メモ:1章
[和訳]
[目次]
[前章]
[次章]
1章 レイチェル・リンド夫人、仰天
- Mrs. Rachel Lynde is Surprised
-
シェークスピアの作品で探すと、
TITUS ANDRONICUS, ACT I, SCENE IのTitus Andronicusのセリフで次があった
[Works of Shakespeare]
。
Traitors, avaunt! Where is the emperor's guard?
Treason, my lord! Lavinia is surprised!
この場合、襲われる・奇襲を受ける意味だが、1-3章はそうとってもおかしくないかもしれない。
もしそうなら「レイチェル・リンド夫人、不意を突かれる」とか?
- quiet, well-conducted little stream
-
-
[Annotated AGG,pp 39-40]
ではAlfred Tennyson, "The Brook"の影響が強いとしている。
-
Sir Walter Scott, "Marmion"のCanto Firstへの序
[Marmion,p.195]
の冒頭部に
AGG(J):1章
冒頭に似た(というか逆の)表現があった。
November's sky is chill and drear,
November's leaf is red and sear:
Late, gazing down the steepy linn
That hems our little garden in,
Low in its dark and narrow glen,
You scarce the rivulet might ken,
So thick the tangled greenwood grew,
So feeble trilled the streamlet through:
Now, murmuring hoarse, and frequent seen
Through bush and brier, no longer green,
An angry brook, it sweeps the glade,
Brawls over rock and wild cascade,
And, foaming brown with double speed,
Hurries its waters to the Tweed.
11月の空は冷え冷えとうら悲しい。
11月の葉は紅くひからびている。
少し前の季節なら、切り立った渓谷を眺め下ろせば
その縁に我が家のつましい庭があるのだが、
暗く狭い峡谷の底を
細流が流れているのがかろうじて見える程度だった。
緑の森は鬱蒼と茂り絡み合い
おとなしくサラサラと森を縫って細い川は流れていた。
だが今は、ザワザワとどよめいており、流れがあちこちで目に付くようになった、
もはや緑とはいえない、葉の落ちた潅木やイバラの枝の間から。
荒れ狂う川は、林に溢れて突進する。
轟々と怒鳴りながら岩を洗い、荒々しく小滝を連ねる。
そして、泥色に泡立ち、足を倍に速めて
トゥイード川へと合流を急ぐのだ。
AGG(J):1章
冒頭部の対応部はここ。
Mrs. Rachel Lynde lived just where the Avonlea main
road dipped down into a little hollow, fringed with alders
and ladies' eardrops and traversed by a brook that had its
source away back in the woods of the old Cuthbert place;
it was reputed to be an intricate, headlong brook in its
earlier course through those woods, with dark secrets of
pool and cascade; but by the time it reached Lynde's
Hollow it was a quiet, well-conducted little stream, for not
even a brook could run past Mrs. Rachel Lynde's door
without due regard for decency and decorum;
レイチェル・リンド夫人は、アヴォンリー本街道がわずかに
下がって小さな窪地に続くところに住んでいた。
その窪地は榛の木と『貴婦人の耳飾り』の花で縁取られ、
そこを横切って流れる川の源は、年月を経たカスバート地所の森に遡る。
川の上流は、窪地から森を抜けて複雑に急速に流れ、
途中には暗く人の知らない淵や小さな滝があるということだ。
しかし、リンド窪地に至るまでには、静かで落ち着いた小さな
小川となっていた。川でさえ礼節と作法に当然気を配らないでは、
レイチェル・リンド夫人のドアの前を、流れてはいけないかのようである。
"Marmion"の序では、夏から秋(11月)に季節が移り変わり、それに伴って穏やかな細流が怒濤の流れに変化する。
AGG(J):1章
では、頃は6月、森の空間からリンド窪地に空間的に位置が変わるに従って、
複雑な急流が静かで穏やかな小川に変化する。
立地(linn, glenとlittle hollow)、森(wood)、滝(cascade)、小川(rivulet, streamlet, little stream, brook)、
川の流れ方(angry, with double speedとquiet, well-conducted)を対応させて、
Marmionのパロディーを狙ったのだと思う。
いかにアヴォンリーがロマンスとかけ離れて、平和で平凡な村であるかを言っているのだろう。
- Mrs. Rachel
- 語りとマリラしか使っていない。他の人はMrs. Lyndeを使うので、
ただのRachelをフォーマルにしたか、Mrs. Rachel Lyndeを省略した言い方だと思う。
これに似た言い方でスペンサー夫人がMrs. Peter (Blewett)と言っている。
料理のレシピを借りに来ているくらいなので、この二人仲が良いらしい。
この二人はマリラとレイチェルのパロディーなのだろうか?
