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最終日の朝

今日で旅行も終りだ。朝7時に起きて現地の英語ニュースを聞く。 それによると、 英 Sunday Times が、 イスラエルは核搭載可能な巡行ミサイルの開発に成功した事を引用して報道していた。 テストはスリランカで行なわれたらしい。 (一見、中立公正で自分に不利な事も正直に報道しているように見えるが、 Sunday Times が既に公にした事以上の事は全く触れていない) また、昨日はベスレヘムで700人がデモをした、 モハメッドの誕生日を祝っての、ハマス主催の物だという。 世界平和は遠い。なかなか複雑な気分を味わった朝であった。 朝食を取りに3階のビュッフェに行く。 いつもなら食べ放題なんだが、 なぜか今日は既に皿に1人分が既に盛ってある。 日曜だからかなのか、良く判らない。

手紙を出しにヘロデゲートの外の郵便局まで行く。 よく「手紙を出すぐらいの時間も無いのか」と言う人もいるが、 実際は海外で手紙を出すのは(超一流のホテルでチップさえ渡せば何でもやってくれるような所は別として)非常に手間である。窓口で聞いたら、 日本まで2.30シェケルとの事。安いと言える。

勇敢な旅行者

絵葉書を出してヘロデゲートの所に戻ると、 2人の年配の夫婦連れの旅行者がいた。 そして回りの人に「チャーチ」「ジーザス」と連呼して、 辺りのアラブ人に道を聞いている。それにしても、凄いと思った。 英語はこの2言しか話せないのに、夫婦2人でエルサレムまで来るか? 見るからに善良そのものの夫婦で、 これならスリやボッタクリもかえって遠慮しそうである。 ドイツ人かな、とも思ったが良くわからない。 しょうがないなと思ったのか、 アラブ青年がどこに行きたいのか一生懸命聞いてみたが、 「チャーチ」と「ジーザス」しか言わない。 見かねて私が「ここにはイエス・キリストゆかりの協会は沢山あります。 どの教会に行きたいのですか?」と地図を示して聞いた。 答えは、「チャーチ」「ジーザス」、そして、祈るしぐさだった。 駄目だこりゃ、と思って私が見捨てた2人を、アラブ人が気を効かせて、 「ダマスカスゲートに行って聞け」と教えた。 まあ、確かに、 Curch of the holy Sepulchre に行きたがっている可能性が一番高いだろうから、それならダマスカスゲートから行く方が一番分かり易い。 それにしても、さっぱり要領を得ない質問に最適解を出すアラブ人もすごいが、 何より、この年配の夫婦の勇敢さには敬服した。 今まで色々な国に行ったが、 2言しか英語が話せない(もちろん現地語は一切知らない)状態で外国に旅行する程に度胸がある人は初めて見た。 私にはとても無理だ。

Al Hashim に戻る。 KLM の出発時間が変更になっていないかどうかを確認しなければならない。 しかし受付で「電話をかけさせてくれ」と言ったら、 3階でかけろとの事。3階にある公衆電話はカード式で、 1回か2回しかかけない旅行者が使うのは無駄が多過ぎる、 少し払うからかけさせてくれといっても、カードを買えとの事。 コインでかけられる所はないかと聞き、 結局、行きつけのインターネットカフェに行く。 ここで KLM に電話したら、テープのメッセージしか出ない。 なんじゃ、これは? と思っているうちにコインが尽きた。 番号を再確認して、またかける。 結局、テープは英語とヘブライ語で、 「リコンファームの必要はありません。フライト時間の変更はありません」 と言っているようだ。イマイチ確証が無いが、どうせ19日の早朝のフライトで、 18日の夜中には飛行場に行く訳だから、 時間が変更になったって乗り遅れやしないので、気にしない事にする。

