メモ:15章

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15章 疾風怒濤の小学校生活

A Tempest in the School Teapot
Tempest in a teapotはもともと、Cicero, "De Legibus" III,16 [Annotated AGG,p.159] [Familiar Quotations] 、あるいはCicero, "The Deipnosophists", viii, 19 [Familiar Quot. Archive] に由来するらしい。
アンが嵐に巻込まれたと考えるか、アンが嵐の原因である(アンが嵐を起こした)と解釈するかで、 意味が変わりそうである。 みかけが簡単な比喩だけに、さらに何か意味を隠していそうに思える。
  1. [詩編,011:006-007]
    Upon the wicked he shall rain snares, fire and brimstone, and
    an horrible tempest: this shall be the portion of their cup.
    神は邪悪な者に罠(災い?)、火、(燃える)硫黄、嵐をもたらす、といっている。 アンの呪いの予言か?
  2. [詩編,083:015-017]
    So persecute them with thy tempest, and make them afraid with thy storm.
    Fill their faces with shame; that they may seek thy name, O LORD.
    Let them be confounded and troubled for ever; yea, let them be put to shame, and perish:
    相手を呪う言葉の中にtempestがある。Fill their faces with shameを、 恥をかかされたアンの復讐心に対応させられるかもしれない。 フィリップス先生とギルバートに呪いをかけたい気持ちならこれも可か? 聖書には、神に願って敵の上にに天災を呼ぶシチュエーションが何度かでてくる。 一般的すぎて、この章のタイトルに特に適合するようにも思えない?
  3. Shakespeare, "Pericles, Prince of Type", ACT IV, SCENE I [Works of Shakespeare] に、Marinaの次のようなセリフがあった。
    This world to me is like a lasting storm,
    Whirring me from my friends.
    戯曲のコンテキストを無視してしまうと、 アンが学校を休んで友達とある程度離れて生活することに対応しているように読める。
What a splendid day!
Robert Browning, "Pippa Passes"の冒頭部
DAY!
Faster and more fast,
O'er night's brim, day boils at last:
に似ている気がする。 今日という日(新年初日がピッパの唯一の休日)はなんて素晴らしいんだろう、という雰囲気で始まる。
Isn't it good just to be alive on a day like this?...they can never have this one.
この後で生まれてきたのを後悔しそうな事件が起こる前振りである。 後から考えても、こんな日は二度となく、アンにとって忘れ難い日となる。
forever and ever branded as "awful mean" the girl
烙印は他に23章のジョージー・パイの例がある。 [日記(E)1,p.255, Dec. 22, 1900] と比較。
His[Herman Leard's] mark is branded on my soul forever.
Going around by the main road would have been so unromantic; but to go by Lover's Lane and Willowmere and Violet Vale and the Birch Path was romantic
main roadは王道であり、おそらく「天路歴程」の中の正しい道(寄り道には人食い巨人がいる)であり、 それゆえにつまらなくロマンチックでない道。
一方のロマンチックな道は、アンとダイアナという恋人同士が二人仲良くしていた(Lover's Lane)のに、 ダイアナとアンは一旦は別れることになる(Willowmere : wear the willowで人との死別を悲しむ意味 [リーダーズ+] 、あるいはwillowは見捨てられた恋人の意味)こと、 それで悲しみ(Violet Vale : violetは悲しみを意味する [リーダーズ+] )のベール(veil)を被る、あるいは悲しい別れを迎える(valeはラテン語で別れの意味 [ジーニアス英和] )こと、 フィリップス先生から魂の笞(Birch Path : birchは笞の材料の樺)を受けること、 これらは苦難の道であり、必然的にロマンチックでなければならない、ということだろう。
She wanted to, so I let her
ダイアナとアンは必ずしも意見が一致するわけでなく、時には(弱く)対立する。 また、アンがダイアナの美点と欠点を冷静に判断していることもわかる。 仲良しは補完関係にあれば良いので、必ずしも対等である必要はないし、 実のところ良い感情ばかりで構成されていなくても良い。 癇癪ほど表にでてこないが、LMMは(子供/人間の代表としての?) アンの不完全さをクールに描いていると思う。
Anybody can think of a name like that.
