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今日は安息日。イスラエルのバスは走らない。博物館もやっていない。 しかし、アラブ人経営のツアーは、ユダヤ教の安息日は関係無い。 さて、今日は朝3時のドアのノックで目を覚ます。 ロビーに集合し、 Jaffa Gate に 3:45 に終結し、バスに乗る。 エアコンが効いている。まだ暗い中、バスはマサダの要塞へ向かう。

マサダの要塞

マサダの要塞は入場料は18シェケルの所を、 グループの参加者が「団体だ」と言い張って15シェケルに値切る。 歩く事、約1時間。日は既に登ってしまったが、 マサダの頂上に着いた。 まだ夜明け直後だというのに、暑くてたまらない。 これでは「私はケーブルカーに乗らず、自力でマサダに登った」と自慢する気にもならない。 もし次に来た時は、文明の利器を使おう。

マサダはヘロデが建てさせた要塞であるが、 ユダヤ人が反乱してたてこもった所である。

死海

バスは死海に着いた。5シェケルでホットシャワーと更衣室のチケットを買う。 バスツアーの客はみんな買う。 さて、死海は水が重く、粘度が高い。浮かびながら Lonley Planet を読んでいる証拠写真を撮ってもらった。 (後で見たら胡麻粒の様に小さくしか写っていなかった) 泳いでいたら塩水が目に入った。 濃度が半端ではないので、猛烈に痛い。 これはたまらないとばかり死海から上がり、 水飲み場で目を洗う。 散々な目に遭ってばかりた。 イスラエルの政府観光局のパンフレットでは、 死海に浮かぶモデルの写真が必ずあって、 まるで死海で浮遊体験をしてみるというのが観光の目玉の様に扱われているが、 あれははっきり言って誇大広告である。 ここで体験できるのは、目と肌にしみる痛みだけである。 スリ傷とか日焼けとかしていたら、激痛に教われて悲惨であろう。

しかしまだバスが出るまで時間があるし、 「私はあの死海で浮いた」にしても、まだちょっと浸かった程度なので面白くない。 そこで、懲りずにまたチャレンジする。 時おり波が来ると、ボード無しでサーフィンが楽しめる・・・のはいいとして、 肌の痛みが増し加わり、我慢の限度を越えて退散となった。

シャワー室に戻る途中、タダの水シャワーがある事を発見。 「なんだ、5シェケル払うまでもなかった。更衣室だって、 男ならタオル1枚あれば下半身を隠して着替えられる」 と後悔した。 シャワー室ではロシア出身のおじさんが掃除していて、 「5シェケル払ったのか?」と言うので (なぜかこうなる予感がしたので、サブザックは下駄箱のようなロッカーに押し込んでおいた) チケットを見せたら納得したようだ。 まったく、後から掃除しに入ってきてチケットがどうのこうの言うなら、 最初からずっと入口で番をして客の顔でも覚えてろって。
朝から何も食べていなかったので、 売店でツナサンドを買う。12シェケルだ。 まあ、リゾート地だと思えばこんな物か。割と大きく、空腹はそこそこ満たされた。 ヒマそうな犬が寄ってきたが、 何も貰えないとわかると去って行った。 木陰にベンチが幾つかあるが、大抵の席は塞がっている。 地元の人間にとっては、死海は入る物ではなく、 浜辺で持参した食べ物を食べたりしてのんびり過ごす所らしい。

バスに乗って Ein Gedi の国立公園に行く。 再び「団体だ」と言い張ってみたが、 「団体は30人以上で、まとめて払う場合に適用される物であって、 別々に払う場合は駄目」と言われ、しぶしぶ18シェケル払う。 潅木が現れる。 「ガゼルだ!」という声でみんなの方を見ると、 立派な角のある野性のガゼルが近くに居た。 あまり人間を見ても驚かないようだが、 餌をねだったりはする事も無く、 マイペースで草を食べている。 さて、山道を汗をかきつつ登っていくと、 何だか少し涼しくなってくる。滝だ。 もっとも、この程度の滝なら、日本ならホテルの庭園ですらありそうな小さい物だが、 ここ砂漠においては、滝があるということ自体、 奇跡的な事なので、イスラエルにとっては名所なのだ。 滝の下はちょとした池になっていて、主に子供が泳いでいる。 「こっちの方が死海よりマシだな。暑いし、しかも時間がある」という事で、 沢山観光客がいるのにもめげず、タオル1枚で水着に着替え、 バスツアーで一緒の、陽気な黒人青年にカメラを渡して何枚か撮影してくれと頼む。 ちなみに、彼は相当に聖書に詳しかった。 隣に座った女の子と話し合いをしていたが、内容は非常に高度だった。 神学生かもしれない。 日本の温泉で打たせ湯というのがある所もあるが、 その代わりに Ein Gedi で滝に打たれた後は、 さしてする事もなく、 この池(というより水溜り)を根性で泳いで、上がって、タオル1枚で着替えて戻る。

