creature as she had set hers on Anne
マリラにすれば、アンに対する愛と神に対する愛は完全に拮抗している。 アンと暮らすことで生活に張りがでて幸福になれる反面、宗教上の不安感を抱えることになる。 レイチェルやアラン夫人では考えられない状況だが、幸福感と不安感が背中合わせになっていることも、 真摯で一途なマリラの特異な魅力になっていると思う。
"Anne," said Marilla abruptly
マリラが、アンを可愛く思う自分を忘れるために、突然ステイシー先生の話をしたのか?
marry some wild, dashing, wicked young man
街の生活にあこがれるダイアナとしては、こういうタイプが好み?
so I spread the history open on my desk lid and then tucked Ben Hur between the desk and my knee.
[Annotated AGG,p.317] では [日記(E)1,p.253, Oct. 7, 1900]
I read it all behind my desk in that delightful, roomy, old "back seat" which was so splendidly convenient for such doings. No doubt I should have been studying English History or geography at the time
を例に挙げているが、もっと前にも書いてある。
[日記(E)1,p.3, Oct. 24, 1889] と比較。
Nate brought me "Undine" to-day and I read it under the lid of my desk while Miss Gordon thought I was studying history.
仲の良かった友達から借りたこと、机の蓋の陰に隠れて読んだこと、歴史の時間だったことまで同じ。 こちらの方が書かれた時期が早い分、記憶が確かなのではないか? 1889年の日記ではgeographyのことは触れられていない。
And I never read ANY book now unless either Miss Stacy or Mrs. Allan thinks it is a proper book for a girl
バリー夫人の許可範囲内で行動するダイアナに似ていなくもない。 アンの場合は、許可範囲の適切さを協議の上で(?)納得しているところが違うのだが。
but it was AGONIZING to give back that book without knowing how it turned out.
アンは本を読むとき話の結末を知らないうちはやめられないらしい。 これはLMMも同じで、一旦読み始めたら最後まで読み切ってしまうタイプ。 牧師夫人だったLMMはそれほど自分の時間に余裕があったわけがないので、 本を読むスピードはかなり速かったのだろう。
It's really wonderful, Marilla, what you can do when you're truly anxious to please a certain person.
wonderful が使われているので、アンには重要な意味がある行動である。 誰か好きな人に喜んで欲しいのは、自分を認めて欲しい気持ちと表裏一体。
You're more interested in the sound of your own tongue than in anything else.
こういう皮肉はフィリップス先生の言い方に似ているので、アンは嫌っているはず。 マリラの場合は悪意がないし、アンは自分に非がある事が分かっているから許容範囲内か?
似たような言い方に、こういうのがある。
Shakespeare, Romeo and Jiliet, act 2, scine 4
ROMEO : A gentleman, nurse, that loves to hear himself talk, and will speak more in a minute than he will stand to in a month.
ロミオ:あの男はね、乳母さん、自分のおしゃべりを聞くのが趣味なんでね。 ひと月かけてしゃべるところを一分で済まそうとするのさ。
but nobody knows what is going to happen in this uncertain world, and it's just as well to be prepared.
実際に銀行がつぶれてマシューが亡くなるという大変な事件があったので、 準備しておいて正解だった。
And I'll study as hard as I can and do my very best to be a credit to you.
少し前で既に"you'd give me some credit for it"を使っている。 LMMは完全に同じ表現は避けるが、少し似た言い回しが近接して現われることがある。
because I have a purpose in life.
かつてのアンは何処かに居場所を作るのが主目的だったが、 今のアンはグリーン・ゲイブルズに足場ができたので、さらに先へとすすむ目標が欲しかったのだろう。 他者に対して誇れる目標なのでなおさら嬉しかった。
I think it's a very noble profession.
アンの両親も教師だった。
Ruby says she will only teach for two years after she gets through, and then she intends to be married. Jane says she will devote her whole life to teaching, and never, never marry... Josie Pye says she is just going to college for education's sake... Charlie Sloane says he's going to go into politics and be a member of Parliament
ルビーは結婚することはできなかったし、ジェーンは結婚してしまった。 ジョージーは大学に行けなかった。チャーリーはどうなったんだっけ? 夢が叶ったのはアンとムーディー・スパージョンだけ?
Mrs. Lynde says he couldn't be anything else with a name like that to live up to.
Moody Spurgeon MacPherson を参照。後にムーディー・スパージョンは本当に牧師になる。 彼なりに頑張ったわけである。 アンからみて、クラスの中では一番予想外の進歩をした子だろう。
his little blue eyes
blue-eyedで世間知らずの意味がある [リーダーズ+] 。あまりナイーブで牧師向きではない感じがするということか。 [Sullivan Entertainment] の映画では、ムーディーらしき男の子は笑うと目がなくなるくらい目が細かったと思う。
He was a foeman worthy of her steel.
Walter Scott, "The Lady of the Lake", Canto V. stanza 10 [Use of Quot. & Allusion,p.19] [Annotated AGG,p.321][Representative Poetry] の"The Lady of the Lake"の抜粋によると、 Sir Roderick(敵役)がFitz-James(主人公)を評して
Sir Roderick mark'd--and in his eyes
Respect was mingled with surprise,
And the stern joy which warriors feel
In foemen worthy of their steel.