アンはみんなと同じような物では満足できない。魔女だから。
the light came down sifted through so many emerald screens
ビーム状に光が差し込んだら啓示の場面。 単語帳のlightの項 を参照。
it was as flawless as the heart of a diamond
[エレミア書,017:001]
The sin of Judah is written with a pen of iron, and with the
point of a diamond: it is graven upon the table of their
heart, and upon the horns of your altars;
ユダの罪は、鉄のペン、ダイアモンドの針で記された。
その罪は、彼らの心の薄板に、そしてあなた方の祭壇の角に刻まれた。
アンが叩きつけたslateは、このtable of their heartに相当するのか? アンを侮辱したギルバートの罪は、傷一つなかったアンの心に、深く刻まれることになる。 でもそれなら、フィリップス先生やリンド夫人の件は心の傷にならなかったのだろうか?
slim young birches, white stemmed and lissom boughed;
birchは樺の笞の意味がある。boughedはbowed(腰を曲げる,屈服する)と同じ発音。 stemはせき止める、自制する、流れに逆らって進むの意味がある [リーダーズ+] 。stemmed with white fury and lissomly bowed (非常に怒りを覚えながらそれでも自制し、角が立たないように節を曲げる)のようにも読めそうな気がする。 つまりアンはリンド夫人の時のようにフィリップス先生に対して暴発はしなかった、罰を受け入れることにした、 という意味だろうか?
あとこの後にでてくる、ferns, starflowers, wild lilies-of-the-valley, scarlet tufts of pigeon-berriesは各々、fern seed(目に見えない魔法の胞子 [リーダーズ+] 、アンが学校から姿を消すこと)、 star(運命の星、こうなる定めであったこと)、white lily(純潔の象徴、アンが潔白の意味)か? pigeonは鳩(dove)で聖霊・祝福された者の魂・平和・和解の意味がある [基教シンボル事典] 。pigeonは若い女の意味もある [リーダーズ+] 。ここではscarlet pigeon-berryは、祝福された(これから祝福される?)アンの、 真っ赤な心臓・魂、あるいは血を流したアンの心の意味か?
starflowers
星状の花をつける草一般 [リーダーズ+] 。ここでは星の花にした。
pigeonberry
ヨウシュヤマゴボウ [リーダーズ+] だが、イメージが伝わらないと思うのでピジョンベリーにした。
I don't think much of the master
Mr. Phillipsと違い、LMMのPrince Albertの高校の先生Mr. Mustardの第一印象は悪くないようである [日記(E)1,p.31, Sept. 1, 1890]
The teacher, Mr. Mustard -- what a funny name! -- seems fairly nice and I think I shall get along all right
後日その印象は変わって、アンと同じ意見になる [日記(E)1,p.32, Sept. 19, 1890]
Mr. Mustard is not a good teacher
She's got a beautiful complexion
LMMは、父が再婚して住んでいたプリンス・アルバート州に住んでいた時、 学校の先生(Mr. Mustard)に言い寄られて嫌がっていたことがある [日記(E)1,pp.47-56,1891年]
プリシーがLMMの姿でもあるのは、色白なプリシーと色白なLMMの記述からも言えると思う。 [日記(E)2,p.72, Aug. 6, 1911] では、新婚旅行でスコットランドに行った時、LMMの文通相手のMr. MacMillanのフィアンセである、 とても色白なMiss Allanについてこう書いてある。
Her skin is snow-white, with a most delicious wild-rose pink in her cheeks. I have always been reputed to have a good complexion, as complexions go, but Miss Allan positively makes me look brown and sallow. It is a wholesome corrective of vanity to look into a mirror when she is before it, too, but I don't do it whe I can help it, for all that!
色白なことにはちょっと自信があったLMMは、Miss Allanに会って自尊心をくじかれたようである。 この後( AGG(J):19章 等)でも、プリシーの描写は人物像がほとんど書かれない代わりに、 外面の美しさは力を入れて書かれているように思う。
And oh, Marilla, Jane Andrews told me that Minnie MacPherson told her..