入口に戻る。水飲み場があって、冷たくておいしい。 腹一杯飲んで、ペットボトルにも詰める。

エリコ?!

次はどこへ行くのだろうと思っていたら(そういう物は普通、ツアーに参加する前に聞く物だが)何とエリコに行くらしい。 私はびっくりしてしまった。「エリコって、旅行できるの?」と思った。 その辺が、パレスチナ人が運営するツアーの強みだろう。 パレスチナナンバーのバスが、パレスチナ自治区に入る分には何の問題も起きない。

バスは、イスラエル兵が詰めている検問所を通り、まず Mt' of Temptation へ。 ここは写真撮影で5分バスが止まっただけである。 地元のパレスチナ少女が側を走っていった。 何と、彼女は裸足だった。 この、足の裏が焼け付くような強烈な日射しの中、 アスファルトの道路を平気で走っているのだからびっくりする。
次に Monastery に行って、 Photo stop。 よくこんな険しい所に Monastery を作った物である。 この辺は Wadi で、眺めはダイナミック。 ここに観光ラクダがあって、乗ってみようかと思ったが、 他の乗客の事を考えれば、1人で時間を取るわけにはいかない。

レストランに強制連行

ありがちな事だが、 他のみもしないのにパレスチナ経営のレストランの前にバスはが止まり、 ここで30分ランチ休憩となった。値段、ならびに、衛生状態が良く判らなかったので、 ライスとポテトとファラフェル(野菜コロッケ)だけを頼んだ。 火が通っていれば、安全性が高くなるだろうという判断である。 もっとも、3品で15シェケルだったから、値段は安い。 ライスはサフランで味付けしてあって、結構行ける。 ファラフェルは、シューマイ程度の小さいのが3つなので、ちょっと割高に思う。 エジプトのターメイヤの方が大きくていいのだが。

食事を終えてその辺をブラつく。エリコはA地区なんだが、 特に他の街と違うといった特徴は無い。 ベスレヘムに比べて、パレスチナ旗も少ない。 多分、ここは自治権もある、実質的に完全にパレスチナの街なので、 「ここはイスラエルじゃない。パレスチナなんだ」と叫ぶには及ばない、という事だろうか。

オリーブ山へ

バスはオリーブ山、 すなわちガイドブックに「1人で行くのは物騒」と書いてあった山の頂上に行く。 ここも降りて写真撮影のみ。バスが止まるやいなや、 物売りのガキが来て、 最初に "Many sexy women" とか、バータレな事を言った後で (確かに西側の乗客ばかりなので、女性はアラブの服装規定を守っているわけではないのだが、どうせ覚えるならもっとマシな英語表現にして欲しい物だ) 「オリーブ山のパノラマ写真、たったの50シェケル!」と言って売り歩いている。 何を言ってやがる、その辺で1ドル(4シェケル)で売っているポスターじゃないか。 100人に1人でも、相場を知らない客が来れば大儲けというパターンか。 全く、世界中から観光客が来るから現地の人間、 しかも子供までが金に目がくらんでボッタクリに走るので困るじゃないか。 (もっとも、私も外国から来た観光客の1人なのだが) この安いバスツアーで来ている客は、誰もこの少年からは買わなかったようだ。

でもここからの眺めは素晴らしい。

さて、バスツアーはここで終り。 ダマスカスゲートに戻り、解散。 Al Hashim に戻って、 休む事無しにすぐに観光に出かける。 あと2日で帰国なので、 明日の土曜に閉まる場所と、明後日の日曜に閉まる場所を良く考えて回らないといけないのだが、今日はアルメニア博物館と、ベツサダの池に行く事にする。

