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もっと早く起きようと思っていたのにモタモタしてしまったが、 やっと宿泊代を払い、レンタサイクルを借りる。 ホステルのオーナーが難儀しながら鍵で倉庫を開けるので、 そこに自転車がしまっているのかと思いきや、 古ぼけたレジがあって、そこから5シェケル硬貨を取りだし、 釣銭だと言って私に渡した。 ここのホステルには5シェケルすら受付には置いてないのか? 良く理解できない。 さて、自転車(マウンテンバイクしかない)を40シェケルで借りる。 (宿代より高い)とにかく、水着を着て、日焼け止めを塗って出発だ。

海岸沿いの道路に出る。せっかく通りかかったので、 ツーリストインフォメーションに寄る。 ここでティベリアスの遊覧フェリーの時間を調べてもらった。 さて、所持金が乏しいので、T/C を両替しに行く。 Leumi Bank に行き、 AMEX の T/C を出し、 パスポートを見せてサインし、幾らになるのか聞いたら、365シェケルだと言う。 びっくりして、コミッションを取るのかと聞くと、 T/C 1枚につき35シェケルとの事。 じょーだん言わないでくれ、手数料が宿代より高いじゃないかとびっくりして、 ここでの両替は辞退して、隣の両替屋に行く。ここは400シェケルくれた。 湖に向かって自転車をこぎ出す。 朝のニュースでは、予想最高気温は41度から43度で、熱波が来ているとの事だった。 ペットボトルを忘れた事に気が付く。大失敗である。 が、今から引き返すのも辛いので、 仕方無く走り出す。

景色は悪くない。 途中、タダで泳げそうなキャンプ場をチェックした。

それにしても暑い。 Migdal に着いた。 ここは、マグダレネのマリアの故郷だろうと言われている。 Migdal はヘブライ語で塔という意味がある。 確かに、小高い岩の丘は、漁港を守る目的にかなっている感じがする。 ここは水も豊富なので、スプリンクラーで花壇に水が撒かれ、 花が灼熱の地に良く育って美しい。

先に進む。次は TABGHA という集落があるはずなんだが、 「TABGHA はこっち → 」という標識を信じて右折して自転車をこいで行くと、 実は途中から私道になっていて、ゲートがあって、客以外は通り抜け禁止と書いてある。 この手の標識に2度もだまされた。 この暑い中、自転車をこいで引き返す足取りは重い。 脱水症になりそうな暑さなので、途中でキャンプ場を見つけ、 売店で水を買おうとした。 しかし売店にも受付にも誰も人がいない。 (売店が開けっぱなしになっている所からして、 この辺にはドロボーもいないようだが) さびれたキャンプ場にいるのは兵隊ばかり。 しかし、なぜかアラブ人家族が車でやってきて、 やっぱり人がいないと言っている。 すると、外を通りかかった大型のトラクターが止まった。 エンジンを切って、運転手が降りて、受付のドアを鍵で開けた。 水を、大きいボトルでくれと言ったが、 小さいのしか置いてなかった。 貧乏なので5シェケルで1本だけ買う。 この「エデン」というブランドの水なんだが、 つめたいのでとてもおいしい。 500mlを一気飲みしたい所だが、 大事に取っておかなげればならない。

自転車をこぐのもいい加減、嫌になってきた。 思いのほか、時間が経過してしまっている。 これでは、もう12峙のフェリーに間に合う様に帰るのは無理だろう。 それでスケジュールを変更し、フェリーは2峙のに乗る変わりに、 今日中にミツペ・ラモンまで行くのは断念し、ベエル・シェバに泊まる事にする。

立ちゴケ自爆

木陰はただの日陰より涼しいので、 あったら休憩しようと思ったが、 良くしたもので、休みたいときには木陰が無い。 そこでバテながら走り、 ようやく木陰を道路の脇にみつけたので、道路を外れて自転車を置こうと思ったら、 砂利の斜面で滑べって見事にひっくり返って木の下に自転車ごと投げ出されてしまった。 疲れと暑さで敏捷性も低下しているようだ。 しかし、派手に立ちゴケした割には怪我等は無く、 ええい、面倒だとこのままの体勢でひと休み。 もっとも、こんな所を見られたら、 トラックと衝突して跳ね飛ばされたのかと思われるだろうが。 傍らを見ると、なぜか封を切っていないミネラルウォーターが捨ててある。 よほど拾って飲もうかと思ったが、 腹をこわすとまずいので我慢し、残り少ない、買った水を飲む。 一休みしたので、木の下から這い出そうとしたが、 刺にからまって身動きができない。 無理に木の枝を外そうとすると、刺が身体に刺さって血が出てくる。 まるで食虫植物に捕まったハエのようである。 木と悪戦苦闘したが、はまって枝は取れない。 そのうち「ええい、いいや、少しぐらい血が出たって」と開き直り、 乱暴に木の枝を外し、脱出成功。左腕の肘の内側から少し血が出ているが、 大した事も無くて済んだ。 ミネラルウォーターで傷口を洗う。
さて、今度は砂利の土手を自転車を押して登らなければならない。 さすがにもう一度、コケたくはなかったので、 自転車を押し上げてはブレーキをかけ、 自転車にしがみ付いて土手を登るという動作を繰り返し、土手を脱出した。

