島のアンのメモ : 14章

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島のアン:14章のメモ

the day had crept lingeringly through it and was gone
死の予感が自然を描写する言葉にも表れている。 [Alpine Path,p.16] にある、LMMの母が亡くなる前の様子にもにている。
When I wa twenty-one months old my mother died, in the old home at Cavendish, after a lingerling illness.
Ruby grew paler as the summer waned
11章のリンド夫人の言葉"Ruby Gillis is dying of galloping consumption"の方が近いが、 [日記(E)1,p.317, Jan. 1, 1906] と比較。
Poor Pensie is dying of consumption and I do not know when I have made a more sorrowful visit.
looking tired out
consumptionというくらいだからlooking tired outだと、 結核がうつったようで気になるのだろう。 結核(正式名称:tuberculosis)が当時(19世紀末)のカナダで、 どの程度の病気と認識されどのように治療されていたかWebでは見つけられなかった。 カナダではないが、昔のデータがBrown Univ.の [TB/HIV Research Laboratory/Introduction to Tuberculosis] にあったので、これをベースに推測してみた。
昔は伝染病(the white plague)として恐れられていたようである (the black plagueはペスト)。 19世紀になっても、ショパン、キーツ、ブロンテ姉妹、スティーブンソンなどが、 結核で亡くなっている。
結核に効果を持つ抗生物質のストレプトマイシン(streptomycin)が分離されたのは 20世紀中盤の1944年なので、それまでは有効な治療がなかったといえる。 ルビーはまともに医者の治療を受けている様子がなく、 死病に取りつかれたと村人から思われていたのだろう。 伝染性なのは分かっているから、みんななるべく近づかないようにしていた。 (リンド夫人のセリフ:Mrs. Lynde grumbled about Anne's frequent visits, and declared she would catch consumption)。 デイヴィーのセリフに he always smoked tobacco and it killed all the germs.があるので、 当時は子供でも細菌(というより何か目に見えないもの)が病気を媒介している ことは知っていた、ということだろう。
19世紀初頭の治療法は瀉血(phlebotomy)、 20世紀初頭は安静にして良い空気にあたる(bed rest, fresh air)とのこと。 ルビーの治療は後者と思われる(外の新鮮な空気にあたり、ハンモックで安静にする)。 でもこれでは直りようがない。
予防策として、瘴気(miasma)を発する厨芥(garbage)を避ける (Avoiding garbage from which "miasmas" emanated)というのがあげられているが、 miasmaは沼沢地から発すると考えられていたらしいので、アンのセリフ you shouldn't be out in the dampは、単に湿気で体が冷えるだけでなく、 近くの沼や池の瘴気のことも意味していたのではないだろうか? (汚いことで悪名高かった19世紀のロンドンでは当てはまるが、 田園の広がるアヴォンリーでは当てはまらない?)
症状が進むと肺組織が破壊され呼吸困難になる [結核予防会結核研究所/結核の基礎知識] ようなので、ルビーは肺結核で、睡眠時に呼吸困難で亡くなったのかもしれない。 だがその場合は、笑顔を浮かべて見えたように苦しまずに済むのだろうか?
[Man Environment Desease,p.187] によると、コッホが結核菌を分離したのは1882年のことで、 この舞台の時代における先端医学の成果だった。 これ以前は細菌(germ)は架空の存在で、"細菌理論"だった。 ヴィクトリア朝英国の統計では、病気による死亡原因の上位は、 心臓病(heart disease,13%)、結核(tuberculosis,10%)、 気管支炎(bronchitis,9%)、肺炎(pneumonia,8%)だった [Man Environment Deseasep.192] 。心臓と呼吸器系の病気で死亡する率が高かったようである。
ところで、ヘルマン・メルヴィル(Herman Melville)の「白鯨(Moby Dick)」 100章末に、瀉血らしきシーンがある。 船医バンガーがポケットからランセット(槍状のメス)を取りだしながら、 異常に体温の高いらしいエイハブ船長の腕に(血を抜こうと)近づいてくる。 [Proj.Gutenberg]
[Bunger] ... taking a lancet from his pocket, and drawing near to Ahab's arm.
白鯨を追いかけていた年は1851年なので、19世紀中庸の話である。 捕鯨船の船医の技術は陸の医者より多少時代遅れだったかもしれないが、 瀉血はこの時期程度までは普通の医療行為だったんだろうか?
