メモ:18章

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18章 アン、救助に向かう

Anne to the Rescue
聖書やシェークスピアにrescueが何度かでてくる。どれかに関係するのか? Shakespeare, King Henry VI, Part I, ACT IV, SCENE IIIのLucyのセリフに次がある [Works of Shakespeare]
Thou princely leader of our English strength,
Never so needful on the earth of France,
Spur to the rescue of the noble Talbot,
Who now is girdled with a waist of iron
And hemm'd about with grim destruction:
To Bourdeaux, warlike duke! to Bourdeaux, York!
Else, farewell Talbot, France, and England's honour.
勇んで救助に向かう雰囲気は同じだと思うが? 古今東西、誰かが誰かを救いに駆けつける話は多すぎて、直接の関連づけは難しい。
病を癒す意味では、例えば聖書の [マタイ伝,008:015-017, 009:030, 009:033, 012:013] など、イエスが病人を癒す記述は多い。変革者アンは何度もでてくるが、 癒しの人アンは今回限りで、出番は少ない。
rescueには奪い返すの意味もある [リーダーズ+] 。アンはミニー・メイを救助に行っただけでなく、閉じこめられたダイアナも奪い返しに行ったのである。
old-fashioned Waterloo stove
おそらく1860-1970年代に沿海州ではやったストーブとのこと [Annotated AGG,p.200][日記(E)1,p.267, Mar. 2, 1901] と比較。
the kitchen where we toasted our toes at the glowing old "Waterloo"
ワーテルロー(Waterloo, ウォ−タールー)の戦い(1815年)はイギリスのウェリントン将軍の大勝利、 ナポレオンには大敗北だったので、当時のロンドンではワーテルローの名が、 橋、道路、広場、建築物、船、看板、新製品等に付けられた [ナポレオン,p.234] そうである。古ぼけたウォ−タールー・ストーブは、この頃作られた物かもしれない。
A bright fire was glowing in the old-fashioned Waterloo stove
staveで粉々に打ち砕く [リーダーズ+] なので、バリー夫人とのワーテルロー(Waterloo)の闘いで打ち砕かれた(stove)、 古めかしい(old-fashioned)言葉遣いをしたアンの中では、 明るい情熱の/希望の火(bright fire)が燃え盛り(glowing)? ここも、この先も今一つまとまらない。この節はまとめと予告の意味はないのか?
blue-white frost crystals were shining on the windowpanes
blueは憂鬱、whiteは激しい、windowpaneがwind of painとすると、 鬱々と(blue)激しく(white)続く、結晶化した(crystals)バリー夫人の冷ややかな(frost)態度は、 苦悩の風に乗せて(on the wind of pain)止むことなく光続ける/目立っている(shining)? これも全然まとまらない。
霜が青っぽい白なのは、ガラスの向こうの闇空の色か、青っぽいガラスの色か?