さて、行く先は登り坂である。バテているので、こいで登る気力は無く、 降りて押しながら登る。 やがて「こんな長い距離、とても歩いて押してなんて登れないよ」と思えてきたが、 それでも登り切った。 今度は下り坂である。 目が悪い上に、裸眼で相当のスピードが出ている(40km/h 程度か)ので危険なんだが、 せっかく苦労して登ったのに、ブレーキをかけたらまたこがないといけないと思い、 スピードはあまり緩めない。途中で「カペルナウム → 」という標識が見えた。 ロクに目も見えないのに、猛スピードで右折する。 これで石でも転がっていたら、ふっ飛んで大怪我をする所であろう。

カペルナウムで

カペルナウムの看板が見えた。 いや〜、本当に良く自転車でカペルナウムまで来た物だ。 しかし、これまでのいきさつを考えると、とても自慢できる内容ではない。 途中で、 観光バスが停まっている所があった。 聖ペテロ教会だ。 ガイドブックによると、この辺の教会は、のどかで商業主義に毒されていないとある。 そこで、タダで水にありつけるかもしれないと思い、中に入ってみる。 入場料は取られなかった。 庭は手入れされていて、湖畔にあるので水もふんだんに与えられているようだ。 こっちの木陰の方が、さっき休んだヤブの下よりずっと涼しい。 湖畔に降りてガリラヤ湖を眺める。手を水に浸した。ツアー客が来ている。 景色を脳裏に焼き付け、目当ての水を探す。 やはりトイレの横に "DRINKING WATER" と書いてある蛇口を発見。 ラクダのように水を飲めるだけ飲んで、さらにペットボトルに詰めて出発。

シナゴーグ

カペルナウムのシナゴーグは、 伝承によると「イエスが話しをされた会堂の上に建てられた」とされている。 4世紀頃に建てられたとあるのだが、、、 伝承の信ぴょう性はイマイチな感じがするが、 「イエスも、この様な会堂で教えられたのだろうか」と思いを馳せるばかりである。 暑いので、この辺りで泳いでやろうかと思ったら、 「ここで泳ぐな」と書いてあった。

近くにフェリー乗り場があって、 遊覧船が出てはいるようなんだが、切符売場が無い。 どうも団体専用のようだ。

ティベリアスは人口36,700人の街で交通のアクセスも良く、 個人でフェリーに乗る客も居そうだが、 カペルナウムは家もほとんど無く、 こんな所に個人で来る人間は珍しいだろう。 フェリーは最初から団体の予約客相手にしか商売をしていないのかもしれない。 よって、切符売場をわざわざ設置する意味も無いのだろう。
仕方無いので売店で絵葉書を買う。2枚で1ドル? 高いじゃないか! と思ったが、 どうしても葉書が必要なので、1ドルをネックポーチから出して買った。

それにしても、一時はギブアップかと思ったが、後は帰るだけである。 湖の景色を長めながら走っていたら、トラックのドライバーから罵声を浴びた。 「そうか、イスラエルは右側通行だっけ」と思い出す。 もう道に迷うことも無いので、 途中で2回休憩を入れただけでティベリアスまで漕いで帰る。 水の補給基地と化した聖ペテロ教会にも帰路に寄って、 水を飲めるだけ飲んで、ペットボトルにも詰めて出発。

それにしてもイスラエルの運転手のマナーは悪い。 道端で一休みした後、道路の脇で自転車の向きを変えた時、 相当に距離はあったにも関わらず、後ろから走ってきた車が、 窓から手を突き出して、怒鳴りながら私を大きくよけて走り去っていった。 これしきの事でギャーギャー言わないでもらいたい物だ。

行きに目をつけておいた、無料とおぼしきキャンプ場で泳ごうかと思ったが、 2時のフェリーに乗れないと心残りなので先を急ぐ。 結局、1:40頃に着いた。しかし、フェリー乗り場が判りにくい所にあって、 桟橋の目前まで来ていながら先に進めず、10分程度ロスした。 本当に、この辺の湖岸は軒並み私物化されていて、 思うように岸辺を歩く事もできない。

