牧師館のお茶会から一週間が過ぎて、ダイアナ・バリーがパーティーを開いた。
「こぢんまりした集まりだし、誰でもじゃないの」アンはこう言ってマリラを説得した。 「あたし達のクラスの女の子だけよ。」
とても楽しく時が流れ、何一つ面倒事は起こらなかった。お茶が済むまでは。 その時、みんなはバリー家の庭に集まっていた。どのゲームも新鮮味に欠けてきており、 そろそろ、いたずらという熟れた実が、蠱惑的な姿を現わす頃だった。 しばらくしてその実は、「挑戦ごっこ」という形を取って現われた。
挑戦ごっこは、現在大流行のゲームで、アヴォンリーのちびっ子連中の間にまん延していた。 まず男の子達の間で始まったのだが、すぐに女の子達にも広がって、 ありとあらゆる下らない事が、その夏のアヴォンリーで実行に移された。 なぜなら、「挑戦」を受けたからには、やるしかなかったからである。 下らない挑戦のリストは、それこそ一冊の本を埋め尽くす程だった。
まずはじめに、キャリー・スローンがルビー・ギリスに、 あるところまで、正面のドアの前の巨大な柳の老木に登るように言った。 その挑戦を受けて立ったルビー・ギリスは、 その木にはびこる、ころころ太った青虫が死ぬほど恐ろしかったにもかかわらず、 そして、新しいモスリンの服にかぎ裂きでも作りでもしたら、 お母さんが目を三角にしてどんなに怒るか分かっていたにもかかわらず、するする登ってしまったので、 キャリー・スローンの目論見は完敗に終わった。 次に、ジョージー・パイがジェーン・アンドリューズに挑戦した。 左足のケンケンで庭を一周して、途中一度も止まったり右足をつかないという挑戦内容である。 ジェーン・アンドリューズは果敢に努力したが、3番目の角でギブアップして、 敗北を認めざるをえなかった。
ジョージーが得意満面の天狗になって、ちょっと鼻につくほどだったから、今度はアン・シャーリーが、 庭の東側を仕切っている板塀の上をつたって歩いてみなさいよ、と挑戦した。さて、板塀の上を「歩く」のは、 試したことが無いと分からないかもしれないが、 意外と頭から踵まで体全体を操る腕前と安定性を要求されるものである。 さて、ジョージー・パイは、仲間受けがあまり良くない嫌いはあったかもしれないが、 少なくとも板塀の上を歩くことに関しては、生まれながらの才能を授かっていたし、十分に練習も積んでいた。 ジョージーは無造作に楽々とバリー家の塀を歩いていった。 こんなつまらないことは、わざわざ「挑戦」するほどの事ではないというのが、ありありと伺えた。 ジョージーの功績を讚えて、嫌々ながら称賛が送られた。 というのも、そこにいた女の子は大概、自分たちが何度も板塀を歩こうと苦労した経験上、 どんなに大変なことか知っていたからである。 板塀の上にお高くとまっていたジョージーが、勝利の喜びに頬を紅潮させながら降りてくると、 アンに挑戦的な視線を投げた。
アンがぷいっと頭をそらすと、赤毛のおさげが揺れた。
「そんなに大して驚くほどのことじゃ無いと思うわ、低い板塀ごときを歩いたくらいじゃね」とアン。 「あたし知ってるもの、メアリズヴィルの女の子で屋根の棟木の上を歩いた子がいるのよ。」
「そんなの信じられない」とジョージーは取り付くしまもない。 「誰も棟木の上なんか歩けるわけないわ。あなたには無理よ、どのみち。」
「あたしには無理?」と思わず言ってしまうアン。
「じゃあ、挑戦するからやってみなさいよ」と けんか腰のジョージー。 「あなたに挑戦するわ、そこを登って棟木の上を歩くこと、バリーさんちの台所の屋根のよ。」