AGGには、このような鏡(?)に映したような人間の組が現われる。
例えば、アン/ダイアナ、アン/マリラ、マリラ/レイチェル、マリラ/バリー夫人、
レイチェル/スペンサー夫人、マリラ/ブリュエット夫人。
アン/マリラ/プリシー/アラン夫人/ステイシー先生/LMMでもあるので、
主要な登場人物はLMMの鏡像である。
AGGを読むことは、LMMを真ん中に据えたミラー・ハウスを歩き回って、
様々な切子面を楽しむようなものである。
- Sewing Circle
-
LMMもよく縫い物していたらしい。
Church Aid Societyなどの名前が挙げられているので、
教会関係や地域活動などが盛んだったようである。
Church Aid Societyは14章でLadies' Aidと言われているので、
夫人会のようなものらしい。
[日記(E)1]
[日記(E)2]
を読むとLMMがいろんな懇親会(social)に参加して(させられて?)いたことがわかる。
- June
-
-
物語は6月で始まり、マシューがグリーン・ゲイブルズに花嫁を迎える時期に相応しい。
-
[Annotated AGG,p.5]
ではLMMがAGGを書き出したのは1905年の6月と特定しており、
AGG冒頭部は書かれた季節を反映しているとのこと。
- turnip seed
-
グリム童話に、貧乏な男がカブの種を蒔いたら幸運が巡ってきた話がある
[19C. German Stories]
。
蒔いたカブが巨大になって、王に献上したら金貨と土地と家畜をもらって金持ちになった。
このときはマシューが蒔いたのではないが、
トマス・リンドがカブを蒔いたら、アンという幸運がやってきたわけである。
- a myriad of bees
- 蜜蜂は忠実と勤勉さの象徴
[西洋シンボル事典,p.301]
。リンド氏はあまりでてこないので良くわからないが、リンド夫人は申し分なく勤勉。
聖母子のための(小)庭園は一般に動物が排除され
[基教シンボル事典,p.100]
、果樹や蜂など性が無いと考えられていた
[エデンの園,p.141]
ものだけで構成されている。蜜蜂が登場するのは、
AGG 1章の蜜蜂のいるリンド家の果樹園、AGG 8章のリンゴの花から転げだした蜜蜂、
12章の蜜蜂のいるバリー家の庭園。
アヴォンリー自体が一種の庭園であり、理想郷の雰囲気を形成しているのが分かる。
Orchard Slope
も参照。
- Matthew Cuthbert ought to have been sowing his on the big red brook field
- マシューとトマス・リンドが種まきをしている。種蒔く人は聖書の例えで何度か現われる。
例えば蒔いた種の説明
[マタイ伝,013:008]
But other fell into good ground, and brought forth fruit, some
an hundredfold, some sixtyfold, some thirtyfold.
では、ある種は100倍にも育ったとある。良い土地(グリーン・ゲイブルズ)に蒔かれた種(アン)は、
トマスさんやハモンドさんの痩せた土地とは比較にならないくらいすくすく育って、枝を広げた(34章
I'm only just pruned down and branched out.)
。
あるいは1章で種まき、37章で刈り取り、38章で再度種まきなのかもしれない。
- the worthy woman finally concluded.
