そこでやむなくツアー客の有志が、 ツアー仲間の荷物のうち、 まだ運び出されていない(つまり、まだ部屋の外のドアの所に置かれたままの)スーツケースを運ぶ事となった。 私もスーツケースを転がしてエレベーターに入れ、 「よろしく!」と言って階段を駆け降りる。 ところが、エレベーターが降りてこない。 にわか編成の運搬チームなので連係がうまくいかず、 エレベーターのボタンを誰も押さなかったようである。 やっと荷物はロビーのある地階へ。 しかし、このエレベーターがどうも良く判らない。 いかにも「後で付け足しました」といった感じで、 エレベーターのドアとは別の扉がある。 そして、この扉がうまく開かない。 3分の1程度しか開かないのだ。 これでまたエレベーターが荷物を積んだまま上に上がったりしたら、 さらに出発が遅れてしまう。 添乗員さん、および、女性ツアー客がドアを開けようと試みるが、開かなかった。 そこで「失礼」と言ってドアの隙間に身体をこじ入れ、 満員電車で押し潰されそうになった時にやる手法、すなわち、 両手で左のドアを押え、腰で右のドアを押し、 渾身の力を込めて両手を突っ張る。 ドアは開いた。その体勢のまま荷物を次々とエレベーターの外に引っぱり出した。
荷物はバスに積まれ、事無きを得た。 それにしても、添乗員さんはホテルのポーターの不手際の尻拭いまでしなければならないので大変である。
それに、ワグナーの音楽は題材が戦争と結び付いている。 ワグナー自身も軍隊生活を送った事がある。 私も、フランシス・コッポラ監督の映画「地獄の黙示録」で、 米軍の軍曹が戦闘ヘリコプターからワグナーの音楽を大音響で鳴らし、 笑いながら機関銃でベトナム人を撃ちまくるといったシーンがあったように記憶している。
何よりもワグナーの評判を落しているのは、 彼がドイツ至上主義者だった事である。 ドイツ人は世界で一番、優れているという考えを強烈に持っていた。 そして最も悪評のワグネリアンは、 アドルフ・ヒトラーである。 ヒトラーもワグナーが熱狂的に好きだった。 そうして、ドイツ人は世界で一番優れた民族だという考えに深い影響を受けた。 そしてヒトラーは第2次世界大戦を起こし、 600万人ものユダヤ人、他にもスラブ人や社会主義者、 ナチを支持しない人達の命を無惨に奪う事になる。
それで、ユダヤ人にとってワグナーはあまりにも忌まわしいので、 第2次世界大戦から半世紀以上経った今でも、 イスラエル国内の演奏会のアンコールなどで(最初から組み入れられる事は無いようである。客が来ないので興行的に成り立たないのだろう)ワグナーの曲を演奏しようとすると、 聴衆の激しい怒りを引き起こし、罵声と怒号を浴びて演奏中止になる事もある。 私は・・・・そうだねぇ、、、ある民族は他の民族より優越である、 なんて考えは受け入れ難い。 そういう事情があったと判れば、ワグナーの思想を反映したかのような、 暴力的な音楽をわざわざ聞こうとは思わない。 ワグナーが大好きなんて人間も、色眼鏡で見るようになるだろう。 「音楽に罪はない」なんて意見は却下。 もっと良い作曲家は他にも沢山いるのだから。
田園風景を見ながらバスはホーエンシュヴァンガウへ向かう。 道路が混雑していて時間がかかると、 間に合うのだろうかとハラハラする。 しかし幸い途中から空いてきて、 結果的に時間に余裕ができた。
それで添乗員さんがヴィース教会という所に寄るように運転手に告げてくれた。 ここは遠くはハンガリーからも巡礼者が来るらしい。 内部の天井にフレスコ画がある。 日本人はあまり訪れないとの事。 入場料無料という事で、 観光地化されていない(ただし外には土産物屋はある)のはいいとして、 「撮影禁止と英語で書いてありますよ」とツアー同行者に教えても、 そんな物は関係無いとばかりにフラッシュをバシャバシャ焚いているのは気になる。 せっかくの好意で旅行者に解放しているのだから、 たとえ自分がクリスチャンではないとしても、 ここに礼拝に来る人達の心情も考慮した方がいいのでは。 私は思った。「いずれ、日本語で撮影禁止と書かれる日が来るだろう」と。 それでも守らなかったらどうなるのかは知らないが。
再びバスに乗る。 今日は晴天で、雲1つ無い。 遠くからノイシュヴァンシュタインが小さく見える。 運転手によると、「ここの距離から見えるほどの好天は滅多に無い」との事。 今日は慌てて走る必要は無さそうだ。
そう言えば昨日ビールを飲んだホフブロイはヒトラーが演説した所だっけまあ、狭い城の前にツアー客が集中して大混雑、 長時間待たされて苦情続出という状況も確かに好ましくないので、 「ツアー客をコントロールしたい、見学時間を守らせたい」というのは理解できるのだが、 やはりちょっと極端に走っている気もする。
いずれにせよ、今日は間に合って良かった。
さて、まず小型のバスに乗って山の中腹まで行き、降りる。 山道を登ると、マリエン橋の上からノイシュヴァンシュタインが裏手から見下ろせる。 ここの遥か下には清流が音を立てて流れ、遠くにはフォルッゲン湖も見える。 非常に素晴らしい眺めである。 以前ノイシュヴァンシュタインに来た時はこの橋からの眺めの素晴らしさを知らず、 ここに立たなかった事を今更ながら惜しく思った程である。 この光景を胸に焼き付け、帰国後に Web ページに載せるためにデジカメでスナップを撮る。
見学予定時間も近付いてきた。山道を降りて、 いよいよノイシュヴァンシュタインへ。