ちなみに、 ガリラヤ湖畔もパレスチナ人達が所有していたのを強制収用してイスラエル人の土地とした物で、 それに反対したパレスチナ人が大勢死んだ。
疲れ切った私は「この道じゃないのか」と落胆しながら、 湖畔の坂道を自転車を押して登って引き返す足取りは重い。 やっとフェリー乗り場に着き、切符を買おうとしたら、入口で 「フェリーは5時だ!」と言われてしまった。 5時? 冗談じゃない。 こっちは、ツーリストインフォメーションで、電話をかけてもらって、 時刻の確認だってしてもらったんだ。何が5時だと言いたくなるが、 フェリーはやめて食事をする。 (実は今日はまだ何も食べていなかった) そこで、新しい店を開拓・・・する気力もなかったので、 昨日の、適正価格の店(安いとは言わないが)に行く。 エアコンの冷気で身体を冷やしながら、トルコ風ケバブ(串焼肉)を頼む。 ピーチネクターも頼んだが、料理が来る前に飲み干してしまったのでもう一本頼む。 ケバブは肉にカレー粉がまぶしてあるような物だったが、 トルコじゃ本当にこんなケバブなのかを確認する術は無い。

ケバブ38シェケルと、ジュース6シェケルが2本で合計50シェケル。 生き返ったような気がした。

プールで息切れ

ホステルに戻って自転車を返し、 プールを使って良いかと尋ね、OKをもらう。 日の当たるコンクリートを裸足で歩くと猛烈に熱いので、 日陰をさっさと歩いて渡る。 プールに浸かってほてった身体を冷やす。 日焼けしないように、水からは上がらず、 ひたすら泳ぐ。15m程の小さなプールなのだが、 水深は深いところで2m程あるので、 エイラートでのシュノーケリングの練習だとばかり、 ここで潜ったりして遊ぶ。ところが何たる事か、 息切れしてしまって、早々に切り上げざるを得なくなった。 う〜ん、、、運動不足か、それとも、もう若くは無いのか。 そういえば、以前に泳いでからもう2年程経っているな。
私が思うに、 日本では経験した事が無い程の異例な熱波のため、 体温を維持するために発汗作用で失われる水分が多過ぎて、 いくら水をガブ飲みしても腸で水分が吸収される速度が追い付かず、 結果的に脱水症になって血液濃度が上がり、 血液粘度が高くなって心臓に負担がかかったためではないか、と推測したりもする。

セラフィ? 何それ

荷物をまとめ、ホステルをチェックアウトし、 バスターミナルへ向かう。 インフォメーションで、ベエル・シェバ行きのバスがあるかどうか聞く。 多分、無いだろうとは思ったが、もしあれば乗り換えしなくていいので楽である。 彼女は何やら電話したりして調べてくれたが、 「ベエル・シェバに行きたかったら、一旦セラフィーに行きなさい」との事。 この、最も肝心なキーワードである「セラフィー」が何のことやら判らないので、 全体として彼女の言っている事はチンプンカンプンだったが、 彼女のアドバイスは無視して切符売場でエルサレム行きを買う。

「ああ、そうか。セラフィーって、テルアビブの事か。 テルとアビブがくっついて(リエゾンして)テラヴィーヴになり、 ヴが無声子音化してテラフィーフになり、 最初と最後の子音が充分に聞こえないために、 セラフィーと言っているように聞こえるわけか。 ねえちゃん、発音悪いなぁ。 それにしても誰がベエル・シェバに行くのにそんなに遠回りするんだよ。

そこまでルートを調べているなら、最初から聞くなという説もある

エゲッドバスと機関銃 (Part 1)

エルサレム行きのバスは、やはり兵隊で一杯だった。 そこに、野球帽に半袖・半ズボンの若者が席に座っていいかと聞くので、 兵隊が隣に座るよりマシと思ってOKした。 しかし、なぜか彼も、荷物の他に自動小銃を持っており、 彼はそれを無造作に座席に置いた。 おいおい、自動小銃が私の膝に当たっているのだが。 彼もなんとなく、安全そうな人間の隣に座ったのではないかと思うが、 イスラエルではバスがテロに狙われる事もあると聞くが、 何とまあ銃の扱いの雑な事よ。 これではテロリストに銃を奪われる危険の方が高いのではないか心配になる。 手ブラでバスの乗って、ボケッとしている兵隊の銃を奪って乱射すれば、 バスの中は血まみれだ。やっぱり、この国はどこかおかしいなと思う。 しかし、まあ、気を取り直して、ガリラヤ湖畔を眺める。