- worthyは、せんさく好きなリンド夫人への皮肉だろう。
リンド夫人に対する形容詞としてworthy, goodなどが何度か現れる。
- that's what
- リンド夫人の口癖。マリラも使うことがある。
- it was to this day, barely visible from the main road along
which all the other Avonlea houses were so sociably situated.
- 家だけでなく、マリラとマシューも村人とほとんどかかわりがない、
そりが合わない、ということだろう。
アン程ではないが、この二人も社会の端にいる人間である。
アンを触媒にして、この3人が各人各様に社会に溶けこんでいく過程を描いたのが、
AGGなんだと思う。
- grassy lane bordered with wild rose bushes.
-
[基教シンボル事典]
によると、白バラは純潔の象徴で聖母マリアを連想させる。
マリラ(
Marilla
を参照)の住み処であるグリーンゲイブルズに似合っている。
- A body can get used to anything, even to being hanged, as the Irishman said.
-
Samuel Butler(1835-1902)の"The Way of All Flesh"(1903), Chapter LXVI
[Proj.Gutenberg]
に、
most men, indeed, go coolly enough even to be hanged
というのがある。アイルランド人とは関係していないが、意味は似ているので、
AGGのような言い方がされていたのだろうか。
19世紀後半まで継続されていたとは思えないが、
[PEIの歴史]
によると、懲罰は公開されていて、
シャーロットタウンのユーストン・ストリートに、絞首台が設けられていたそうである
[PEIの歴史p.96]
。リンド夫人の言葉は、こういう公開の処刑があったことを反映しているかもしれない。
19世紀初頭なら、処刑の公開と半娯楽化はそんなに珍しいことではなかったのかもしれない。
例えば、アレクサンドル・デュマの「モンテクリスト伯」
[Proj.Gutenberg]
に、1838年のローマで公開処刑になるはずのペッピーノを、
ギロチンにかけられる直前で救ってやるシーン(36章)がある。
be hanged=be hung=be hung up, 心配で落ちつかない
[リーダーズ+]
とも考えられる。つまり、マリラは、アンに振り回されていつも落ち着かないのにも慣れるということ。
[リーダーズ+]
によると、アイルランド人(のイメージ)は、
つじつまの合わないことを言うので有名で、せっかちでおこりっぽい。
これはアン・シャーリーの性格そのまま。
as the Irishman saidは、アン・シャーリーが(マリラに)「いつも落ち着かないのにも慣れわよ」と言った、
と取れる。
- Very green and neat and precise was that yard, set about on one side with great patriarchal
willows and the other with prim Lombardies. Not a stray stick nor stone was to be seen
-
当時のPEIにはLombardiesはまれだったらしい
[Annotated AGG,p.43]
ので、特別な意味がつけられていると考えて良いだろう。
別離や悲しみを表すwillow(柳)は、村の顔役(great)であり、
日頃から積極的に長老派教会の活動に参加している(patriarchal)、
アンを引き取る件で悲観的な(willow)レイチェル、
prim Lombardiesは、堅苦しく几帳面な(prim)孤独の人(lone(孤独な/独身の)+
bodyあるいはbird(どちらも「人」の意味), lone birdで一匹狼
[リーダーズ+]
)で、マリラのことだろう。
"Not a stray stick nor stone was to be seen"は、レイチェルとマリラが仲が良くて、
ごくたまにも(not a stray)棒/笞(stick)や石(stone)で、お互いに傷つけあうことがないということだろう。
- One could have eaten a meal off the ground
without overbrimming the proverbial peck of dirt.
-
諺。"Every man must eat a peck of dirt before he dies."
[Annotated AGG,p.43]
[松本訳,p.475]
[OED]
では次の用例があった。
1710年 Palmer Proverbs lxxix. 221 title, Every man must eat a Peck of ashes before he dies.
Ibid., Every man must eat a peck of dirt in his life!
