メモ:7章

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7章 これがアンのお祈り

I'd be in such a hurry to get into bed nice and quiet and imagine things.
nice and quietまでは孤児院の人の言葉でimagine thingsはアンの付け足しだろう。
God is a spirit, infinite, eternal and unchangeable...responded Anne...
教理問答書(catechism, キリスト教の教義と聖書の言葉の解釈に関するFAQのようなもの) からの引用。いくつかの種類があるが、言っていることはだいたい同じ。 アンのセリフと同じものはWestminster Catechismのショートバージョン(全107問) [First Presbyterian Church] にあった。respondは牧師に応唱するの意味があり、ここではWho is God?に対する応唱である。
Westminster Catechismにはないが、例えばBaltimore Catechism [Baltimore Catechism Online] では、 マリラの質問Who is God?に対して、 God is the Creator of heaven and earth, and of all things. (神は天国と地上とすべてのものの創造者) となる。What is God?に対して God is a spirit infinitely perfect. (神は無限で完全な精霊) となる。つまりアンは厳密にはcatechismのテストに落第ということ。 聞いたマリラも分かっていないので落第。
Heidelberg Catechism [Three Forms of Unity] では、 Why is prayer necessary for christians?に対して、
Because it is the chief part of thankfulness which God requires of us:
and also, because God will give his grace and Holy Spirit to those only, who
with sincere desires continually ask them of him, and are thankful for them.
「神に感謝するため祈れ、誠実に継続して祈らないと神の恩恵を受けられないぞ」 と続く。マリラのセリフGod always wants little girls to say their prayers.は、 こういう意味かもしれない。
[Annotated AGG,p.98] ではPresbyterian Shorter Catechismからの引用で、 the Westminster Assembly of Divines(ウェストミンスター神聖議会?) によって書かれたとある。上記のWestminster Catechismと同じものだろうか?
Marilla decided that Anne's religious training must be begun at once.
8章のAnne's Bringing-up is Begunは、これを受けている。
You must say your prayers while you are under my roof
マリラは祈りの根拠を初めは神に求め、対してアンは現実的に無理だったと主張した。 結局マリラは神の根拠で論陣を張れずに、自分の家だからと力で抑えこむ現実策をとった。 この2点でアンの勝ち。この後でアンの機嫌が良いのはそのためか? 語りには、子供(アン)の立場から見た大人や世界に対するいらだちや不合理性が何度も表現されている。
I'd do anything to oblige you.
神のためでなくマリラを喜ばすためだったら。 この時点では、アンにとってマリラもトマス夫人やハモンド夫人と同列だったのではないか? アンが心引かれたのはアヴォンリーでありグリーン・ゲイブルズであり、 ついでにマシューという仲良くやっていけそうな大人がいるこの場所であるから、 マリラ一人が相手なら問題ない、そんなに悪い人じゃないみたいだし、というところだろう。
Why must people kneel down to pray?
臣下が主君に対するように膝まずいて両手を合わせて祈るようになったのは12世紀以降のことで、 初期のキリスト教徒は腕を天にかざして祈った [基教文化事典,p.20] 。こういう祈りの姿勢はオランス(orans)というらしく、 絵を見ると立って掌を上に向けて上げるが軽くひじが曲がる程度 [西洋シンボル事典,p.52] 。肩をすくめているいるようにも見える。 アンの言う森の中の祈りは、原始キリスト教的あるいは異教徒的である。
I'd go out into a great big field all alone or into the deep, deep, woods, ...
[日記(E)1,p.162, July 26, 1896] と比較。
But I would like to go away on Sunday morning to the heart of some great solemn wood and sit down among the ferns with only the companionship of the trees and wood-winds ...
Now I lay me down to sleep...
子供向けのお祈りとしては今でもポピュラーらしい。 マザーグースにも含まれている [松本訳,p.483] [まぁざぐぅす][Dic. Nursery Rhymes] によると、New-England Primer(T. Fleet, Boston, 1737) に入っているのが一番古いようである。 [Dic. Nursery Rhymes] では次の形で記述されている。
Now I lay me down to sleep,
I pray the Lord my soul to keep;
And if I die before I wake,
I pray the Lord my soul to take.
sleep-keep,wake-takeと韻を踏んでいる。 WWWで検索すると、これの替え歌や変形がたくさんみつかる。 そのなかでパロディーではなく、 子供の頃こう教わったと書いてあったのが次の形である。
Now I lay me down to sleep.
I pray thee Lord my soul to keep.
If I should die before I wake,
I pray thee Lord my soul to take.
If I should live for other days,
I pray thee Lord to guide my ways.
今、身を横たえて眠ります
私は神に祈ります、我が魂を守りたまえと
もし目覚めずに死ぬのなら
私は神に祈ります、我が魂を抱きたまえと
もしまだ日々を生きるなら
私は神に祈ります、我が道程を教えたまえと
days-waysも韻を踏んでいて、 the Lordでなくthee Lord(あるいはthee, Lord,)になっている。 If I should live for other days以下がなく、4行構成のものもあった。
自分(やこの歌を歌う自分の子供)の死の可能性を歌っているため、 子供のころは何も考えずお祈りで歌っても、 大人になってみると非常に意味深く感じるらしい(Webページからの印象)。 その意味では、日本の童謡の「シャボン玉飛んだ」がこれに近いかもしれない。
[Annotated AGG,p.99] では少し違っている。
Now I lay me down to sleep
I pray the Lord my soul to keep
If I should die before I wake
I pray the Lord my soul to take

[英米童謡集] はかなり違う。違いすぎるし、お祈りにしては少し変?
Now I lay me down to sleep,
I bag of peanuts at my feet.
If I should die before I wake,
Give them to my sister Kate.
But she had, as I have told you, the glimmerings of a sense of humor
語りが一人称で登場する。 LMMの好きなウォルター・スコットの小説に良く登場する吟遊詩人なら、 一人称で現われてもおかしくないのだろう。
minister
プロテスタント派では聖職者、長老教会派では牧師、ミサでは司祭 [リーダーズ+] と、 宗派の背景が分かっていないと訳語が決まらない。 カスバート家はスコットランド長老教会派らしい記述が何度かでてくるので、ここでは牧師。
各派閥の分離融合は複雑で追いきれなかった。 [基教を知る事典] に各宗派の変遷が書いてあり、簡単にまとめると次のようになる。
16世紀にヨーロッパ各地で起こった起こった宗教改革のうち、 スイスではJohn Calvin(1509-64)によるCalvin派が起こった。 英国では英国国教会(Anglican Church)が起こるが、 カルヴァン主義者から発展した長老教会派(Presbyterian)などと対立した。 長老教会派は教会の代表である長老と牧師が中心であり、 牧師は信徒の一員で教師役をするに過ぎない。
牧師であることは絶えず信徒の批判にさらされることになるため、 信徒の模範であることが要求され、それ故に尊敬されるということなのかもしれない。 アラン牧師夫人に対するアンの尊敬の念は、そういうことも背景にあると思う。 リンド夫人は牧師に対して批判的であるが、 リンド夫人の性格と牧師と信徒が対等だからという両面から来ているのだろうか。 マリラの厳格で質素を重んじる考えかたは、長老教会派の考え方に沿っている。
Gracious heavenly Father, I thank Thee...Yours respectfully,
官公庁向けの堅い手紙の文型になっている。
that's what I'll do.
that's whatはレイチェルのよく言うセリフ。マリラにもうつった?
we can't get through this world without our share of trouble.
諺?
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osawa
更新日: 2002/12/07