メモ:22章

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22章 アン、お茶に招待される

For Anne to take things calmly would have been to change her nature. All "spirit and fire and dew," as she was,...
ナサニエル・ホーソーン(Nathaniel Hawthorne), "緋文字(The Scarlet Letter)" (1850), [Proj.Gutenberg] 6章に、ヘスター(Hester)の娘パール(Pearl)の記述がある。
Pearl's aspect was imbued with a spell of infinite variety; in this one child there were many children, comprehending the full scope between the wild-flower prettiness of a peasant-baby, and the pomp, in little, of an infant princess. Throughout all, however, there was a trait of passion, a certain depth of hue, which she never lost; and if in any of her changes, she had grown fainter or paler, she would have ceased to be herself--it would have been no longer Pearl!
パールの姿には、無数に変化する魔力が染み込んでいた。 この一人の子供の中にたくさんの子供がいて、農民の赤ん坊のような野の花の可愛らしさから、 幼い王女のような多少の華やかさに至るまで、様々な面を包み込んでいた。 しかし、どんな面が現われていても、そこには必ず烈しい情熱の色が、確かな色相の深みが含まれていて、 決して消えることはなかった。そしてもし、何であれパールに変化が生じて、 情熱が薄れ、あるいは弱まったとしたら、パールはパールであることを辞めることになる-- それは、もはやパールとは呼べないのだ!
...
Pearl was imbibing her soul from the spiritual world, and her bodily frame from its material of earth.
パールは、自己の魂を霊的世界から吸収し、その骨格を物質世界から吸収していた。
この記述は22章のこの文に似ている。 アン自身が生得的に魔力を持っていること、あるいは妖精のようなところ、 アンの中にたくさんのアンがいること(20章)、 烈しい情熱を内に秘めていること、もしそれがなくなって冷静なアンになってしまったら、 アンとは呼べなくなること(22章)、アンは「霊(spirit)と火(fire)と露(dew)」でできていること(22章)。 アンはかなりパールに似てると思う。
一方、胸にAのマーク(adultery(姦通)の頭文字)を縫い付けているヘスターも、 アンに通じる所がある [Annotated AGG,p.28] [完全版,p.481] (アンは、胸に誰が見てもわかるAnneの"A", Anger(憤怒, 7つの大罪の1つ) の"A"のマークを付けているようなもの。15章ではアンもさらし台に立った。)。
緋文字の舞台(17世紀初頭-中頃?)はAGG(19世紀末)と時代がずれているが、 同じく新大陸の新教の社会を扱っているため、 小さな社会の中で孤立するパールとアンが似てくるのだと思う。 アヴォンリーが昔を色濃く引きずっていることを考えると、 この2作品の実際の時代差はもっと少ないのかもしれない。
impulsive soul
他にも、アンはsensitiveとかhighstrungとか表現される。
a dancing sunbeam in one of the brook shallows
直接には、22章の"She had come dancing up the lane, like a wind-blown sprite"に対応する。
1章の"sunshine, which seemed to her too dancing and irresponsible a thing for a world which was meant to be taken seriously"から始まり、AGGに何度も現われるdance/dancingは、 アン、若さ、陽気さ、自由、無責任の象徴であり、マリラの考えと相いれないものを意味する。
LMMもダンスが好きだが、踊る機会はそうなかったかもしれない。 [日記(E)1,p.175, Jan. 2, 1897]
... of course in that strictly Baptist household[Celeb Lee's] there was no dancing.
[日記(E)1,p.182, Mar. 15, 1897] と比較。
I love dancing and I loathe croquinole.
as she sorrowfully admitted to herself
21章末のアンの台詞"admitted Anne mournfully"に対応させているのか?
deeps of affliction
絶望の深み(depths of despair)と同義だが、何か別の言葉にした意味があるんだろうか?
waif of the world
2章でも同じ表現がある。3章ではstray waif。
all things have an end
遠い昔から言われていそうなので、これがオリジナルかわからないが、 J. de La Fontaine (1621-1695), "The Fox and the Gnat", Fable 5 [Familiar Quot. Archive]
In everything one must consider the end.
You don't know how good I feel!