この文には6人の登場人物がいる。初めて読んだときちゃんとついていけました? コンピュータ・ウィルスのようにどんどん噂が広まっていく。
Anne and Diana were tripping blithely...two of the happiest little girls in Avonlea.
blithelyはこの直後のBlytheとかけている。これからいかに不幸せになるかは、 ここでどれだけ幸せか、いかに問題がなかったかを言えば言うほどコントラストが強まる。 落とす前に持ち上げるのはAGG 13章対14章, 36章対37,38章等でも同じで、 LMMの常套手段といって良いだろう。
ebullition
怒りなどの激発の意味もある [リーダーズ+] 。アンとジョージーの対立の開始の意味もあるだろう。 沸騰させたら、ジョージーがアンに敵うわけがない。
この後、ギルバートと並んで座らされた時、語りが"Her whole being seethed"と言っている。 seetheは沸騰の意味である。また、ギルバートにからかわれて癇癪を起こしたのも感情の沸騰である。 この2つの事件の予告かもしれない。
mind you
この前に、ダイアナがチャーリーのお母さんの件で使っている。 アンもダイアナに対抗したんだろう。このギルバートにまつわる話題で、2人は楽しい喧嘩に興じている。
said Diana indignantly, as they climbed the fence of the main road
突然街道の柵越えがでてくるので、何か意味がありそうに思う。
indignityで軽蔑、廃語だが恥ずべき行為の意味がある [リーダーズ+] 。indignantly、indignityどちらもラテン語のdignus(worthy)から派生した語。 パイ家の女の子に怒りながら、一方でスカートをはいて柵を乗り越えるという、 当時の女の子らしからぬ品位を損なう行為をしている、という意味なのだろうか?
一方、牛が逃げだせず人間だけ越えられるように、柵にはしごがついている場合もある。 もしそうならスカートをはいたまま柵を乗り越えても品位上も問題ない?
あるいは、柵の上は単に義憤を表現するにはあまり相応しくない場所ということか?
[日記(E)1,p.68, Oct. 22, 1891] には、牛に追われて柵を越えるとき、柵を壊してしまったと書いてある (We broke a longer on every fence we climbed to-day and sometimes more than one.)。 AGGでは二人が柵を壊したとは書いていないが、柵越えするとき柵を壊しておいて、 それは棚に上げて義憤に駆られる意味なんだろうか?
Nellie L. McClung, "Sowing Seeds in Danny" (1908) chap. IVに、
She[Mary Barner] mended torn "pinnies" so that even vigilant mothers never knew that their little girls had jumped the fence at all.
メアリーは子供たちの破れた「ピニー(エプロン)」を繕ってあげたので、 どんなに目ざとい母親でも、自分の娘が柵を飛び越えて来たとは思いもよらないのだった。
とある。アンとダイアナによる柵越えも同様で、外ではしゃぎ回って服やエプロンを破らないようにと、 母親達にいつも注意されていたのではないかと思う。
piercing whisper
ギルバートの突き刺さるような囁き声。 ブリュエット夫人の視線も尖ったもの(gimlet)で表現されている。 マリラも時々sharplyに喋る。 とにかくグサッと刺さるものを非常に嫌っている。
Carrots
複数形で赤毛(の人)を指す [リーダーズ+] 。ニンジン/ニンジン頭/赤毛。 ギルバートがおさげをつまんだのは、特におさげを意識しているのだろうか。 それなら「ニンジンおさげ」でも良いかも。
[OED] ではニンジンの形をしたものの意味を挙げている(例:タバコ)が、 単にcarrotsだけではこの意味にならないだろう。
She flashed one indignant glance...whose angry sparkle was swiftly quenched...