景色を眺めながら、ここはもっとゆっくり旅行したかったと思った。

エゲッドバスと機関銃 (Part 2)

エルサレムで降りてベエル・シェバ行きを買う。 バスターミナルではサンドウィッチやジュースを売っているが、 その辺の店で買うより安いようだ。(ボッタクリ価格ではないという事) ベエル・シェバは1時間程の道のりである。 もう暗いので景色を眺める事もないが。

終点のベエル・シェバに着いた。降りようとして、通路に立った。 すると、前の兵隊が、自動小銃を背中に抱えた状態で通路に立ったまま、 荷物を取るために腰をかがめた。 おかげで銃口がモロに私の腰の辺りの方に向いた。 オイオイ、兄ちゃんよ。人に銃口向けるなって軍隊じゃ教わらなかったのか? と思ったが、多分、教わっていないだろうと思い直した。 習っているとしたら、人に銃口を向ける方だろう。 それにしても、エゲッドバスに乗っていると、 テロの危険より、雑な銃の扱いによる暴発事故の方が怖いなと思った。

迷ってばかりのベエル・シェバ

旅先で始めての所に夜中に着くのは、 道が判らず宿に辿り着くのが困難になるので極力避けていたのだが、 今日は仕方がないとはいえ、もう9時を過ぎている。 しかも、良くした物で、 ベエル・シェバは人口こそ15万6千4百人と大きい都市なのだが、 見所が乏しく、低予算の旅行者が泊まるような所が無い。 一番マシな所で95シェケルで、しかもバス停から遠いのだ。 そこで、ガイドブックの地図を見て、 コンパスを頼りに夜のベエル・シェバの街を歩く。が、迷ってしまった。 というか、最初からして全然間違った方に歩いていたような気がする。 すると少年兵が声を掛けた。下手クソな英語だったが、 ガイドブックを見せ、どうにか行きたい所を伝えた。 すると彼は「聞いてきてやるよ」と答えた。 彼は2人連れの女性に声を掛けた。 女性達は私のところに来て「メモはない?」と聞く。 ノートを出して「ここに書いてください」というと、メモの方がいいとの事。 そこで、エゲッドバスの時刻表が印刷された黄色い紙の余白を切って渡す。 書くものを貸してくれというのでボールペンを渡すと、 車の窓ガラスを下敷にして何やらサッと書いて、 サンキューと言って私にボールペンを返し、嬉しそうに去って行った。 何が起きたのか良く判らないが、、、いい住所か、電話番号を少年兵から聞いて、 それをメモしたのではないかと仮定すると説明が付く。
結局、彼が教えてくれた方角でもまるっきりダメで、 自転車を漕いで疲れていた私は、 ついにショッピングセンター(という名前の夜中まで営業しているスーパーマーケット)の外で客待ちをしているタクシーの運転手に声を掛けた。 ここなら、地元の人間相手だからそんなにボッタクリの悪質な連中ではないだろうと期待して、である。声を掛けた運転手は英語が通じなかったが、 別の運転手が私のガイドブックの地図を見て、 仲間に「おい、お客さんだ。○×までだ」と話しかける。 私は助手席に乗り込んだ。 タクシーは夜のベエル・シェバを走る。 ガイドブックの地図を見る限りでは、まっすぐ走って左のはずなんだが、 何だかずいぶん街をグルグル遠周りしているような気もするが、、、、
タクシー代は15シェケル(約400円)だった。 高いのか高くないのか良く判らないが、もう夜だし、こんなものかね。

ここのユースホステルは、高い割に、設備は普通である。 相部屋で95シェケルかぁ。同室の男性は、歳は70を越えているが、 それでも1人でイスラエルを旅行するのだから偉い。 彼はオランダ人で(オランダ人にしては英語が上手ではなかった)ずっと船長を勤め上げたとの事。 船の話しを色々してくれた。 船の好きな人なら目を輝かせる所かもしれないが、正直言ってあまり関心が無かった。 頻繁にトイレに行くので、腹でも壊しているのかと思ったが、 健康上の理由のために夜間に頻尿になるらしい。 もっとも、同室の人間がトイレに行ったぐらいで眠れないわけではない。 これだけ疲れていれば、誰だってすぐに寝る。 洗面所はシャワーと一緒である。 ここで下着を洗い、カーテンレールに紐を結び、吊して寝る。

Last modified Date: 2000-11-01 02:02:41+09


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