アンの体から血の気が引いた、がしかし、為すべきことは明らかにただ一つだった。 アンは建物の方に歩み寄っていった。そこには、台所の屋根に立て掛けた梯子があった。 5年組の女の子みんなが声をそろえて言った、「ウソ〜っ!」興奮とビックリ仰天が半々に混じっていた。
「こんな事やめて、アン」と、すがるダイアナ。 「落ちて死んじゃうわ。ジョージー・パイなんか気にしないで。 卑怯よ、こんな危ない事で挑戦するなんて。」
「あたし、やらなくちゃいけないの。あたしの名誉がかかってるんだから」 とアンは本気だ。 「あの棟木を歩くしかないのよ、ダイアナ、でなければ、試み虚しく途中で倒れるかだわ。 もしあたしが死んだら、真珠のビーズの指輪はあなたの物よ。」
アンは梯子を登って行った。手に汗握る沈黙のさ中を、一段一段棟木を目指し、 ふらふらとバランスを取りながら立ち上がった。怪しげな足元だった。 そして棟木に沿って、始めの一歩を踏み出した。 目まいがする中で強烈に意識したのは、 自分が気分が悪くなるほど高く、世界にそびえる場所にいることと、 棟木を歩く時には、想像力があっても物の役にも立たないということだった。 それでもなお、アンは、何とか数歩歩みを進めたが、そこで大災厄がやって来た。 その時、アンの体がグラッと大きく揺れた。バランスを失う、つまずく、 よろめく、ああ、倒れた、日に焼けた屋根を滑って行く、 そして、アメリカヅタの絡まりを派手に巻き込みながら、屋根から落ちた-- 全てが一瞬のうちに過ぎ去り、下でうろたえている女の子達が、一斉に恐怖の悲鳴をあげた。
もしアンが梯子を登った側にころげ落ちていたら、ダイアナはたぶんその場で、 真珠のビーズの指輪の相続人になっていたことだろう。 幸運にも、アンが落ちたのは反対側で、屋根がポーチの上まで延びており、 かなり地面に近かったので、そこから落ちてもそれほど重大な事にはならなかった。 そうではあるが、ダイアナと他の女の子達が家をまわって、狂ったように駆け寄ると-- ルビー・ギリスは別だった、地面に根が生えたように動けず、ヒステリーを起こしていたから-- アンが倒れているのが見つかった。血の気の無い、ぐったりした姿で、 ばらばらになったアメリカヅタの残骸に囲まれていた。
「アン、死んじゃったの?」と叫ぶダイアナ、大事な友の傍らにくずおれていた。 「ねえ、アン、愛しいアン、何か言って、一言でも良いから、死んじゃったのかどうか教えてよ。」
その場の全員、特にジョージー・パイが一安心できる答えが返ってきた。 ジョージーは想像力に欠けていたけれど、 近い将来の幻覚に襲われていて、 アン・シャーリーを若くして悲劇的な死に追いやった張本人、 という烙印を押されるのではと震え上がっていたのだ。 アンはふらふらと体を起こすと、頼りない声でこう答えた。
「死んでない、ダイアナ、あたし死んでない、でもジンジフセイ(人事不省)に陥ってたと思う」
「どこが?」としゃくり上げるキャリー・スローン。「ねえ、どこが、アン?」 アンが答えるより早く、バリー夫人が登場した。 その姿が見えるとアンは急いで立ち上がろうとしたが、 痛みに堪え兼ね、鋭く小さな悲鳴をあげると、また座り込んでしまった。
「一体何があったの?どこを怪我したの?」とバリー夫人が問い質した。
「足首が」と喘ぐアン。「ねえ、ダイアナ、お願い、あなたのお父さんを探してきて、 あたしを家まで連れて行ってもらって。ダメなの、あたし家まで歩けない。 片足でそんなにケンケンして行けないわ、ジェーンだって庭を回り切れなかったのに。」