flash, sparkと、アンの怒りが一瞬で生じること、 光や火花のように他を圧倒する眩しさを持つことが強調されている。 この後の涙が悲しみの涙でなく怒りの涙であることに注目。 とにかく全身全霊を込めて怒っているのだ。
Anne had brought her slate down on Gilbert's head and cracked it
[出エジプト記,31:18] では、モーセが神から十戒(ten commandments)が刻まれた2枚の石板(tables of stone) を授かった。ギルバートはcarrots(アンの真の名前と言って良い)と言って、 十戒の3番目「妄りに神の名を称えるな」に触れてしまった。
アンは、キリスト教の7つの大罪(怠惰(sloth)、貪欲(covetousness)、 憤怒(anger)、嫉妬(envy)、大食(gluttony)、淫欲(lust)、傲慢(pride)) [基教シンボル事典] のうち憤怒の罪を犯したことになる。
ちなみに、AGGに現われるアンの罪は貪欲, 憤怒, 嫉妬(?), 傲慢の4つだろう。 大食はダイアナの罪。ジョージーは嫉妬と傲慢の罪。 アンはさすがに魔女だけあってポイントが高い。
Anne stood there the rest of the afternoon with that legend above her
「怒り」と題された活人画といえる。
agony of humiliation
agonyは、ゲッセマネの園(ここでイエスが捕縛された。 [マタイ伝,26:47-50] 等)でのイエスの苦悶のこと。 [基教シンボル事典] 。黒板の前に立たされたのは、十字架に架けられた意味だろうか。 あまり上手く役が当てはまらないが、 フィリップス先生は総督ピラト、 ダイアナとチャーリーはイエスの役立たずの弟子達、 ジョージーはイエスに反感を持つ群衆かユダヤの祭司長、 ギルバートはイエスのことなど知らないと言ったペトロか、裏切ったイスカリオテのユダ?
The iron has entered into my soul
[Use of Quot. & Allusion,p.18] では、Book of Common Prayer, Psalm 108:18から。 "The iron entered into his soul"の形をしている。 [Common Prayer] では聖書と同じく105:18なので、たぶん誤植だろう。 1549年版他のコメントでPsalmsは必ずしもBCPの一部でないとあるし、 他の版でもPsalmsの原典は旧約聖書の [詩編] なので、内容の意味ではBCPからではなく聖書から引用したと考える方が筋が通っていると思う。 ただし、欽定訳聖書 [欽定版聖書] が発行されたのは1611年のことなので、BCPの方が世に出たのは早い。 つまり内容を考えると聖書、表現を考えるとBCPが引用元となる。
[松本訳,p.489] では、Prayer Book Versionの聖書, [詩編,105:18] から。 [Common Prayer] でみると、Book of Common PrayerのことをPrayer Bookとも言っているので、 Prayer Book Versionの聖書はBook of Common Prayerのことだと思う。
Bible Gateway [Bible Gateway] で探した範囲では、Young's Literal Translation版の聖書, [詩編,105:18] が一番近かった("Iron hath entered his soul"), 鉄(の釘?)が魂に打ち込まれたの意味か? 版によって英訳がまちまちだった。 他の版では、鎖につながれた、あるいは首に鉄の鎖をつけられた、など。 [欽定版聖書,105:018] では"he was laid in iron"であり、 [共同訳聖書,105:18] では「首に鉄の枷をはめる」である。
Douay-Rheims-Challoner版 [DRC版聖書] は他の版と位置が1章ずれていた。 [詩編,104:18] 。 "the iron pierced his soul"。
[Annotated AGG,p.168] ではCranmerによる翻訳(1552)と比較している。それでは"the iron entered into his soul." [Common Prayer] によると、大司教Thomas Cranmer(1489-1556)の改訂した1552年版は、 Book of Common Prayer第1版(1549)に対してプロテスタント側の修正を施したもの。
[日記(E)1,p.379, Jan. 6, 1910]
"death entered into my world"
あるいは、 [日記(E)2,p.113, Dec. 1, 1912]
Fear entered into his little experience
と比較。 日記では他にもenter intoで象徴的な侵入を表現している。
Diana hadn't the least idea what Anne meant but she understood it was something terrible.