洞窟探検

次の見場所はヒゼキヤのトンネルである。 歩いていったが、ちょっと遠い。 途中で日焼けしたアラブ人が、トラックの運転席から腕を出して、 "Hey, give me your money!" と言ってくる。 びっくりしてよけると、相手はバカ笑いをして走り去って行った。やな感じ。 さらに歩いていると、入口らしき物が見えた。 するとレストハウスの主人が「ギホンの泉か? こっちだ。ところで、少し休んでいかないか?」というので、お礼だけ言ってレストハウスには寄らずに入場券を買う。 切符売りからは「学生か?」と聞かれ、違いますと言う。 「学生じゃないのか?」と念を押され、「そんなワケないだろう!」と思いつつ、 12シェケル払う。 どうやら、東洋人の年齢の見当の付け方には慣れていないようだ。 (東洋人は白人より若く見られる事が多いが、 黒人も、人種が事なる人間から見た場合の状況は似ているらしい。 ちなみにこの切符売りも黒人だが) 「懐中電灯は持っているのか」と聞かれ、無いと答えると、 中は暗いのでロウソクが必要だ、そこのレストハウスで買え、と言われる。 ボラれないように、ロウソクの値段を聞いたが、知らないとの事。 しかし、どうも私には、 この切符売りとレストハウスのオヤジは友達なんだろうなと思った。 きっと、時々ジュースでも飲ませてもらっているに違いない。 仕方ないので、ロウソクを買う。 さっきの店主が「まあ、座れ。どこから来た」と愛想良く声を掛ける。 暑いのでジュースを飲んだりした。 「中は暗いので、ロウソクが必要だ。 でも、1本だと途中で燃え尽きてしまうので、2本いる」
確かにガイドブックにもそう買いてある。 しかし、最初から2本売りつけるつもりで、 普通の人ならトンネルを通っている間に1本では持たないように計算してロウソクを作っているのではないかと思った。 「今日は初めての客だから、ジュースは3シェケルにしておくよ」という事で、 少し負けてもらった。
当地では、朝一番の客にサービスすると、 その日は繁盛すると信じられている。 まあ、確かに日本でも開店セールというのは良くある事だが
さて、トンネルに入る。 あれ?・・・水路の脇を通るのかと思ったが・・・目の前は小川のようになっている。 足がちょっと濡れるかな、まあいいやと思って一歩踏み出した所で「ヒエェ〜!」と叫びそうになる。腰近くの深さまで冷たい水が流れていて、 かなり本格的な洞窟探検である。観光気分は吹き飛んだ。 やっと一人が通れるぐらいの狭い岩の割れ目の中を水は流れている。 腰のカメラが濡れないかと心配である。 目が悪いので、足元も天井(所々に低い箇所あり)も良く見えないので、 ロウソクを上に下に振りながら、転倒しないように注意して歩く。 ロウソクが無ければ完全な暗闇だ。 時おり風が吹いてきて、火が消えそうになるので、 ガイドブックで風を遮る。 歩いているうちに、アメリカ人とおぼしき男女4名程が、 準備良く懐中電灯持参でやってくる。 ロウソクに比べると懐中電灯は、文明の利器というか、ちゃんと足元が照らせるらしく、 ほとんど勘と手探り状態の私よりペースが早い。 「ハロー」と声を掛け、先に行ってもらう。 ロウソクしか持っていない私を見て、「あなた、勇気があるわね」と言われる。 それにしても、よくヒゼキヤの時代にこんなすごい地下水路を掘った物だと関心する。 ようやく光が見えた時には、 正直言ってほっとした。 太陽がまぶしい。 出口の階段に座って靴を脱ぎ、ひっくりかえして水を出す。 靴下を絞って階段の手摺に干して、足をブラブラさせる。 もっとも、この程度ではびしょ濡れになった靴は乾かないが。 それで、どこかで安いサンダルでも売っていたら買って履き代えようと考えた。