7章の"You'd find it easier to be bad than good if you had red hair" や、10章の"It would be so much easier to be good if one's hair was a handsome auburn, don't you think?" のように、外的圧力によってはなかなか「良い子」になれないけれど、 きっかけさえあれば自然に良い振る舞いができる。
Family Herald
モントリオールの週刊新聞"The Family Herald and Weekly Star"(1869-1968年)のこと [Annotated AGG,p.247] [アンの生活事典,p.153] 。 サブタイトルは"Canada's National Farm Magazine"で (McGill大学のアーカイブを参照) 、農業関係の記事と小説、詩等を掲載していたようである。 "Farmer's Advocate"誌と同じで、マリラがやりくりするカスバート家では、 たぶん主に農業の記事を読むという実利的な目的のために購読していたのだろう。
ちなみに、Family Heraldの名前の雑誌は、少なくとも、米国の(?)週刊誌(1857-186X年)、 ロンドンの週刊誌(1843-1940年)がある。
the twilight, under a great, high-sprung sky ... rosy cloud
空の描写はアンの気持ちとリンクしている。 twilightは絶頂期を過ぎた意味 [リーダーズ+] で、今まで素晴らしい時間を過ごしたことを意味するのだろう。 skyの形容"high-sprung"は、アンの形容"high-strung"を意識してのことだろうか? 11章の教会に行った時にアンが飾った帽子の花飾り"golden frenzy of wind-stirred buttercups and a glory of wild roses"と同じ配色であることに注意。
One clear star hung over the orchard and the fireflies were flitting over in Lover's Lane
この前に現われる、周りを取り囲むモミの丘(firry hills), 星が1つ(Stella Maris「海の星」という聖母の称号を表す [基教シンボル事典,p.218] , one clear star), 果樹園(=庭園, orchard), 火(=聖霊[Holy Ghost/Spirit]の顕現 [基教シンボル事典,p.91] , fireflies), Lover's Lane(マリラとアンの幸せな関係),何の悩みもなく満ち足りた幸福感、 これはみな、聖母子であるマリラとアンだけの小庭園(garden enclosed) [日記(E)1,p.263, Aug.28, 1901] に相応しい。これに比較すると、12章のバリーの庭は、対等な立場のダイアナとアンのための庭なので、 エデンの園の方が似付かわしいだろう。
[Anne] somehow felt that wind and stars and fireflies were all tangled up together into something unutterably sweet and enchanting.
ここだけでなく、22章全体に奇妙なほどの幸福感が溢れているように思う。 13章のように、14章の大災厄と転機という嵐の前の静けさなんだろうか。 あるいは、14章とは違って、グリーン・ゲイブルズに帰属することに何の問題もなくなって、 マリラとアンが、ただただ幸せな時間を持てるようになった事を意味するのだろうか。
Some people are naturally good, you know, and others are not.
カルバン主義にある予定説もこれと同じで、人生の予定は神により定まっているというもの。 自分が神に選ばれているかどうかは分からないのだが、 もし自分が救われないグループにいたらと考え出すと、文字通り救いようがなくなってしまう。 アンにすれば、自分が生まれつき良い性格とはいえない自信があるから、 こんな考え方は生きる上で全く何の役にも立たないものであり、 信仰生活への反感の根源はたぶんこんな所にあると思う。7章のような、 神との直接対話によるプライベートで原始的な信仰形態にはこんな制限がつきまとわないので、 アンも難なく受け入れられるのだろう。
White Sands Sunday school.
アラン夫人の受け持ちだったのだろう。牧師夫人だったLMMと同じで、 いくつかの地区に出かけていく忙しい毎日だったと思われる。
Mrs. Allan played and sang
何を演奏したか書いていないが、オルガンで賛美歌? LMMも教会でオルガンを弾いていた(弾かされていた)。
Charlottetown hospital
hospitalは病院の他に慈善施設の意味もあるが、どちらだったのだろうか?
Lauretta said she expected to be asked herself someday.
19章でも同じように、"Do you suppose we will ever be asked to do it, Diana?"と、 コンサートの後でダイアナに聞いている。コンサートで暗誦したくてしょうがないらしい。
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osawa
更新日: 2002/12/07