ダイアナもマシューと同じで、アンが何を言っているか分からない時でも、 気持ちを汲んで聞いてくれるsympathetic listenerである。 ただし、明示的にsympathetic listenerと言われるのはマシューただ一人。
picking gum in Mr. Bell's spruce grove
spruce gumはトウヒ(spruce)やモミからとれるチューインガムの材料 [リーダーズ+]
ガムは19世紀後半には売られていたらしい。たぶんPEIでは一般的ではなかったのだろう。
トウヒの実は303年に殉教者として焼き殺された聖アフラのアトリビュート [西洋シンボル事典,p.227] 。アンの殉教が予告される。
[PEIの歴史,p.53] によると、1748年以降、フランスがサン・ジャン島(P.E.I.)の開拓に本腰を入れたころ、 島の住民は「男は煙草を吸い、女はトウヒ(spruce, エゾマツ)の樹脂で作ったガムを噛んだ」とある。 18世紀中頃からの伝統だったようである。
[Alpine Path,p.91, Aug. 20, 1912] [日記(E)2,p.74, Aug. 20, 1911] では、LMMがイギリスに夫婦で旅行に行った折り、 スコットランドのHomecliffe峡谷でエゾマツの林を見つけて、 同行した二人(Mr. MacMillanとMiss Allan, 英国人)とガムを取って噛んだ。 夫妻は美味しい(delicious)と思ったが、同行した二人は苦い(bitter)と感じたと書いてある。 P.E.I.のエゾマツのガムもたぶん食べ慣れない人には苦かったかもしれない。
one of his spasmodic fits of reform
reformationで16-17世紀に起こった宗教改革の意味 [リーダーズ+] 。当時の堕落したカトリックに対する改革の意味。 宗教改革では、改革派とカトリックの血みどろの対立が生じた。 そんなに気安く改革するものではない/できるものではないということ?
with a wreath of rice lilies
ユリは白(white)、wreath(花輪)はwrath(怒り、憤怒)の駄洒落で、 つまりwhite wrath(猛烈な怒り)のことではないか? wrathは7つの大罪(Seven Deadly Sins)の1つ [基教シンボル事典] である。
rice lilyの咲いている場所を教えたのはダイアナ( AGG(J):12章 )。
Anne could run like a deer
as if she were some wild divinity of the shadowy places と合わせて考えると、アンは異教の女神Dianaに相当する。 Dianaは狩猟の女神でもあり、弓を携えて鹿と一緒にいる彫刻があったように思う。 ここらへんは [Annotated AGG,p.27] が詳しい。
run she did with the impish result
impは小鬼、あるいは鬼の子 [リーダーズ+] 。アンは異教の女神や魔女でも表現されるが、 妖精のようにも描かれる。妖精はもともと人間にいたずらや害をなすものとみなされていた。 また妖精関連では、changeling(取り替え子, elf child)という迷信があって、 これは妖精が子供をさらって行って代わりに置いていった醜い子のことである [リーダーズ+] 。アンの登場は、取り替え子(望ましい男の子ではなく、女の子でそれも醜い子)と見ることもできる。
[Annotated AGG,p.29] ではアンの赤い髪、緑の目という特徴から、魔女で妖精、取替え子の見方をしている。
AA(J):12章 "A Jonah Day" は、AGG 15章のパロディーのようである。 そこでは、前日アンが厳しく笞打ったアンソニー・パイとたまたま出くわして、 "she thought it was certainly an impish coincidence" と言っている。本章でも同じ意味と考えて良いと思う。
Anne, ..., with a forgotten lily wreath hanging askew over one ear and giving her a particularly rakish and disheveled appearance.