外に出て、当分見る事も無いであろう Western Wall を見て、 そしてシオンゲートの近くの、値段が付いている土産物屋に行く。 キョロキョロ見ていたら、店主に声をかけられた。 サンダルは無いかと聞くと、 スーク(市場。ここでは Souq Khan az-Zeit 通り、つまり Al-Hashin の前の通り)へ行けとの事。 土産に羊の縫いぐるみを20シェケルで買う。 もっとも今日は Mahane Yehuda の市場で土産を買う予定なのだ。 アラブ経営の店では、値段の交渉をしないといけないが、 イスラエル経営の店では値段が付いていて、 相場を知らない旅行者には便利だと思ったのである。 しかし、何らかの事情で土産を買い損ねるとまずいので、 保険のつもりで羊を一匹買っておいた訳である。 しかしこの時点では、結局これが唯一のイスラエル土産になるとは知る由も無かった。

イスラエル博物館

来るのが遅くなってしまったが、 まず書庫に行き、死海写本を見る。 死海写本の解読は進み、まもなく本が出版されるとある。 見て読める物でもないので、他の展示物を見に行く。 近隣アラブ諸国の民族資料館、 美術館(絵は少ない) も見ていたが、 何と4:50頃になると「5時に閉めるから」と言って追い出される。 5時閉館というのは、5時まで見れるという事ではなく、 客を全員追い出して5時には閉館してしまうという意味のようだ。 喫茶コーナーはまだやっているが、別に安くはないのでパス。

なお、イスラエル博物館の Web は、 ボランティアの手によって非常に内容が充実したと聞く。 英文の解説になるが、こちらを御覧あれ。 <http://www.imj.org.il/>

クレジットカードが!

エルサレムの Central Bus Station の近くに付いた。 歩いてバスステーションに行く。 ここには銀行があるから、コーラでも飲もうか。 でも待てよ、お金を下ろしてからにしよう。 なぜか、そう思った。 さて、 Leumi Bank の ATM が動いていた、 エイラートの銀行で使った時に判った事だが、 ATM の画面はヘブライ語しか無くても、 海外で発行されたクレジットカードを入れると英語の表示に変わるのだ。 さて、3台あるATMの一番左に Master Card を入れた。 カードはすぐに突き返された。 これじゃないのか。そこで、右のATMに入れた。 表示が英語に変わる。IDを入れて400シェケルを引き出す。 Your transaction has been processed と出たが、なぜか Sorry, your card had been retained と出て、 Call 03-XXX-#### と出た。 あれ、と思っている間に、連絡先の番号も消えてしまった。 カードはATMに取られ、画面表示はヘブライ語になった。 銀行の窓口は開いていない。 狼狽していると、どうしたのかと男性が尋ねてくれた。 事情を説明すると、銀行のドアを叩いて、緊急だから何とかしてくれと言う様にとアドバイスしてくれた。そこで警備員に事情を説明したが、 あいにく英語があまり理解できない。 明日、7時に来いとの事。食い下がったが、駄目であった。 そこで私は、何とか他の人に連絡がつけられないかと思って、 まるで侵入口を下見に来た銀行強盗の様にウロついたが、 どうにもならず。 以前の海外旅行でも、絶体絶命のピンチは何度も経験しているが・・・ まあ、今までのトラブルの方がもっと凄かったから、大した事は無いだろう。 今は手ブラに近いので、一旦宿に戻る事にしよう。

$14でエルサレムから生還

ロビーの椅子に腰かけてサイフの中を調べる。 小銭が幾らか入っている。バス代はなんとかなるだろう。 さて、バインダーをめくると、 T/C を無くした時の備えと、 クレジットカードの番号の控えはあった。 しかし、クレジットカードを無くした時の連絡先は、 ノートには書いていなかった。 何てバカなんだろう、と思った。 連絡先はインターネットを利用すれば判るように備えてあったのだが、 それだけでは不十分であった。紙に印刷して持ち歩くべきだった。 この時点で持っていたのは、 である。さて、作戦を考える。こういう時は落ち着いて、 最善策(あるいは、最も犠牲が少なくて済む方法)を決断し、 実行しなければならないのだ。