アルメニア博物館

アルメニアン・クォーターにあるこの博物館は、地味で目立たない。 訪れる人も少ない小さな博物館だ。しかしここにはアルメニア人の歴史が込められている。 展示物はアルメニア語と英語で書かれているが、 英語は色褪せていて薄くなっている所もある。 アルメニア人は今のトルコ領内に広く散らばって住んでいたが、 オスマン・トルコは、「アルメニア人問題」の「解決策」として、 アルメニア人の絶滅、すなわちジェノサイドを目論んだ。 軍による、計画的な民族皆殺し作戦で、 ユダヤ人の虐殺よりも前に行なわれた。 20世紀最初の大虐殺と言われている。

他には、アルメニアはローマよりも前の4世紀にキリスト教を国教と定めたので、 ギリシャ正教よりも歴史がある事なども説明されていた。 (だからエルサレムにはアルメニア人地区が残っている)

出口でアルメニア人虐殺の歴史を示す地図を10シェケルで買った。 新聞紙で丁寧に包んでくれた。

ベツサダの池

「寄付」という名の入場料5シェケルを払って中に入る。 真偽のはっきりしない「イエスゆかりの○×」が多い中で、 ここベツサダの池は、 聖書に記述されている場所に間違いないとされている。 ここは現在も発掘調査が行なわれている。

旅先でメール

5時を回った。入場料を払って見る場所はもう閉まった頃である。 そこで Via Dolorosa を歩きながら Al Hashim に戻り、 インターネットカフェに行く。 Al Hashim にもあるのだが、以前にはトラブって全然接続できなかった。 (もっとも、PCの机を見ると利用記録があるので、直ったかも知れないが) とにかく、 Al Hashim からちょっと歩いた所に15分で5シェケルと、 Al Hashim より若干だが安く、しかも LAN 接続である。 ここには「格安国際電話」の営業もしているが、 恐らくインターネット電話だろう。 生ジュース屋の2階に上がり、 レジの所で「使いたい」と言って、メモに使用開始時間を書いた物を渡して貰う。 Yahoo! Mail に接続し、 素早くメールを書いて、職場と友人にメールを送り、 「使い終った」とレジに言って精算する。 15分で5シェケルだった。 送った内容はおおむねこんな感じであった。
私は今、エルサレムに戻っています。 泊まっているのは、前回と同じ Al Hashim です。 電話は (02)6284410 です。 もう冒険の類は一切ありません。 後は帰国するだけです。火曜日にお会いしましょう。
私が旅先でメールを送るのは、 別に義理固い訳でも挨拶が好きな訳でも仕事の事が気に掛かる訳でもない。 自分が旅行中に行方不明になった場合に捜索してもらいやすくするために現在地と連絡先、 今後の予定などを送るのが主な目的である。 しかし今回の旅は、 サイクリングをしたり、 砂漠をトレッキングしたり、 イルカとシュノーケリングしたりと、「大冒険」という程では無いものの、 ちょっとした冒険メニューが含まれていたのだが、 別段トラブルに巻き込まれたりはしなかった。 もう明日は市内観光を幾らかして、 土産を買って帰るだけだから楽勝だと思った。

しかし今回の旅行中最大のピンチが明日、 降り掛かってこようとは、この時点では知る由も無かった。

宿の近くのレストランでチキン 1/2 羽とポテトのセットメニューを頼む。 少し慣れて来て、紅茶より安い果物ジュースを頼む。 しかし出てきた量を見て、「うえっ!」と思った。 チキンは 1/4 羽にすべきだった。考えてみれば、 日本でも1人でニワトリを半分食べたりはしない。 後悔しつつ、平らげた。

宿に戻る。今日は疲れた。朝3時から観光して回ったからね。 シャワーを浴びる。今日は洗濯する必要は無いのだが、 ここのシャワー室には窓があり、 少し開けておけば砂漠だからすぐ乾くだろうと思った。 粉石鹸も残っているので洗濯する。 これで、使用済みの下着を税関で見せないで済むのだが、 まあ、別にどうでもいい事だ。

Last modified Date: 2002-01-03 20:32:57+09


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