William Shakespeare, "Hamlet", Act 4, Scene 5, 7 [Works of Shakespeare] に登場する、狂乱の乙女オフィーリャ(Ophelia)のイメージではないだろうか。 「ハムレット」には、オフィーリャが髪に花を飾っていたとは書かれていないが、 オフィーリアを題材にした絵画では、髪に花を散らしたオフィーリャ像が描かれる。 例えば、Arthur Hughes(1832-1915)や、John William Waterhouse(1847-1917)等の絵。
AGG(J):20章 の、フィリップス先生の台詞"sweets to the sweet"も同じく "Hamlet", Act 5, Scene 1 から取られ、これはガートルード女王が亡くなったオフィーリャに送る台詞である。
WebMagick : Dreams of Decadance というサイトに19世紀中庸-20世紀初頭の絵画が置いてある。 その中のMaidens of Death(死の乙女達)のコーナーに、 エレイン(Elaine), シャロットの乙女(The Lady of Shalott), オフィーリャ(Ophelia)の絵がある。
まず [完全版,p.647] に小さく写真がのっている、Gustave Doreの描くエレインの絵がある( [Annotated AGG,p.461] のはもう少し大きい)。
シャロットの乙女に目を向けると、 John Sidney Meteyardの絵が、 AGG(J):8章 末のコーデリア・フィッツジェラルド姫に雰囲気が似ている(鏡, 寝椅子)。 John William Waterhouseの絵にある舟に乗った赤毛の乙女なんかは、 AGG(J):28章 のエレインを演じたアンじゃないかと思うくらい。 (この絵については、 Robert Browning page にあるThe Lady of Shalottのページの絵の方が見やすいかもしれない。若干明るめに色が変えられている。)
そして、狂乱の乙女オフィーリャ、Antoine Hebertの鬼気迫る作品。 AGG(J):15章 の、エゾマツ林から走って来た直後、ライス・リリーの花が髪に引っ掛かったアンそっくり?
we shall indulge your taste
主語がweなのは、 尊大さか、責任転嫁か、とにかく嫌な感じではある。
Take those flowers out of your hair and sit with Gilbert Blythe
マーク・トウェインの「トム・ソーヤーの冒険」に、アンがギルバートと並ばされたエピソードに似た話 (トムが計略を使ってベッキー・サッチャーと並んで座った)がある。 カナダ(1880年代)でもアメリカ(1840年代)でも、小学校の雰囲気に似た所がある。
as if turned to stone
ギリシャ神話から。 ゼウス(Zeus)の子ペルセウス(Perseus)に討ち取られたメドゥーサ(Medusa)は、 見るものを石に変えたという。Medusaはゴルゴン(Gorgon)3姉妹の一人 [リーダーズ+] 。 フィリップス先生は、メドゥーサでもあるのだ。
awful little red spots
いったい何のこと?そばかすが青白い顔に目立ったということ?
Gilbert Blythe was heaping insult on injury
Phaedrus (A.D. 8), "Fables", Book V, Fable 3 [Familiar Quot. Archive]
what will you do to yourself, who have added insult to injury?"
Her whole being seethed with shame and anger and humiliation.
これに相当するのは見つからなかったが、逆の意味のフレーズは見つかった。
Samuel Taylor Coleridge (1772-1834), "To a Lady, Offended by a Sportive Observation." [Familiar Quot. Archive]
What outward form and feature are
He guesseth but in part;
But what within is good and fair
He seeth with the heart.
聖書 [欽定版聖書] (1611年) ではseetheは煮るの意味で使われている。例えば、雄羊の肉を聖所で煮る [出エジプト記,029:031] 等。 心が煮えたぎるのは、もっと新しい用法らしい。 [OED] ではシェークスピアが最初の用例だった。 [聖書の英語,p.2] によると、シェークスピアより欽定訳「聖書の方が英語としては古い面影を多分にもつている」のだそうである。
pink candy heart with a gold motto on it, "You are sweet,"
キャンディーはギルバートの心そのものである。 sweetはキャンディーの甘さと、素敵という2つの意味を持たせている。
この他に、at one's own sweet willで勝手気ままに、 be sweet onで〜に夢中、 keep sweetで〜に取り入るの意味がある [リーダーズ+] 。アンは勝手気まま、ギルはアンに夢中、ギルはアンに取り入る。3つとも当てはまりそうである。
[Annotated AGG,p.404] のTextual Noteによると、 [LMM原稿] では、フィリップス先生がプリシーにお熱は"dead gone on her"でなく、 "sweet on her"だったとのこと。 つまりギルバートがアンに差し出したキャンディーの金言と同じ表現になるのを避けたか、 ギルバートとアンの関係をこの段階であからさまに(?)書きたくなかったか、 いずれかではないだろうか。
without deigning to bestow a glance on Gilbert.