[創世記,3:14]
にも似た言い方がある。元々はこれがベースなのだろう。
And the LORD God said unto the serpent, Because thou hast done
this, thou art cursed above all cattle, and above every beast
of the field; upon thy belly shalt thou go, and dust shalt
thou eat all the days of thy life:
エホバ神蛇に言たまひけるは汝是を爲{なし}たるに因{より}て
汝は諸{すべて}の家畜と野の諸{すべて}の獣よりも勝りて詛{のろ}はる
汝は腹行{はらばひ}て一生の間塵を食ふべし
- but the east one, whence you got a glimpse of the bloom
white cherry-trees in the left orchard and nodding, slender
birches down in the hollow by the brook, was greened over by
a tangle of vines.
- vine(ブドウ)は、キリストと弟子の関係を意味する
[基教シンボル事典]
[ヨハネ伝,015:005]
。
I am the vine, ye are the branches: He that abideth in me, and
I in him, the same bringeth forth much fruit: for without me
ye can do nothing.
グリーン・ゲイブルズでvineごしに光が漏れる場面は3回登場する
(1章のここ,8章のアンがキリストの絵を見つめる場面,14章のブローチが見つかる場面。
単語帳のvineの項
を参照)
どれも一種の啓示の場面である。
AGGでは、陽の光に限らず、蝋燭、ランプ、暖炉の光は何か(の意味)を照らすものとして、
重要な役目を担う(
単語帳のlightの項
を参照)。ここでは、アンとマリラの関係か、
マリラと全く異なるアンの来訪の予告を意味するのではないか?
[Alpine Path,p.16]
に、キャベンディッシュの家での母の死の思い出の場面(当時LMMは21ヶ月の幼児)で次がある。
Behind them the window was open, and green vines were trailing across it,
while their shadows danced over the floor in a square of sunshine.
葬式の重苦しい雰囲気を思い出しながら書いたのだろうか。
この記憶だけでなく、LMMの記憶能力は非常に優れていたようである。
このことは、AGG全体の(視覚的な)描写に影響していると思われる。
例えば、The Alpine Path
[Alpine Path]
は1917年に書かれているが、その中の記憶の記述と1908年に発行されたAGGのアヴォンリーの記述
(小学校、樺の道などの風景)が非常に似ている。頭にある印象が明確だということだろうか。
ただし、
[Alpine Path]
は日記
[日記(E)1]
から転記したところが多いので、もしかすると小学校の風景等はAGGから持ってきたという可能性もある。
グリーン・ゲイブルズのはwildではないcherry-tree。桜でなくサクランボじゃないだろうか?
AGG(J):4章
のサクランボの果樹園を参照。
[基教シンボル事典p.48]
によると、サクランボは天国の果実で、天国の報酬を暗示し、聖母子と共に描かれる。
桜よりサクランボの方がキリスト教圏ではずっと印象的と言える。
果樹園の白いサクランボと小川近くの窪地で風にゆれるほっそりした樺は、
元気に外で遊び回るやせっぽちのアン(cherry, birch)。
東の窓がツタにおおわれて緑萌えているのは、
アンの元気さ(green)が東の切妻部屋やグリーン・ゲイブルズをツタのようにおおいつくすことだろう。
- always slightly distrustful of sunshine, which
seemed to her too dancing and irresponsible a thing for a
world which was meant to be taken seriously
- 陽の光はアンの象徴で、マリラから見て、自分の好きなだけ気楽に踊ったり遊んだり、
無責任に見えたりすることを意味するのだろう。アンの形容には、踊るように〜するという言い方が多い。
上記のLMMの母の死の思い出の場面
[Alpine Path,p.16]
も参照。
- plate
-
have a lot on one's plateでやるべきことがたくさんあるの意味
[リーダーズ+]
。アンがやって来て、いろんな事件が巻き起こることを意味するのか?
plateはcommunion plate(聖体拝領皿)でもあるか?