ロデリック卿は目を見張った -- その目には
尊敬の念が驚きと入り混じり、
武士ならば感ずる苛烈な満足感がみなぎった、
剣を交える敵として不足はない。
と言っているので、アンはロデリック卿の立場。 だがこの直後にロデリックは一騎打ちの末、フィッツ・ジェイムズに倒されてしまうので、 ここでは単にギルバートがアンの良きライバルであり、正々堂々の一騎打ち (ロデリックは一騎打ちの時、近くに隠れている手下達に手を出させなかった)をする意味。 勝負では負けたが、単独で敵陣を歩き回るフィッツ・ジェイムズに対してロデリックの方が余裕があって、 どこからでもかかって来いという迎え撃つ立場である。 もっともアンにそこまで余裕があったかどうかわ分からないが。
That day by the pond had witnessed its last spasmodic flicker.
15章、"Mr. Phillips was seized with one of his spasmodic fits of reform" と比較。 AGG内で突発的に何かするのは、実はフィリップス先生とアンだけ。 この二人、実はどこか共通する部分があるのではないか?だからかえって互いに批判的になるのでは? AA(J):12章 を参照。
she snubbed Charlie Sloane, unmercifully, continually, and undeservedly.
考えてみると、アンに関係して一番割に合わなかったのはチャーリーだろう。 今度も結局知らない間にライバルのギルバートのとばっちりが回ってきたのだから。 大学に行ってもアンを慕い続けるのは、ギルバートもチャーリーも同じなのだが。
there were lessons to be learned and honor to be won
何かが身についていくこと、誇りをかけて戦うことがアンには楽しかった。 それがたまたま学校の勉強だったということ。もしアンにエミリーのような文才があれば、 学校の勉強はほどほどにして、物語を書きまくっていたかもしれない。 勉強は周りの人に自分の価値を認めさせる手段でもあった。
blanket box
blanket chestという毛布・寝具・衣類をしまう蓋付きの家具がある [リーダーズ+] 。これの事か?衣類をしまうのだから、季節が変わるまで開けないのだろうか。
I just feel tired of everything sensible and I'm going to let my imagination run riot for the summer.
sensibleは何度も出てきているが、imaginationの対局にあることが分かる。
They have dinner there in the evening, you know.
dinner問題はこれで解決。アヴォンリー等村の生活では昼がディナー、 ホテル(や上流階級)では夜がディナー。
Jane says it was her first glimpse into high life and she'll never forget it to her dying day.
これに影響されての事かわからないが、後にジェーンはお金持ちと結婚して、 自らが上流階級に属するようになる。
Come and lay off your things
6章のスペンサー家の場面でも16章のダイアナも、帽子を渡している。 25章冒頭部では、帰るときに女の子達は帽子(cap)とジャケットを身に付けている。 確か [Sullivan Entertainment] の映画では、16章相当部で帽子と日傘を渡した? ということで、thingsは帽子や上着その他の類い。
seeing you're so pressing, perhaps I might as well, stay
25章のマシューの台詞"Well now, since you suggest it, I might as well -- take -- that is -- look at -- buy some -- some hayseed." も同じ。マシューは店員が「他に何か」と言うタイミングを見計らって、勇気を搾り出したのである。
Anne has turned out a real smart girl
10章のレイチェルの台詞"She may turn out all right."に対応。
admitted Mrs. Rachel, as Marilla accompanied her to the end of the lane at sunset.
1章末のレイチェルと同様に、グリーン・ゲイブルズの野バラの小径は告解のための場所である。
I never would have thought she'd have turned out so well that first day I was here three years ago
30章はレイチェルが話をしめくくる1章と対の構造になっている。 アンはすっかり頼もしくなり、レイチェルもうなるほどの家事の腕前を身に付けた。 まだ子供の要素を多分に残していながら、社会に溶け込みその中で生きる技術身に付けつつある。 アヴォンリーに来た当時のアンは陰をひそめ、 急激に大人びていくアンがマリラとレイチェルの前に姿を現してきた。 アンは今、子供と大人のちょうど中間点にいる。30章はアンの大人時代の始まりの章である。
Lawful heart, shall I ever forget that tantrum of hers!
レイチェルはアンの癇癪を忘れない。非常に印象的だったからであるが、 あれこそアンの本質であり、終生変わらないものと見抜いたからだと思う。あの癇癪を見ているから、 余計に今のアンが生まれ変わったように素晴らしく見えて賞賛するのだが、 その底の方にちゃんと昔のアンがいるのが分かっている。 AA(J):12章 末でレイチェルが嬉しそうだったのは、そういうことじゃないだろうか。
There was no ciphering her out by the rules that worked with other children.
25章のレイチェルの台詞 "But them as never have think it's all as plain and easy as Rule of Three" とは逆に、レイチェル自身もそれなりの規則を利用していることが分かる。 要は子供を育てたりする一般則が存在するかどうかではなく、 その規則が妥当であるかどうかが重要という事なのだろう。
that pale, big-eyed style
アンがグリーン・ゲイブルズに来た当時は、痩せてはいるが日焼けしていたので、 ここ最近は外で遊ぶ機会が少なかったようである。不健康に色白な点は、31章で医者に注意される。
she makes them look kind of common and overdone
アンがlady-likeなのはこういうこと。
something like them white June lilies she calls narcissus
白も六月も百合も水仙も、アンを表すキーワードである。
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osawa
更新日: 2002/12/07