メモ:17章

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17章 人生に希望が戻る

A New Interest in Life
William Shakespeare, Tisus Andronicus, ACT III, SCENE Iに、Luciusのセリフで次があった [Works of Shakespeare]
Ah, that this sight should make so deep a wound,
And yet detested life not shrink thereat!
That ever death should let life bear his name,
Where life hath no more interest but to breathe!
良くありそうなセリフなので、これが元ネタかはわからない。 ダイアナを酔っぱらわせた件でアンが落ち込んでいるので、最後のセリフが17章始めの気分、 タイトルが章の最後の気分に対応しているとも思える。
she says I'm never to play with you again. ...
ダイアナの受動性が強調される。バリー夫人の許可範囲内でしか行動しえない 「良い子」のダイアナである。8章でマリラがダイアナを評して良い子と言ったのも同じ意味だろう。 その意味でアンは徹頭徹尾「悪い子」であり、AGGが面白いのはこのためだろう。
I didn't think anybody could love me.
愛され大事にされる可能性の否定は、他人に対する不信が常に核にあったということだろう。 マリラもマシューも大人なので、アンが二人の心の底を読み取ることは難しく、 年齢差も大きいことから、直接自分を受け入れる人達として感じることは難しかったのだろう。 その点同年代のダイアナが、アンの望みうる最高の好意を表明したことで、 自分が居てもじゃまにならない位置だけでなく、そこに居れば自分を必要としてくれる人がいることを知り、 自分は誰にとっても不要な代替容易な人間では無いことを実感し、 自分に対する自信の基盤が得られたということなのだろう。 ここでようやく、名実ともにアンを取り巻く世界に居るべき位置と居るべき理由ができた。
アンの一種の鏡であるダイアナにとっても、同じようにアンが重要な友達であることが分かったが、 ダイアナにとっては言葉や理屈でなくもっと直感的なこと、アンの近くにいることができないという、 それだけで十分に理解可能だった。
15章でアンがダイアナから離れ、16章でダイアナがアンから離れることで、 双方にとって相手が自分を補完するものだったと始めて明示的に感じることができた。 逆に言うと自分の不完全さの認識の一歩でもあるのだろうか?
それにしても互いに求めあう、自分と逆の人間を配置するには、アンとダイアナは全く適役である。
It's a ray of light which will forever shine on the darkness of a path severed from thee, Diana.
月の女神ダイアナはこうでなくてはならない。
これと同じ表現は見つからなかったが、闇を照らす一筋の光は有りがちなセリフだと思う。 聖書では光は神で闇は人間(の心)として何度も登場する。例えば [サミュエル記下,022:029]
For thou art my lamp, O LORD: and the LORD will lighten my
darkness.
[コリント書(2),004:006]
For God, who commanded the light to shine out of darkness,
hath shined in our hearts, to give the light of the knowledge
of the glory of God in the face of Jesus Christ.
等。聖書のように神でなくても、一般に一筋の希望の光などもあるだろう。
her voice in the singing and her dramatic ability in the perusal aloud of books
singing game(唱歌遊び)というのがあるらしい [リーダーズ+][OED] によるとアクション付きで歌を歌う伝統的な遊び。これならアンの演技も必要になる。 ここではher dramatic abilityはthe perusalにしかかからないので、単に歌うだけか?
blue plums
blue plumは青いプラムかブルー・プラムという種類かわからなかった。 Red Sweetingsと同じで、ブルー・プラムなら大文字のBlue Plums?
Ruby Gillis smuggled three blue plums
blueは憂鬱、plumでなくplumbには推し量るの意味もある [リーダーズ+] 。アンの憂鬱な気分を理解している意味?
Ella May MacPherson gave her an enormous yellow pansy
もしpansyがスミレ(violet)と同義なら、謙譲と聖母マリアのシンボル [基教シンボル事典,p.251] 。yellowは永遠の黄金色か? マリラの言うように常に(yelow)謙譲の心(pansy)を持ちなさいということ?
[花の神話,p.237] によると、pansyはtrinity(三位一体)を意味する。またみんなで一緒に遊べるね、くらいの意味か?
Sophia Sloane offered to teach her a perfectly elegant new pattern of knit lace, so nice for trimming aprons
patternは模範、knitは結びつくの意味がある [リーダーズ+] 。 laceはraceで、new pattern of knit laceは団結した(knit)女の子の集団(race)の中で、 新しい模範(あるいは想像力)を示すの意味? trimmingで装飾的の意味の他に、2つの意見のバランスをとる意味もある [OED] 。apronsは当時のエプロンを着た学校の少女たちだろう。 so nice for trimming apronsは、いろんな考え方をもつがそれでも仲間割れしない(?)、 あるいは可愛い格好の(?)(trimming)学校の女の子仲間(aprons)の中で、 好意的に受け入れられた(so nice)、の意味?
Katie Boulter gave her a perfume bottle to keep slate water in
perfumeはfume(有害な煙や立腹、香気の意味)か? be in a fumeでプンプン怒っているの意味 [リーダーズ+] 。perfumeはラテン語のpar(通って)+fumara(煙る)に遡れ、fumeと親戚の語 [スタンダード語源事典] 。 あるいはfame(名誉、評判)か?いずれにしても石盤事件に関することだろう。 written in waterでは忘れ去られたの意味がある。 つまり、石盤事件(slate)を書いた記憶の水(water)は瓶(bottle)に閉じこめて(keep)しまい、 もう思い出される(香る?)ことはない、 perfumeがfameなら、石盤事件はみんな忘れてしまったので、アンの名誉は回復されている?