聖体拝領はキリストの体を受け取る秘跡
[基教文化事典]
。信仰を持って秘跡に与ると救済が得られるらしい。
この意味では、以下のdishの救済された魂と同じ意味を表す。
- dishes were everyday dishes
-
器は救済された人間の魂を意味することがある
[西洋シンボル事典]
。ここではアンとマシューとマリラの魂の救済か?
[使徒行伝,009:015]
But the Lord said unto him, Go thy way: for he is a chosen
vessel unto me, to bear my name before the Gentiles, and
kings, and the children of Israel:
- crab-apple
-
ここでリンゴは知恵の実や堕罪の象徴ではなく、不老不死の果実、若返りの果実の意味
[西洋シンボル事典]
ではないか?つまりアンという果実を食べることで、マリラとマシューが若返るということでは?
リンゴの酸味に由来しているようだが、crab/crab-appleには意地悪な人, 気むずかし屋の意味
[リーダーズ+]
もある。他に(as) sour as a crabで、とても機嫌が悪い意味がある。
アンに厳しくあたるマリラのことだろうか?
- kangaroo from Australia
-
カンガルーは当時非常に珍しかったのだろうか?
AustraliaやJapanは世界の果ての土地だったんだろう。
[日記(E)2,p.18]
で、LMMはオーストラリアの女の子から手紙をもらってビックリしている。
オーストラリアをはるか遠くの国と感じていたらしい。
To-day I received a very bright, amusing interesting letter from a girl of sixteen
in faraway Austraria.
- instead of being an unheard of innovation
- 新しいことは嫌われる保守的な村ということだろう。
- half-grown little French boys
-
Canadian boy > English boy > French boyという信頼の順らしい。
現在のP.E.I.の人工比率はイギリス系79%,フランス系17%,ミクマク4%。
[PEI写真集]
- lobster
- P.E.I.の特産品。漁業が盛んでロブスター、タラ、
牡蠣、ムラサキガイがよくとれる
[PEI写真集]
。
- lobster canneries or States
- ロブスターの缶詰工場は町にあるとか収入が良いとかで、若者が流れ込んだのか?
StatesはCanada(P.E.I.)から見て、どんなところに見えるのか?夢を追いかけに行くところ?
1881-1891年のカナダの人口増のうち2/3はアメリカへ流出していて、
このころから英国よりアメリカの貿易比重が高くなっていった
[カナダ史,p.208]
ということなので、より良い条件を求めて若者が国外にに流れていったようである。
- At first Matthew suggested getting a Home boy.
-
[Bantam版]
ではBarnado boy。
[Proj.Gutenberg版]
[Puffin版]
はHome boy。
[LMM原稿]
ではBarnardo boy。
Thomas John Branardo(1845-1905)は英国の慈善家。
Barnardo Homeという孤児院を英国各地に作った
[リーダーズ+]
。
[Annotated AGG,p.422]
の付録に当時の孤児院をめぐる状況が詳しく解説されている。
[Alpine Path,p.12]
によると、LMMが小さいときに聞いた親戚の昔話などでは、英国はいつも"Home"と言われていた。
- boy of about ten or eleven...
- 牛や馬と同じで調教して使う雰囲気がうかがえる。
- Well, we've been thinking about it for some time
- マリラも一応理論武装していたようだ。
その割に人づてなので本気かな?と感じさせる。
この時点ではマリラもただの安い労働力を入手する程度の気持ちなので、
実はブリュエット夫人と大して差が無い。
- he set fire to the house at night
-
家に火を付けるは
AGG(J):18章
で、あやうく家事になりかけた、
AGG(J):19章
でローソクの火でダイアナと連絡を取り合いカーテンに火がつきそう等、何度か言及されていて、
半分実現されたようなものである。
- suck the eggs
-
家に火をつける、毒を盛るともにアンが関わる事件に含まれるので、
卵を吸うことも実は何か意味があると思う。
teach one's grandmother (to suck eggs)で釈迦に説法する
[リーダーズ+]
なので、アンがマリラに説法する(言い応えする)のをどうしても止めさせられなかった、
という意味かもしれない。
- Job
-
[ヨブ記]
。Jobはヘブライの族長。辛抱強い人だったらしい
[リーダーズ+]
。
例えば
[ヤコブ書,005:011]
にもヨブの忍耐について記述がある。
Behold, we count them happy which endure. Ye have heard of the
patience of Job, and have seen the end of the Lord; that the
Lord is very pitiful, and of tender mercy.