入場券を、日本の駅の自動改札機の様な物に通して入る。 オーディオ式のガイドがある。 これは、特定の場所に来ると、そこに適した案内がスタートする仕組みである。 多分、IC再生と、赤外線リモコンといったシステムではないかと思うが、 とにかく調子が悪い。 ドイツの技術も意外と大した事はないようである。 もちろん、城の内部は素晴らしい。
こうして、バイエルン王国の財政を傾けさせたルードウィヒ2世、 そして彼が築城させたノイシュヴァンシュタインの虚しい結末ではある。 しかし今やこれがドイツ No.1 の観光名所となって、 世界中から城を見るために旅行客が集まってくるのである。
ノイシュヴァンシュタインの出口にある売店で一旦自由行動となり、 バスが着いた所にある別の土産物屋に集合となった。 城から土産物屋までは約15分で降りられるという話しであったが、 両親の足腰を考え、20分前に下山を開始したが、 20分でも厳しかった。 父と母にとっては、かなり急いで坂を下ったようで、 後にここでの無理がこたえる事になったようである。
もっとも、シニア向けではなく一般の人向けのツアーを選んだ以上、 皆のペースに合わせなければいけないという厳しい見方もできる
レストランで昼食。 ここではスープとジャガイモと肉と、甘ったるいデザート。 飲物はいつも同様、別料金なんだが・・・ウエイターがいない。 給仕が済むと、どこかへ行ってしまった。 どうやって料金を払うんだ? 厨房にも人がいない。 どうなってるんだ、このレストランは? みんな揃って昼休みか? バスに集合する時間が迫ってきて、ツアーのみんなは困ってしまった。 気の早い人は「いないんだから、しょうがないよ」と言ってテーブルにお金を置いて出ていってしまった。 律義な人達はレストランの中を探し回って、 ようやくウエイトレスをつかまえ、会計を済ませた。 それにしても、ドイツの田舎町はよほど治安がいいらしい。 食い逃げというものは存在しないのか、 良くわからないが、 だれも会計に来ないのだからのどかな物である。
バスはボーデン湖へ。この辺は国境が入り組んでいて、 一旦オーストリア領に入る。トイレ休憩が入るが、 オーストリアシリングは持っていないが・・・と思ったが、 幸い無料だった。 そしてスイスへ。夜だが、まだ明るい。
スイスの山並は、ドイツと幾らが違うが美しい。 スイスの家はドイツと違って飾り毛が無い。 雪が多いので、窓に突起は出せないし、 窓辺を花で飾るという事もできない;スイスでは花は野や庭に咲いている。
インターラーケンは、その名の通り湖に囲まれている。 途中で「雅子様のチョコレート」という看板があった。 何でも、雅子様が結婚前、皇太子殿下に贈ったチョコレートだそうだ。 私はすぐに「高そうだなぁ」とイヤな予感に包まれた。 しかし、もう夜も遅いので(外は明るいのだが)、 こんな時間にやっている土産物屋は他に無く、 かつみんなの希望とトイレ休憩を兼ねるという事でバスは土産物屋に止まる。 待ち構えていた獲物を見つけたかのように店員が出てきて、 「お茶が入っております。どうぞ召し上がって下さい。チョコレートの試食も行なっております」と営業活動。 「まったく」と私は思った。 「こんな時間に旅行しているのも日本人なら、 こんな時間まで土産物屋を開いて働いているのも日本人か」と思った。 なんでも、夜10時まで営業との事。 いやはや、猛烈な働きぶりである。 私はチョコレートの値段を見てびっくりし、 サービスのお茶も試食もあずからずに外へ。 (多分、絵葉書ならホテルにもあるだろうし、 そちらの方が安いと見当を付けた)
湖畔にでも降りてみたいと思ったが、団体行動では勝手は謹まないといけない。 道端のベンチに座る。 疲れて横になりたい所だが、、、、ボーッとして時間を潰す。
土産を買って満足したツアー仲間はバスへ。 そしてバスはインターラーケンの町へ。 もう10時近い。チェックインが済み、 食事へ。
食事も終りに近付き、 ウェイトレスはテーブルを片付け始めた。 彼女は私のビールのグラスをひっくりかえした。 私はとっさに「このいい加減なウェイトレス、 客にビールをこぼしても責任を取るかどうか怪しい物だ」と思った。 瞬間、身体はよけていた。 するとこのウェイトレス、 もうグラスはほとんど空なのに、 こんなにびっくりして大袈裟によけるなんて可笑しいとばかり、 私の肩を叩いてゲラゲラ笑った。 なんて雑な仕事の仕方なんだろう。 自分で失敗をしておいて、挙げ句に謝るどころか客を馬鹿にするのだからどうしようもない。 ラテン気質は、どうも私の性分に合わない。
やはりホテルのフロントの方が絵葉書は安かった。 お湯が出ないので再びフロントに行き、文句を言う。 「日本から団体客が来て、一斉にシャワーを使い始めたので ボイラーの能力を越えてしまった。 急いでボイラーを強くしたのでしばらく待って欲しい」との事。 やれやれ、団体客を受け入れるだけの設備が無いないなら、 「団体お断り」とでもすればいいのにと思った。
でもしばらくするとお湯が出るようになった。 今日は本当に疲れたので、洗濯はしない。 しかし絵葉書はどうしても今日中に書かないといけない。 個人旅行なら、葉書を書く程度は造作も無いのだが、 ツアーだと睡眠時間を削らないといけなくなる。 根性で葉書を5枚書いて寝た。
Last modified Date: 2001-08-08 00:37:22+09