Matthew nodded over a FARMERS' ADVOCATE
マシューはアンの世話人(farmer)であり擁護者(advocate)であることを承認(nodded)する? これもまとまらない。
FARMERS' ADVOCATEは、オンタリオ州のLondonで1866-1951年に出版された雑誌 [Annotated AGG,p.201][PEIの歴史p.113] によると、1873年までに島の1/3が借地農の所有になった、と書かれている。 アヴォンリー周辺はどっちだったんだろうか。 借地農が土地を買えるようになるのは1853年の土地売却法がきっかけだが、 カスバート家が島に入植したのは、AGG当時50歳のマリラが5-10才の時とすると、 [1885,1890]-50+[5,10]=[1840,1850]年頃だろう。 この頃はまだほとんどの土地を不在地主が握っていて、 カスバート家もリンド家も少なくとも入植当時は借地農だったと思われる。
プリンス・エドワード島が1873年に連邦に参加した時、 連邦政府は80万ドルの資金を土地問題解決に与える約束をし、 1875年には強制的土地買収法を可決、1895年までに州政府は不在地主の土地を全て買収して、 借地農のほとんどが自作農になった [PEIの歴史p.116] ので、AGG当時のカスバート家が自作農だったのは時期的にありうる話だし、 マシューが亡くなってからバリー氏に土地を貸していることから、 ほぼ間違いなく自作農になっていただろう。
1864年には借地農同盟結成、1865年にはシャーロットタウン横断行進 (地主に土地を適正価格で売らせるためのデモ行進だったらしい) [PEIの歴史p.114] があった。 Farmer's Advocate(農民の代弁者、18章でマシューが読んでいた雑誌)が創刊されたのは、 1865年のデモの翌年1866年なので、この雑誌が土地問題を取り上げていたのは十分ありうると思う。 マシューがFarmer's Advocateを読み保守党に投票するのは、 裏に土地所有権の話が絡んでいるのではないだろうか。
[カナダ史,p.123] によると、PEIは「北米のアイルランド」と呼ばれていたほど不在地主への抗議運動が多く、 問題になっていたとのこと。
Anne at the table studied her lessons with grim determination
アンはモーゼの十戒の石板(table)で、自分の失敗の教訓(her lessons)を断固とした決意で学んでいる? これもまとまらない。
Jane had assured her that it was warranted to produce any number of thrills, or words to that effect
アンの忠実な使徒であるジェーンは、アンの人生という本(の直ぐ先のページ)に、 (ダイアナの妹を救うという)スリルあるいは興奮が待ち受けていることを保証した?
have them all crazy about her;...I'd rather have just one in his right mind.
crazyとin his right mind(正気)が対応。
It's all very well to say resist temptation,
LMMは本好きだった [日記(E)1,p.235, Apr. 4, 1899]
Books have the same irresistble temptation for me that liquor has for its devotee.
And then shall I run down the cellar and get some russets
言ったそばからアンは誘惑に負けている(It's all very well to say resist temptation)。
[Matthew] knew Anne's weakness for them (russets).
russetはラテン語のrussus(red)から [リーダーズ+] 。文字通り、アンは赤いもの(髪)が弱点なのをマシューは知っていた? 赤い飲み物にも弱い。AGGではやっぱり赤がキーワードである。
Marilla, who gathered them up and thanked mercy the house hadn't been set on fire.
孤児が貰われた先の家に火をつけた(AGG 1章)と似た状況。 毒殺(ダイアナを酔わせ、毒入りケーキを作った)と同じで、結局アンは両方をほとんど実現してしまった。 アンが一人で持つ蝋燭の火は、マリラがアンを信頼する証しでもある。 信頼できないうちは、火事になるかもしれないからとマリラが最終チェックしているが、 後にはダイアナとのローソクによる通信にもちょっと小言を言う程度になった。
Minnie May is awful sick--she's got croup.
喉頭炎ではないがLMMは子供の時、腸チフス(typhoid)にかかって死にかけたことがある [Alpine Path,p.20]
カナダでなく英国の例だが、 喉頭炎(croup/diphtheria,ジフテリア)(特に子供)は、1856年から急激に増加して、 都市部より田舎の罹患率が高かったようである。 ジフテリアに似た喉の炎症を起こす猩紅熱(scarlet fever)は、 1863年の15歳以下の子供の死亡原因の4%をしめていた [Man Environment Deseasep.191]
猩紅熱は、ルイザ・メイ・オルコット「若草物語」のメグ、ジョー、ベスが罹った病気。
Don't cry, Di
普段はアンもダイアナも同格なのだが、呼び方を普段使わない愛称のDiに変えて、 今はアンの支配下に入った宣言をした。 子供扱いすることで、責任は自分がとれるので安心するようにと伝えたのである。
I don't want to hurt your feelings but it seems to me you might have thought of this before if you'd any imagination.
心を傷つけられるのも想像力が無いのも、アンにとって侮辱の言葉。 「何やってるの、こんなことも分からないの、馬鹿ね」と言っているのも同然である。 Mary Joe を参照。
He looked at Anne as if he were thinking some things about her that couldn't be expressed in words.