女王が臣下に対するような言葉遣いと考えて良いのだと思う。 アン女王に拝謁を賜ること能わざるギルバート卿の胸の内は、いかばかりであったことか。
I'll NEVER go to school to that man again.
[日記(E)1Jan. 7,1891, p.44] に、
Annie McT[aggart] declares she won't go to school to Mustard again
というそっくりの表現がある。Annieはプリンス・アルバート州でLMMと同じ学校に通っていた。 Mr. Mustardは先生の名前。
I'd let myself be torn limb from limb
10章のquartering(四つ裂き)と同じ?
You harrow up my very soul.
William Shakespeare, "Hamlet", Sc. 5 [Works of Shakespeare]
I could a tale unfold, whose lightest word
Would harrow up thy soul, freeze thy young blood,
Hamletの父親の幽霊が、自分はClaudiusに殺されたとHamletに語る場面。 AGGではYou harrow upなので「あなたは」だが、ここではHamletにあるように「あなたの言葉は」とした。
ところで、harrowは鍬等で固い土を砕くの意味がある [リーダーズ+] 。これは、ギルバートのキャンディーを踵ですり潰した事、 "dropped it on the floor, ground it to powder beneath her heel"に対応しているように思う。 つまり、自分はギルバートの心を粉々にしたのに、 ダイアナに言われて自分のこころがずたずたになるのは嫌がるんだね、という皮肉だと思うが、どうだろうか。
playing ball
[Annotated AGG,p.172] では、ソフトボールの一種ではないかとしている。
[OED] では、H. Chadwick (1868), "Base Ball", 162にThe National Game of ball of Americans.の記載があった。 当時野球は既にあったらしい。
[日記(E)4,p.424, Appendix D] に"playing "ball"(AGG 15章のボール遊び)について解説がある。 バットもボールもルールも自分たちで作った、草野球の簡単なものらしい。
Pansy book
[Annotated AGG,p.172] によると、PansyはIsabella Alden (旧姓Macdonald) (1841-1930)のニックネーム。 主として女の子向けに120冊の小説を書いた。当時ポピュラーだったらしい。 "Pansy book"はこのAldenの書いた小説を指すのだろう。 またAldenは、"Pansy"という日曜学校雑誌と、 "Presbyterian Primary Quarterly"の編集もしていたとのことである。 11章で書かれている季刊誌(quarterly)は、こういう雑誌だったのかもしれない。
[Amer. Literature,p.16] によると、Isabella [Macdonald] Aldenは、Pansyのペンネーム(pseudonym)で75冊のシリーズを書いている。 これが"Pansy book"シリーズだろうか。 "Pansy"という子供向けの雑誌は、1873-96年の23年間刊行されている。
[日記(E)1,p.398] では、Mrs. G. R. Alderで31冊のPansy Books, 73冊のPansy Series booksを出版としている。 また [松本訳,p.489] でもG. R. オールダー夫人としている。
Isabella [Macdonald] AldenとMrs. G. R. Alder、どちらが本当?
[Women Writers] でもIsabella Macdonald Aldenなので、たぶんこちらが正しいのだろう。 ここに比較的詳しい経歴へのリンクがあるので詳細はそちらを参照のこと。
"Pansy Books"の作者Isabella Macdonald Aldenの参考文献付きのプロフィールは。 [Women Writers] にある。1990年代にAldenの作品の縮約版が出版されているとのこと ("The Pansy Collection", Creation Houseと"the Grace Livingston Hill Library", Living Books)、 また一部日本語にも翻訳されているらしい。 Pansyというペンネームの元になるエピソードも書いてある。 子供の時、お母さんのお茶会の手伝いをしたくて、 テーブルを飾るためにパンジーの花壇から花を全部摘んでしまった、それも茎なしで、ということである。 AGG(J):21章 のアラン牧師夫妻を招いた時、テーブルを飾ったアンにも似ている?