オプション1:インターネットカフェに行って東京のセゾンカウンターの緊急連絡用コレクトコールの番号を調べるか否か。
→ インターネットカフェを使うのに5シェケルかかり、バス代が無くなってしまう。 それに、もしカードが使用停止になっていれば、「もう連絡しても事態は改善されるわけではない」ので、後でかけても変わらないだろう。 それに、どうせ銀行が開くのは明日だ。 でも、電話しないというのは悪用された場合の事を考えると気になるが。

オプション2:中央バスステーションまで、市内バスを使うか否か。
→ 3.70 シェケルかかる。

使えるお金が幾らあるかを考える。 アムステルダムで少し滞在するし、 帰国したら外貨を両替して日本円を手に入れ、 成田から上野まで京成が1000円。 JRの切符代も必要なので、 為替レートがどうなっているのか判らないが、 $14しか無い以上、「シェケルに替えられるようなお金は無い」と思った。 一応、宿の受け付けで「中央バスステーションからベングリオン空港まで幾らだと思う?」と聞いてみた。20シェケルという答が帰ってくる。 やはり、その位であろう。 現在、20シェケルなら、ギリギリあるな。 だったら、旧市街から中央バスステーションまで歩けばなんとかなる。 そこでロビーで荷物を広げ、長距離歩行に向く様にパッキングをしなおす。 7時を過ぎているが、幸いまだ外は明るい。 (手を叩いて喜ぶ程ではないが、暗い道を歩くのに比べればマシというか) ダマスカスゲートから Jaffa Road に向かって歩いていると、 「こいつ、旅行者だな」と見て悟ったパレスチナのガキが2人、ヨオ! とばかりにふざけて肩をたたく。 手が汚れていて、シャツの触られた部分が汚れた。まったく!
相手にせずに歩いていたら、今度は3人のイスラエルのガキが、 1.5 リットル程あるオレンジジュースのボトルを手に、 「ホレ!」といった感じで、ひっかける仕草をした。 「冗談じゃない、オレンジジュースなんか、かけられてたまるか」と反射的に後ずさりしたら、「ジャパニーズ?」と言って、3人で笑っている。 まったく頭に来る。パレスチナの不良とイスラエルの不良では、 どっちがマシだろうか?と考える。
Jaffa Road に来た。 何となく、帰りは歩きかもしれないと思って来る時にバスから見た道を覚えていたのも助けになった。 そこで私は昔から使っている旅の相棒を、歩きながらサブザックのポケットから取り出した。 あまり街中でオリエンテーリングコンパスを使う人間は居ないし、 最近は磁界を発生する物が多いので方角が狂ったりする事もあるが・・・ それでも、頼りにできるのはこれしかない。 コンパスを地図の上に置き、進む方向に合わせ、ダイヤルを回して北にセットする。 距離もコンパスの目盛りで測る。 約2.4km といった所か。 セカセカ歩く私の場合、時速6km程なので、 そうであれば20分と少しで目的地に到着する計算になるが、 今は荷物を持っているし今日は散々歩いて疲れている。 それに、この暑さ。時速4kmペースだと、30分以上かかるか・・・ ふ〜む・・・予想到達時間を32分と見積り、 腕時計のモードをストップウォッチにして歩行時間を計測する。 ストップウォッチの使い方は、32分歩いて目的地に達していなかったら、 歩き続けないで、正しい道を歩いているかどうかチェックした方がいい、 という判断材料にする。 オリエンテーリングコンパスよ、私を助けてくれ!
歩きながら見る Jaffa 通りは、まんざらわるくもないが、 今の世は、金が無ければどうにもならない事を思い知りながら歩いているので、 ながめを楽しむような精神的余裕は無い。だいたい、ここは車が多い。

