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Dome of the rock

神殿を見に行く。昨日、ホテルのスタッフに奨められた岩のドームもここにある。 Lonelyplanet の地図にある、2つある Non-Muslim Entrance のうち、 宿から近い方から入ろうとした。 入口はイスラエル兵が3人で門番をしている。 入りたいのだがと言うと、「あっちから入れ。ここを出て左に行け」との事。 イスラム教徒の子供らはフリーパスで入っているのだが、 私は入れないようだ。 仕方無いので、 Western Wall の入口の検問所から入る。 係官に「Second Temple はどうやって行くのですか」と聞くと、 「そこ」と指をさすので、白い鉄柵の道を登って神殿域に進む。 ここでもまたチェックを受ける。 私の前の韓国人の若いカップルは、 大きいカバンを抱えていたので、 チェックに手間取った。 私はカメラとガイドブックしか持っていないので、即終わった。 入口で「チケットが必要だぞ」と言われるが、 「モスクの中には入らないから」と答えて、チケットは買わない。 まあ、チケットを買えば、モスクの中や、 イスラム博物館(イスラム教に関する資料が中心)も見学できるので、 記念にはなるかもしれないが。
追記:2000年10月頃より神殿域はイスラム教徒しか入れない状態という旅行者の情報がある
El Aqsa のモスクの周囲は イスラム教徒にとって神聖な場所とされていて、 旅行者がうっかり入ると私服の神殿警察に捕まり、 良ければ説教で済むが、下手をすれば逮捕される場所なので、 私は神殿域を訪問するときは、周囲を見て、 観光団体が居る→そこは行っても大丈夫であると判断してから自分もそこを歩くなど、 かなり気を使った。

さて、岩のドームは、 ホテルのスタッフが言っていた通り、すっごくきれいで、 ブルーのアラベスク模様のタイルをふんだんに使ったモスクで、 その辺の教会とは比べ物にならないほど美しい。 このアラブの美的センスは大した物である。

それはさておき、ここはイエスも訪れ、人々を教えた場所である。 文字通りの当時の建材は残っていないかもしれないが。 記念に写真を撮ったりして、 先ほど入れなかった Non-Muslim Entrance から出て(出る事はできる)宿に戻る。

さて、出発だ。ペットボトルに水道水を詰め、 荷物を担いでダマスカスゲートを出て Nablus Road を歩く。 とても暑い。バスターミナルを探しながら歩いて階段を上ったら、 ズッこけて、ペットボトルも一緒に地面に転がったが、 こう暑くては捨てる訳にも行かず、拾ってほこりを払う。 幸い、コケた所は誰にも見られずに済んだようだ。

バスターミナルだ。27番のバスが停まっている。 運転手に "Yad Vashim?" と聞いて行く先を確認し、 バス代を払って、着いたら教えてくれるように頼んだ。

Yad Vashim

バス停を降りて「これが Yad Vashim か」と思って入った所は、 「イスラエルの建国に貢献した人の墓地」であった。 首を傾げていたが、土産物屋で Yad Vashim について聞くと、 坂を降りて行った所との事で、礼だけ言って土産は買わずに歩き出す。

Yad Vashim は入場料 $1 。ネックポーチから $1 札を引っ張り出して払う。 入口の女性は「英語ができるの?」と聞き、 英語のパンフレットを渡して見学コースの説明をしてくれた。 建物に入るときに荷物のチェックを受けた。(それより荷物を預かって欲しい)

中の展示物の説明はヘブライ語と英語しか無い。 ここは「来て、楽しい」所ではないが、 是非「来なければならない」所だと思う。 人は歴史から学ばなければならない。 21世紀になっても、同じような繰り返していてはならないのだ。

もっとも、旧ユーゴの紛争を見ていると、 "The only thing we learn from history is that we learn nothing from history." -- Hegel (人は決して歴史から教訓を得ない)という方が正しそうだ
イスラエルの子供が大勢見学に来ている。 日本人は私以外は見かけなかった。 もっとも、来ても展示物が英語なので、来てもしょうがないかもしれないが。 是非、日本語でも展示の説明をしてもらいたい物である。

Yad Vashim は3時間程見学した。ただ、気になる点があった。 ビデオの「パレスチナへの非合法移民」という展示なんだが、、、 600万人も犠牲に遭い、民族絶滅の危機を強く感じた欧州各地のユダヤ人は、 「移住か、死か」とても言うべき雰囲気の中で、 ポンコツ船を買って、パレスチナへ集団で不法移民を試みるのだが、 ここで「アラブ諸国は、パレスチナへのユダヤ人の移民に反対する立場から、 枢軸国の味方をした」という説明がビデオの中でなされているのだが、 私の知る限りでは