レイチェルに対する語りの皮肉は何度も現れる。
- But Matthew was terrible set on it.
- あのマシューが乗り気だったのは何故だか良くわからない。
何か心境の変化があったのか?心臓が悪くて将来に不安を感じたから?
マリラの話しを聞いていると、専属の雇い人の感覚で孤児をもらおうと考えたようなので、
子供をもらうというより、雇い人がたまたま扱いやすい子供だった、という選択だったと思われる。
その点で子供を育てた経験のあるレイチェルの方が、
よその子供を引き取ったときの問題を現実的に(悲観的に?)想像できているようである。
- puts strychnine in the well
-
アンが毒を盛ったのは、ダイアナを酔わせた事件、膏薬入りケーキの二つで、実際に実現されてしまった。
[Annotated AGG,p.22]
に従えば、ミニー・メイに飲ませたイペカックも、拡張解釈された毒(実は薬)となる。
- SHE wouldn't shrink from adopting a whole orphan asylum
- 6章のスペンサー屋敷は豪邸のようなので、暮らし向きはよさそうである。
Sheが強調されているのは、派手な生活への批判的な気持ちがあるのか?
- she concluded to go up the road to Robert Bell's
-
店の場合は、William Blair's store、Samuel Lawson's storeと、
事前にはっきり店であることが示されている。
21章でMrs Lynde'sという言い方があるが、これは家の意味。
ここのRobert Bell'sはstoreの記述がないので家のことだろうか、
あるいはMr. Robert Bell'sでないから店だろうか?
Mr.が無いのはリンド夫人より若いから?
一方、日用品を買うのにわざわざカーモディーまででかけるので、
アヴォンリーにはたぶん店が存在しないと思う。
この理由からRobert Bell'sは店でなく家だとと判断した。
- So said Mrs. Rachel to the wild rose bushes out of the fulness of her heart
-
告解席上方の光背の5葉のバラは秘密を口外しない証し
[西洋シンボル事典]
なので、
ここまでのバラに語った台詞はリンド夫人の正直な思いを述べた告解を意味するのだろう。
[Annotated AGG,p.436]
では木や花に花しかけた(11章のジェリーの噂)のはアンだけでなく、
ここでのリンド夫人も含めて考えているが、
リンド夫人は花と対等に話したわけではなく、やはり上記の告解の意味が適当だと思う。
1章冒頭近くで、グリーン・ゲイブルズに来る時もやはり野バラの小径の所でぶつぶつ言っている。
Charles Dickens, "Oliver Twist"
[Proj.Gutenberg]
の1章末尾に
Oliver cried lustily. If he could have known that he was an
orphan, left to the tender mercies of church-wardens and
overseers, perhaps he would have cried the louder.
オリヴァーがやかましく泣きだした。もし自分が孤児であり、
教区委員と救貧委員の手に運命を委ねられたと知っていたら、
たぶんこの子はさらに大声で泣いたことだろう。
という文がある。このレイチェルの独り言に似ていなくもない。
教区委員と救貧委員がマリラとマシューに対応するのかもしれない。
とはいえ、両方とも同じ1章の末尾なので、こういう物語の先を暗示する話の持って行き方はありがち。
必ずしも"Oliver Twist"をベースにしたとは言えず、偶然なんとなく似てしまっただけかもしれない。
[和訳]
[目次]
[前章]
[次章]
osawa
更新日:
2002/12/07