[PEIの歴史,p.90] によると、(19世紀)当時は「医者の専門家でも麻酔、細菌、殺菌については何も知らなかったし、 ...(中略)...熱を下げたり脈拍数を抑えるには、瀉血が用いられた」とのことだが、 19世紀初頭か、せいぜい前半(マリラが子供の頃)の状況だと思う。
National Tuberculosis Centerに、結核の歴史を簡単にまとめたページ Brief History of Tuberculosis がある。 19世紀中頃(1854)にサナトリウムで治療する方法(栄養を取って、新鮮な空気にあたる) が始まったとのこと。 1895年になってようやくレントゲンがX線を発見したので、 19世紀末〜20世紀初頭ではX線写真を取るなんてまだまだ普通の手法ではなかった。
Sir Walter Scott : "The Heart of Mid-Lothian"(ミッドロジアンの心臓) 41章 [Proj.Gutenberg] に次のように書いてある。
In these isles the severe frost winds which tyrannise over the vegetable creation during a Scottish spring, are comparatively little felt; nor, excepting the gigantic strength of Arran, are they much exposed to the Atlantic storms, lying landlocked and protected to the westward by the shores of Ayrshire. Accordingly, the weeping-willow, the weeping-birch, and other trees of early and pendulous shoots, flourish in these favoured recesses in a degree unknown in our eastern districts; and the air is also said to possess that mildness which is favourable to consumptive cases.
スコットランドでは、春になるといつも風が吹き荒れ、作物に多大な影響を与えるのだが、 これらの島々(スコットランド南西部のクライド湾河口の島のこと)では、 他の地域と比べてこうした霜をもたらす厳しい風がほとんど感じられないと言って良い。 また、十分嵐に耐えられるアラン島は別として、 陸に囲まれ西側をエアーシア(州の名前)の浜で守られていることもあり、 大西洋から吹きつける嵐にそれほどさらされない。 そのため、東部地方と比べてこうした恵まれた入り江にあっては、 シダレヤナギやシダレカンバ等の、成育が早くて枝が垂れ下がる木々が格段に多く見受けられる。 その上、適度に穏やかな風が吹くため、結核の患者に向いているということである。
この話は18世紀前半が舞台なのだが、 既に当時から結核の治療に気候の良い場所で静養する治療は知られていたというより、 この前の段落との前後関係からすると、 スコットがこれを書いた時代(1818)に知られていたということのようである。 ただし、貴族やお金に余裕のある人でないと無理だったかもしれない。
LMMの日記を読むと、病気で医者にかかる記述があまりなくて、家で寝ていたりという場合が多い。 重い病気でない限り医者に頼ることが少なかったようである。 「エミリー」には、怪しげな民間治療法大好きおばさんがでてくる。 医者が少なく、アクセス手段が主に「足」だったからなのだろう。金銭的にも負担だったかもしれない。 「青い城」では外聞の悪さも医者にかかれない理由になっている(この点はLMMも同じ)。 ちなみにLMMが生まれた1874年は、和暦でいうと明治7年。
アトッサ叔母さんによると、ボストンに行ってからルビーの体の調子がおかしくなったようである。 ボストンの衛生状態がどんなだかわからないが、 [パンチ素描集] に19世紀中期のロンドンの描写がある。 (『パンチ』はロンドンの週刊誌で、風刺画が有名。日本語の『ポンチ絵』は、このパンチ誌に由来する。) テムズ川の汚染、衛生状態の悪さ、浮浪児(street arabs, AGG 1章)、貧富の差等、 ヴィクトリア朝大英帝国の繁栄の陰が良く描かれている。例えば衛生に関しては、アカデミックな立場 [Man Environment Desease,p.184] [英社会史,p.434] からすると、当時衛生状態改善のための法律が整備されたのは、 従来の不衛生に対する勝利として描かれるが、『パンチ』の立場では、 切羽詰まった状態に追い込まれてから役人連中がようやく重い腰を上げた(p. 103)、 という風に見方が変わって面白い。
1840-1841年は英国全体が凶作だった(p. 16)ことと、産業革命の影響で農村を追いだされた人達が、 都市で安い賃金で働く労働者となり、その人数が爆発的に増加したことで、 貧富の差が開いたようである。当然それで衛生状態が悪化、病気のまん延、浮浪児の増加と、 悪循環が続くことになるのだろうか。
当時は(貧困層の住む街角等の)腐敗物から発生する硫化水素が、 コレラやチフス等の伝染病の原因と考えられていた(p. 111 (1849年), p. 134 (1855年))。 1830年代半ばにはまだ上下水道ができていなかった(p. 102)とのこと、 いつごろ整備が始まったんだろうか。 p. 184の絵(1851年)には、道路にマンホールの蓋らしき物が描かれているので、 このころには既に整備が始まっていたと思われる。
Her long yellow braids of hair...lay on either side of her
長い髪は官能的欲望の化身の意味 [西洋シンボル事典,p.74] 。ほどいた髪は悔悛を意味する [基教シンボル事典,p.112,161] 。少し前までは前者だったが、今は後者だろう。
I'm AFRAID to die.