  • 第2次世界大戦中、アラブ諸国は、 あの有名なイギリスの「二股公約」を信じてイギリスに協力した。 イギリスは当然、枢軸国ではない。連合国だ。
  • その枢軸国のドイツは、世界制覇の野望に燃え、 パレスチナの有用な港である、 ヤッフォ(テルアビブ)を爆撃機で散々に攻撃し、 当時のパレスチナ人は難民となって逃げた位なのに、 「何で、自国を爆撃し、家族や友人を殺した枢軸国を支持するのか?」
  • 時代が合わない。パレスチナへの不法移民が増加していた頃、 第2次世界大戦は終わっていた。枢軸国などはもはや存在していなかった
  • というわけで、ナチがした事は人道に対する罪であり、 許されるべき性質の物ではないというのは認めるが、 だからと言って何でもかんでも相手をナチの味方呼ばわりすれば、 自分のした行動は都合良く全て正当化されると思っているようだが、 そういう理屈は通用しない。 だいたい、歴史をねつ造してまで、 自分達がパレスチナ人を武力で追い払ってイスラエルを建国した事を正当化するのは止めにして欲しいと思った。

    しかし、それでもホロコーストに心を痛めた私は1ドルではあるが寄付箱に放り込んでおいた。 Yad Vashim はまだ建設途上にあるのだ。

    ホロコーストの展示館を出て外を歩くと猛烈に暑い。 他にもちょっとした美術館や資料館もあるのだが、 その中で、建国間もない頃のポスターが目に留まった。 そこには、ひるがえるイスラエル国旗の下で、 自動小銃で武装した軍服姿の男女が誇らしげに建国を意気称揚しているデザインだった。 「やっぱり、イスラエルの建国には、正義もへったくれも無いな。 あるのは、軍事力だけだ」と思う。 特に、2度の世界大戦をくぐり抜け、 ドイツを相手にしたゲリラ戦士も含まれる人間達で構成される軍隊が、 アラブ連合軍より強かったのは当然かもしれない。 とにかく、後から取って付けた大義名分などというのは、 自己満足には良いかもしれないが、 他人に対して説得力のある物ではない。

    とにかく、この資料館を出るとウォータークーラーがあるので、 水をガブ飲みし、 ペットボトルに詰める。 さて、胸元を見ると、 シャツのボタンが開いていて、 ネックポーチはおろか、その中の現金・パスポートが丸見えで、 ずっとこれで館内を見学していたのかと思うと恥ずかしい限りである。 しかし、何も盗まれなかった。

    ガリラヤ湖へ

    随分長居してしまったが、 Yad Vashim の前のバス停からセントラルバスステーションに行き、 ガリラヤ湖畔の街であるティベリアス行きの切符を買う。 また、16日のエイラート発エルサレム行きのバスも予約しておく。 コンピューターで時刻と行き先の印刷された紙に、 61シェケルの切符をホチキスでとめたものを受け取る。 これで、混んでいるエイラート → エルサレム行きのバスには確実に乗れる。

    バスは砂漠の道を走る。何とまあ、イスラエル兵の多い事よと思う。 どういったルートを走っているのか良く判らないが、 景色を楽しんだ。バスの右に見える景色は、 ヨルダン渓谷のようだが・・・ (私は1993年にヨルダンを旅行している。 ヨルダン渓谷は赤みがかった石から成る美しい渓谷) しかし、 まさかヨルダン渓谷沿いは走っていないだろうと思ったが、隣の乗客は 「あの向こうはヨルダンだ」と言うので、ヨルダン渓谷沿いを走っていたのだと判る。

    ティベリアスに着いた。猛烈に暑い。熱風吹きすさぶ中、 ホステルに向かう。泊まったのは、 MaMan hostel という所。 相部屋で30シェケル。ここはプール付きである。 100シェケル札を出したら、釣りが無いと言われ、結局「後払い」になる。 部屋は小綺麗とは言い難いが、 とにかく安いし、寝ることは出来る。 12畳ほどの部屋に2段ベッドが3つ。 もっとも、客は半分程度。 部屋には東洋人がいた。話しをすると、 彼は台湾から来たと言う。彼はもうここに3泊しているらしい。 ゆっくりできる彼がうらやましい。 ガイドブックを持って辺りを散歩しに行く。

    海岸通りの商店街に出ると、 St' Peters Fish のセットメニューが 35シェケルと、割安であった。記念に食べていくかと思い、中に入る。 冷房が効いていて涼しい。しかし、財布が無い事に気が付いたので、 オーダーを取りに来るよりも前に逃げるようにそそくさと食堂を出た。 「ああ、食べた後で無い事に気が付いたというのよりずっとマシだ。 セーフだったな」と思った。