Her mind was made up
マリラと同じで、アンも一旦こうと決めたら心変わりしない、不退転の決意である。 アンとマリラは、感じ方は違っても行動パターンは結構似ているところが随所にある。
I'll learn my lessons at home
9章でアンがグリーン・ゲイブルズを自分のhomeと認めてから、 アンの台詞の中で、アンを主語にしてhomeを使った最初の文である。 14章のマリラとアンの最大の危機を乗り越えた後なので、 15章以降でのアンは、グリーン・ゲイブルズとカスバート兄弟をhomeとする帰属感を抱くのに、 何の障害もなくなっている。 もちろん9章以降、15章以前にも、AGGに描かれていない会話の中でアンがhomeを使っているはずなのだが、 ここにきて初めて何の違和感もなくアンはhomeを使えるようになった、と読めたのだがどうだろうか。
She's sent ten children to school and she ought to know something about it.
9章でのレイチェルと衝突した時とは逆に、14章のアンとの衝突の反省から、 マリラは謙虚に他人の意見を聞けるようになってきた。 一方レイチェルもアンのことで非難するだけでなく、手助けするつもりになってきた。 アンもマリラに意見を通す場合は、感情的になるのでなく冷静に対する方が有効なのが分かってきた。 みんなの態度がすこしずつ変わってきている。
Mrs. Lynde knitting quilts as industriously and cheerfully as usual.
リンド夫人の縫い物のシーンは何度か登場する。 Rachel も参照。
パッチワークのpatchには、意見の相違などを調停する意味がある [リーダーズ+] 。問題を持ち込まれたとき、パッチを当てて問題を解決するレイチェルの能力の意味もあるのだろう。 リンド夫人は縫い物が得意で、 パッチワークが嫌いなアンとは大違いである。楽しげにというところは、たぶんマリラとも違っている。 マリラは服装にあまり気を使わないので、たぶん縫い物が苦手(必要な分しかしない)である。 実はアンと同じで、面白いことと感じていないのだろう。
縫い物の得意・不得意は、(特に人間関係の)問題解決能力の差を示しているかもしれない。 例えば、アンは問題を起こすのは得意でも(通常の手段による)解決は不得意と言える。 マリラも、意見が違うと対立を強める方なので、解決は不得意。 一方のレイチェルは、そういうのが得意だし、好きらしい。
マリラが得意とし好きでもあるらしい料理は、(心の)治療の意味があると思われる。 気分が滅入った時にマリラの料理が活躍するのは、 AA(J):12章 にも現われる。もっともこの効果が現われるのは、アンがグリーン・ゲイブルズに馴染んだ後のことである。
アンはマリラの影響を受けているので、料理の腕はそこそこに上達するはず。 また縫い物も無理無理覚えさせられるので、今までの孤立無援の立場から、 社会と仲良くやっていける問題解決能力(縫い物)と、 人とのつきあい方(料理)を身に付けていくことになる。
young fry
小魚や蜂の子の意味 [リーダーズ+][Annotated AGG,p.174] ではWilliam Shakespearの"Macbeth", ACT IV, SCENE II, (1605)からの用例としている。
そのものではないが、 [OED] にもっと古い、Barnabe Googe, "Heresbach's Husb." (1586) 903
"Combs..which contain the young spawn or fry of the Bees."
という用例がある。いずれにしても16世紀くらいまで遡る歴史ある(古臭い?)表現ということ。
[Mr. Phillips] puts all his time on those big scholars he's getting ready for Queen's
ステイシー先生がクイーン組を編成する際に、普通の生徒と別時間枠にしたのは、 この件に対する対策だったんだろうか?
Marilla, coming in from the orchard with a basket of apples...found Anne...crying bitterly.
リンゴの甘さと涙の苦さを対比させているのか? ここでは、リンゴに「甘い」をつけてみた。
she collapsed on the nearest chair
アンは泣いている、マリラは笑っている。でも二人の仕草はそっくり。
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osawa
更新日: 2002/12/07