ここでは、死んで(地獄/煉獄に落ちて)しまったらどうしよう、とても心配だという意味で良いだろう。 ルビーは自分が教会の正規メンバーなので、考え直したら天国に行ける点は自信があったらしく、 "I'm not afraid but that I'll go to heaven"と言っている。 そして"I get so frightened"と続くのは、美しい天国に行けると頭でわかっていても、 知らない世界に投げ出されるのだから、やはり恐くなってしまう、 恐がらずにいられない、ということ。
ルビーは「天路歴程」part 2の恐怖者(Mr. Fearing)に似ている [天路歴程(E)] [天路歴程(J),続編,pp.152-153] 。恐怖者はとにかく何でも恐がった人だが、結局死の陰の谷も、天国に至る川も、楽々と渡ってしまう。 ルビーは何かとヒステリーを起こすし、死を目前にして恐怖し、死神の影に脅えていた。
"but he [Mr. Fearing] was ready to die for fear. Oh, the hobgoblins will have me! the hobgoblins will have me! cried he;",
恐怖者は恐くて死にそうだった。お化けが捕まえに来る!お化けが捕まえに来る!と叫んだ。
[天路歴程(E)]
ここではhobgoblins(お化け)が死神に相当する。 そして、結局はアンに慰められ、眠るように死んでいった。
"the water of that river was lower at this time than ever I saw it in all my life; so he went over at last, not much above wetshod.",
今までに無いほど川の水が引き、 結局ほとんど足をぬらさずに渡れた。
[天路歴程(E)]
ここでは苦しまずに天国に行けたことを意味する。
Why should you be afraid, Ruby?
人は死ぬ定めなのだから? [Common Prayer] (The Berial of the Dead)より
FORASMUCH as it hath pleased Almighty God, in his wise providence, to take out of this world the soul of our deceased brother, we therefore commit his body to the ground; earth to earth, ashes to ashes, dust to dust;
全能の神が喜び給うのであるから、その賢き神意のもとに、 亡くなりし我らが兄弟をこの世から神にお任せできるよう、 それ故に我らは彼の体を地に委ねる、土を土に、灰を灰に、塵を塵に。
このように、死そのものは神の管轄のもとに執り行われるので、 それに不安を唱えるべき筋合いではない、ということだろうか?
I believe we'll just go on living, a good deal as we live here -- and be OURSELVES just the same -- only it will be easier to be good and to -- follow the highest.
[日記(E)1,p.198, Oct. 7, 1897] に、Elizabeth Stuart Phelps (Elizabeth Stuart Ward)(1844-1911) : "The Gates Ajar"(1868) を読んだ感想を記したところに、
In her idea, we shall keep on being just what we are here, along the lines of higher development and freed from all the clogs and trammels of earth.
とあって、アンの言っていることに似ている。The Gates Ajarにかなり影響を受けたのだろうか? ただし、この後で
It is a pleasing conception and I wish I could believe it firmly
という感想なので、LMMとしてはアンではなくルビーの立場の方が近く感じている。
All the hindrances and perplexities will be taken away, and we shall see clearly.
[日記(E)1,p.317, Jan. 1, 1906] と比較。
This life is only a cloudy day in what may be a succession of varied lives.
it's hard.
耐えられないほどつらい、ではなく、生き続けて妻になることが難しい、と解釈した。
Herb
HerbはHerbertの愛称。herbは食用・薬用・香料植物 [リーダーズ+] 。二人でいると気持ちが安らぐ人の意味だろうか。
That good night in the garden was for all time.
アンのセリフ"Good night, dear."に対応している。
the delicate flowers that Anne had placed about her
アンのそなえた花は,AGG-27章のLily Maidを思い出していたのかもしれない。
She had died in her sleep, painlessly and calmly, and on her face was a smile
AGG-27章では'lay as though she smiled'とある。 またルビーのセリフに、 "Oh, she does look really dead," whispered Ruby Gillis nervouslyがある。 本14章は、このルビーのセリフを受けて書かれたのではないか? 同じく、先のフィリッパ・ゴードンの笑い話(はじめは可笑しかったが、 あとから笑えなくなる点)は、幼い日のLily Maid遊びのことにちょうど重なる?
But death had touched it and consecrated it, bringing out delicate modelings and purity of outline never seen before
死によって、人の普段見えていない素晴らしさが現れるというテーマは、 マシューの死のときと同じである。
[Alpine Path,p.16] にLMMの母の死に顔の描写がある。ルビーの死はLMMの母の死の再現だろうか?
I looked down at Mother's dead face. It was a sweet face, albeit worn and wasted by months of suffering. My mother had been beautiful, and Death, so cruel in all else, had spared the delicate outline of feature, the long silken lashes brushing the hollow cheek, and the smooth masses of golden-brown hair.
美しかったことも、髪の色もルビーに少し似ている。
Ruby is the first of our schoolmates to go. One by one, sooner or later, all the rest of us must follow.
[日記(E)1,p.49, May 8, 1891] と全く同じ。
Poor Will, he is the first of my schoolmates to go. It has begun I suppose -- the first bead on the string has slipped off and one by one sooner or later, all the rest must follow.
医療環境が良くなかったので、寿命が短い、病気になりやすい等、今より死が身近にあったのだろう。 LMMが作りだした世界は、死の香りのする夢の国である。
with a rather shocked smile.
ダイアナは日本人笑いができるらしい。
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osawa@物語倶楽部
更新日:2004/12/31