    どうしようかとも思ったが、 今日は時間もあるので(明日は忙しい)いったんユースに戻って財布を取って来る事にした。

    死んでる犬

    来た時の記憶に頼って地図も見ずにブラブラと歩いていたら、 見事に迷ってしまい、今どの辺を歩いているのかさっぱり判らなくなった。 住宅地と言うより、山合いの建築工事現場みたいな光景が広がり、 何だか次第に山道みたいになってくる。 思い切り道を間違えたようだ。 行きつ戻りつしていると、歩道に子犬が死んでいる。 体長は50cmぐらいの、黒と茶のブチで、 首輪はしていない。骨が折れたような外傷は見当たらないので、 交通事故に遭ったわけではなさそうだが、死因ははっきりとは判らない。 病死か、それとも暑さで死んだのか。 まだ死んだばかりのようで、眠っているかのように横たわっている。

    野犬と決闘

    とにかく、いったん海岸沿いの道路に出ようと思い、下に降りて行く。 途中、公園を横切った。すると、突然野犬が3匹、吠えながら向かってくる。 3匹とも大きい猫ぐらいなので、大した事は無いが、 狂犬病にかかっていると厄介だ。 今までも狂犬病は有り得る国は旅行している関係で、 犬と対峙しながら、一瞬でこんな事を考えた。
    イスラエルは比較的衛生状態の良い国だが、 狂犬病が無い国かどうかまでは確認して来なかった。 それに、イスラエルで狂犬病の予防接種が義務付けられていたとしても、 ここガリラヤ地方はシリアやレバノンに近い。 犬は国境も関係無く通るだろうから、 この辺の犬は用心した方がいい。 小さくても噛まれれば、そして犬が狂犬病を持っていて、 発病すればまず助からない。
    とはいっても私は犬は苦手としていないし、 小さい犬っころなので、 サッカーのペナルティーキックみたいに走り込んで左足を軸足にし、 腰を入れて右足で思い切り蹴飛ばせば、5〜10mは飛ぶ (そして恐らく犬は死ぬ。さっき見た様に)だろうが、 もしかするとこの犬どもは放し飼いにされた飼い犬で、 近くに飼い主がいて、よくも犬を殺したなとか言われると面倒である。 そこで、近付いて来た犬に蹴る素ぶりをし(本気で、殺す気で蹴りを入れるわけではないが)逆に犬に向かっていくと、所詮は犬なので、 ビビッて退却している。 充分に犬をビビらせ、「お前らにかなう相手ではない」事を知らしめた上で、 「さあ、行くか」と後ろを向いて歩き出すと、 やっぱり犬で、また向かって来る。 こんな事を何回か繰り返している内に5分ほど経過しただろうか。 近くにいた、背の高いおじさんが、犬を怒鳴り付けながら 拳大の石を投げつけた。犬どもは一目算に逃げていった。 私も礼を言って、逃げるようにして公園を退散した。 ああ、助かった。でも、疲れた。
    教訓:吠えて向かって来る犬は殺す気で立ち向かえ

    St' Peters Fish

    海岸に出て、記憶していた道を上っていくと「泊まる所はあるのか」と声を掛けられる。 エルサレムで、向こうから声を掛けてくる、ガイドやらタクシーやらに僻えき していた私は、サッと警戒し、「MaMan hostel を目指しているだけだ」と言うと、 こっちの道だと教えてくれる。 一応、礼を言ってユースに向かう。部屋に戻り、財布を引っ張り出して、 再び海岸沿いの安食堂に行き、 St' Peters Fish を注文する。かなり待たされたが、 (涼しいので別に構わないが)揚げたての魚が出てきた。 びっくりするぐらい大きくて、食べきれるだろうかと思ったが、 骨が頑丈で可食部が少ない。味は白身で淡白。 日本で種々の魚を食べている身からすれば、 いかにも淡水魚といった感じで肉に締まりが無い。 すっごく美味しいとは言わないが、 少なくともこれは魚だ。 まあ、記念にはいいかもね。

    ホステルに戻り、受付で今度は50シェケル札を出したが、 相変わらずまだ釣りが無いとの事で、今日は金を払わず仕舞い。 おおらかなホステルである。 ロビーでTVを見ていると、言葉はさっぱり判らないが、 中東和平の話し合いがあった事は判っが、 それ以上は理解できないので、 もっと軽い内容のチャンネルに切り替える。 コマーシャルは、派手でセクシー系な内容の物があって、 日本よりちょっと露骨な感じがするのが多かった。 エルサレムとティベリアスは雰囲気が違う。 こちらはリゾート地、という事のようだ。

    ホステルのシャワーは、はっきり言って使いにくい。 着替えを置く所が無いのだ。 プールから戻ってシャワーを浴びるにはいいかもしれないが。 とにかく、ここは外に物干し場があるので、 シャワー室の洗面台で下着を洗って干す。 もっとも、タオルや水着は他の宿泊客も干しているが、 下着を干している人間は私だけだ。

    所持金もほとんど無いので、 盗難の事はそれほど気にせず寝る。

    Last modified Date: 2000-10-03 00:07:59+09


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