この名前のない医者は、もう一度登場するだけだが、良い仕事をしていると思う。 ヨハンナ・スピリの「ハイジ」に登場する、ゼーゼマン家のかかりつけの医者と良い勝負である。
talking unweariedly to Matthew as they crossed the long white field and walked under the glittering fairy arch of the Lover's Lane maples.
Lover's Laneをアンと歩いたと書かれているのはダイアナとマシューだけ。 この二人はアンが恋する人だったし、 Lover's Laneは、結局本当に恋人(達)のための小径になった。 The White Way of Delightと同じで、真っ白いアーチで飾られる。
Those trees look as if I could blow them away with a breath
遠近感がないように見えるらしい。雪の照り返しでコントラストが強調されて遠近感がないのか、 空気が澄んでいるためか、疲労が極端に溜まっているせいかわからない。
Such a nose as that man had!
マクドナルド首相の鼻は有名だった [松本訳,p.492] [Annotated AGG,p.207][カナダ史,p.193] の汚職事件の風刺画でも [カナダ史,p.211] の保守党の選挙ポスターでも鼻が大きい。
such material matters as appetite or dinner
AGG(J):14章 の、ロマンティックとはほど遠い"boiled pork and greens"と同じ。 AGG(J):4章 でも食事の途中で窓の外を見ながら夢見るシーンがあるので、 お腹がすいているのでなければ、食事そのものにはあまり興味がなかった? カスバート家の食事は、アンがしゃべらない限り静かだろうから、自然とそうなるのかもしれない。
I felt that I was heaping coals of fire on Mrs. Barry's head.
AGG 16章では、ネズミが溺れたソースの件でマリラに仇に恩で報いられた。 他の人も自分と同じ目に会って欲しい?
If you love me as I love you Nothing but death can part us two
[Use of Quot. & Allusion,p.18] [Annotated AGG,p.209] によると、記念品のアルバムの詩とのこと。
結婚式の誓いの言葉にもかなり似ていると思う。 The Book of Common Prayer, "Solemnization of Matrimony" [Common Prayer]
To have and to hold from this day forward, for better for worse, for richer for poorer, in sickness and in health, to love and to cherish, till death us do part, according to God's holy ordinance;
12章で誓い合ったアンとダイアナは、ここでその誓いを再確認した。 AA26章 末でも再確認することになる。
I'll never laugh when they use big words. I know from sorrowful experience how that hurts one's feelings.
これとはちょっと違うが、JohnnyとかSammyとか言われてからかわれたLMMの経験から、 子供をからかったりしないというのがある。 [Alpine Path,p.24, chap. 2]
That experience taught me one lesson, at least. I never tease a child.
After tea Diana and I made taffy.
taffyもbutterもおべっかを使うの意味がある [リーダーズ+] [OED] 。バリー夫人を説得しようとしたが失敗した (The taffy wasn't very good)ということだろうか? (酔っぱらった)ダイアナはアンに騒ぎ(stir)を起こさせ(Diana left me to stir it)、 ダイアナはバリー夫人(plate、甲羅。固い甲羅で覆われたバリー夫人?)を説得(buttered)したが、 アンは怒らせる(let it burn)ばかり (while she buttered the plates and I forgot and let it burn)。 (政治)演説(the platform)を聞きに行っている間、バリー夫人の頭が冷える(cool)のを待っているうちに (when we set it out on the platform to cool) バリー夫人(plate)に心配の種(cat, 心配は猫をも殺す、Care killed the cat)ができて、 結局怒りは投げ捨てられた(thrown away) (the cat walked over one plate and that had to be thrown away)。 悲しい局面もあったが、ロマンチックな面もあったので、今となっては楽しい思い出(splendid fun)となった。 (But the making of it was splendid fun.)。
何だか嘘っぽい気もする。でも本当のような気もする。
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osawa
更新日: 2002/12/07