Julia Bell copied carefully on a piece of pale pink paper scalloped on the edges the following effusion
pale pink paperは、元気のない(pale)アン(pink paper, 赤毛)だろうか? effusionは感情の発露の意味もある [リーダーズ+] が、ここではどういう意味?
When twilight drops her curtain down...
McDonald Clarke (1798-1842) "Death in Disguise". Line 227, (Boston edition, 1833.) [Familiar Quot. Archive]
Whilst twilight's curtain spreading far,
Was pinned with a single star.
これにはNoteが書いてあって、
Mrs. Child says: "He thus describes the closing day":--
Now twilight lets her curtain down,
And pins it with a star.
とある。こちらの方がずっと似ている。Mrs. ChildはLydia Maria Child (1802-1880)で、 米国で最初の子供の月刊誌 "Juvenile Miscellany"を創刊した人 [リーダーズ+] 。Juliaはこういう子供向けの雑誌から写したのだろうか。
この人は"National Anti-Slavery Standard"を編集するなど、奴隷制廃止と婦人参政権の運動にも活躍している [Biograph. Dic.] 。LMMが気に入っていたJohn Greenleaf Whittierも奴隷制反対の詩を書いているし、 AGGでもリンド婦人などの婦人参政権を求める意見が多い。 LMMは思想のため独立のため戦う詩や詩人が好きだったのかもしれない。 19世紀の詩は政治思想の現われである場合が少なくなく、 世界を背負わんとの気概をもたずにどうする、という闘う詩人が多かったようなので、 自然とそうなったのかもしれない。
a big luscious "strawberry apple."
何とも言えないが、誘惑している雰囲気が白雪姫のリンゴのような気がする。
Charlie Sloane's slate pencil
この石筆はゴテゴテ飾られて二倍もコストがかかっているので大したものだという結論なのか、 逆に、ゴテゴテ飾っているし値段も2倍だが、それでもたった2セントで大したものではないという結論なのか、 良く分からなかった。 包みと値段の描写がくど過ぎて、皮肉が何処に向いているのかわからない。 マリラのの倹約の描写やアヴォンリーの村の雰囲気からすると、 1セントで買えるのに2セントもかけるのは愚かであり無駄である感じがするので、前者かもしれない。
the seventh heaven
ダンテの"神曲"を読めば、うんざりするくらい案内してくれる。
ところで、居残りを命じたフィリップス先生は、 チャーリーを天国からひきずり下ろす地獄の使者でもあるのか?
Anne met her Waterloo.
幾何の敗北はナポレオンの立場で、勝利者ウェリントンではない。 当時の英国での対ナポレオン戦勝利の熱狂は、英国を故国("Home", AGG 1章)とする、 19世紀末カナダに育ったアン・シャーリーには無縁だったようである。 英国と違ってアメリカはナポレオンに好意的だった [ナポレオンp.241] ので、アメリカ文化の影響(ホワイト・サンズ・ホテルに米国から客が集まる) を受けてアンもナポレオンに好意的だったのか、 それともナポレオンがセント・ヘレナ島に流され、後に英雄伝説が広まり、 作家や詩人(アンの好きなバイロン卿等)がナポレオンを歌った [ナポレオンp.262] ためか、そんなところだろう。
17章末と18章冒頭でわざわざ近接させて2度ワーテルローを使っているのは、 ナポレオンの敗北(幾何)と、ウェリントンの勝利(ミニー・メイを救ってバリー夫人に勝利する) を意味するのだろうか?
In geometry Anne met her Waterloo.
幾何は苦手だが代数は問題ないらしい。 図形の認識が不得意だが、文字や記号の認識は得意というところか? 数学屋さんも幾何人間と代数人間に別れると聞いたことがある。
[日記(E)1,p.91, July 5, 1893] に、LMMは試験科目で、"I dread the geometry, but am not afraid of the others[Lain, Algebra]." と言っているので、やはりアンと同じで、幾何は苦手だが代数は問題ないらしい。
AGGの後に書かれている作品だが、Hugh Lofting : "Voyages of Doctor Dolittle(ドリトル先生航海記)", Part 3, Chap. 1では、代数が苦手な登場人物Bumpo Kahboobooがいる [Proj.Gutenberg]
The algebra hurt my head and the shoes hurt my feet.
アンと正反対のタイプかもしれない。
LMMも幾何が嫌い [日記(E)1,p.91, July 5, 1893] [日記(E)1,p.389, Jan. 6, 1910] 。 arithmetic(計算問題?)も苦手らしい [日記(E)1,p.388, Jan. 6, 1910]
some of the others
ギルバートをぼかして言う言い方。多少変形されて使われる。
[日記(E)1,p.8,Tue., Dec., 31, 1889] では、LMMが雪の中で転げ回って面白かったのを、誰かが批判するだろうという表現がある。 ここではもっと簡単にsomeoneである。
Now, I suppose someone might say,
"And what was there in all this that was so exhilarating? You fell in the
snow -- and you hat came off -- and a boor cut up capers. What was so funny in all
that?"
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osawa
更新日: 2002/12/07