という訳で、海外を1人で旅行する際には、 ポケットに予備の100ドル札、または万札を1枚入れ、(汗で濡れないようにビニールに入れ、かつ、スリが盗み難くするためにビニール袋を安全ピンでポケットの内側に留める事)かつその予備のお金には手をつけないのが肝心である。
中央バスステーションには28分で到着した。 そこで再度、Leumi Bank に行く。 ダン、ダン、ダン! とガラス戸を叩く。 中から人がけげんそうに見ている。 ジタバタして、来てくれとポーズを取る。開けてくれた。ラッキー! と思いきや、 掃除の人間なので、判らないとの事。 明日、7時に来てくれとの事で、ありがとうと言って去る。 さて、ベングリオン空港行きのバス停は道のどこにあるのだろうと探し回ったが無い。 そこで、バスステーションのインフォメーションで聞くと、 プラットフォーム No.8 から出るとの事。 長距離バスと同じ所から発車するのか。 (来た時には道端のバス停で降車したのだが、それは大抵の乗客は市内バスに乗り継ぐから、という理由のようだ) 値段を聞く。18.20シェケル。払えた。 さて、これで2シェケル余ったな。旧市街だったら、値切れば焼きとうもろこしか、 または売れ残って冷めかけた紅茶を値切れば、ありつける所だが・・・今からではいかんともしがたい。

空港前で降りる。入口に入る前にすかさず「流しの警備員」に呼び止められる。 が、旅行の目的や、パスポートと航空券を見せたらすんなり通してくれた。

インフォメーションでチェックインのカウンターはどこかを聞いた。 そしてチェックインカウンターの前をウロついていたら、 さっそく女性の係員に呼び止められ、「ここで待て」と命令された。 それはいいとして、私を待たせたまま他の2人の客のチェックをやり出して、 私は放ったらかしである。 しかし「遅い!」と言ってその場を立ち去ると後が非常に面倒な事になりそうなので、 辛抱強く待つ。 彼女は航空券を見ると、「5:30 に出るのだから、2時に来なさい」との事。 ええ? 今日はダメなのかと聞くと、ダメらしい。 インフォメーションで聞いても、やはりダメとの事で、 「早朝フライトなら前日にチェックインできます」というのは、 イスラエル政府観光局の誇大広告に過ぎなかったようだ。 それとも、特別料金を払ったりすれば出来るのであろうか。
ノドが乾いた。野性動物のように水を探して空港中をさまよう。 なにせ、水が買える身分ではない。 結局、 ARRIVAL ゲートのトイレ近くにウォータークーラーがあった。 水をガブ飲みする。はあ、水が飲めるというのは嬉しい。 水を飲んでいれば、しばらくは食べなくても人間は死なないから。 そういえば水呑み百姓という言葉があるが、私はさしずめ水呑み旅行者かな。
時間があるので旅行日記を書いていると(今日の分の旅行記が詳しいのはそのためである)、隣の女性が挨拶をしてきた。 話をしていたら、彼女は南アフリカ出身で、是非南アフリカに来なさいと勧められた。 犯罪が多いので行きたくないと言う(普通は社交辞令を使って、いいですね、などと言う物だが)と、犯罪はどこにでもあると力説する。 彼女は言った。レソトを知っているか、と。 知っていると言うと、「ここは殺人がとても多い所だが、」それを聞いて私は椅子からずっこけそうになったが「今は殺人が減ったので、是非来なさい。今、ここでの問題は、失業と、住む所が無い事で、犯罪は低下しました」との事。う〜む・・・そんな国に来いと言うか?
そうこうしているうちに、ガイドブックが無い事に気がついた。 インフォメーションに行ったら、あった。 (私は忘れ物は多い方である) 「セキュリティーを早く受けたい人は、Bゾーンで受けられます」とアナウンスがあった。そこでさっさとそちらに行って並ぶ。 そこでも私は荷物があまりに少ないので、また不審がられる。 「服は無いのか?!」と言われ、ありますよと言って、 レジ袋の中のTシャツを見せると警備員は呆れた様子だったが、 予想よりあっけなくセキュリティーチェックは終った。

フライト時間に比べるとあまりに早くセキュリティーチェックを終えた私は、 誰も居ないKLMのチェックインカウンターの前で待つ羽目になった。 結局、73番カウンターはビジネスクラスの客用なので、 格安航空券の私は76番に移動。

日付が6月19日に変わった。

Last modified Date: 2002-01-06 00:54:37+09


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