マリラは果樹園に出て、サマー・アップルを皿に一杯摘んでいたのだが、 丁度バリー氏がやって来るのが見えた。 丸木橋を渡って、斜面を登って来るバリー氏は、隣にバリー夫人、 後ろに女の子の行列をそっくり引き連れていた。 腕に抱えられて来たのはアンだ、頭を弱々しくバリー氏の肩にもたせ掛けていたアンだった。
その瞬間、マリラの黙示録のページが開いた。突然、恐怖のナイフを心臓にグサリと突き立てられ、 マリラは自覚した、アンが自分にとって何であるかを。 今まで認めていたのは、アンを好きだということ--いや、アンがお気に入りだということまでだった。 だが、今にしてマリラは気がついた、矢も楯もたまらず一心に丘を駆け下りながら、 アンがこの地上で、他の何より大切なものだということに思い至ったのだ。
「バリーさん、この子に何があったんですか?」息急き切ってそう訊いた。 マリラは真っ青になっており、動揺の色を隠せない。 長年そうであった、落ち着いた分別臭いマリラからは想像できない姿だった。
自分で答えようと、アンが頭を起こした。
「そんなに心配しないで、マリラ。あたし、棟木の上を歩いてたら落ちたのよ。 足首をくじいたんじゃないかな。でも、マリラ、もしかすると首を折ってたかもしれないのよ。 物事は明るい面を見ないとね。」
「何かしでかすと分かっていたよ、あんたをあのパーティーに行かせた時からね」 とマリラ、安心したので、ついきつくガミガミ言ってしまう。 「こっちに運んで下さいな、バリーさん、ソファーの上に寝かせて。 どうしよう、この子ったら気絶したわ。」
全くその通りだった。傷の痛みに堪え兼ねて、 アンが待ち望んだ願いが、また一つ叶ったのだ。アンは失神し、ピクリともしなかった。
マシューが収穫作業中の畑から慌ただしく呼び戻され、 そのまま大急ぎで医者を呼びに立った。やがて医者が到着すると、 怪我が思ったより重いことが分かった。アンの足首は骨折していた。
その夜、マリラが東の切妻まで上がってきた。そこには青白い顔で女の子が寝ていたのだが、 惨めな声がベッドからマリラを出迎えた。
「あたしってとっても可哀想な子だと思わない、マリラ?」
「自分のせいだろうに」とマリラ、ブラインドをぐいっと下ろして、ランプに火を灯した。
「だから余計、可哀想に思って欲しいのよ」とアン。 「だって、全部あたしのせいなんて思ったら、辛すぎるもの。 誰かに責任を押し付けられるんなら、いっそ気が楽なのに。 ねえ、マリラだったらどうする、もし棟木を歩けって挑戦されたら?」
「あたしならしっかりした地面から離れたりしないね、勝手に挑戦させとくさ。 ほんとに馬鹿馬鹿しいったら!」とマリラ。
アンが溜め息をついた。
「それは、気丈な心を持ってるからよ、マリラ。あたしは違うもの。 あたし我慢できなかったの、ジョージー・パイに笑われるだなんて。 あの時あたしが勝ったのよって、あの子に一生言われたかもしれないもの。 それにあたしは十分罰を受けたと思うし、もう怒る必要ないわよ、マリラ。 大体、ちっとも素敵じゃないんだもん、気絶なんか。 お医者さんは、足首を固定する時すっごく痛くしたし。6週間も7週間も歩き回れないんじゃ、 新しい女の先生を見逃しちゃうわ。あたしが学校に行く頃には、もう新鮮味に欠けてるわね。 それに、ギル--みんなに授業で追い抜かれちゃうわ。ああ、我、悲しみに打ちひしがれたり。 だけど、あたし雄々しく耐え抜いてみせるわ、もしあたしのこと怒らないでくれたらだけど、マリラ。」
「分かった、分かった、怒っちゃいないよ」とマリラ。 「運が無かったんだよ、それは間違いないさ。まあ、いみじくも自分で言ったように、 これから苦労が待ってるんだから。さあて、夕飯を食べてごらん。」
「幸運だと思わない、あたしが想像力を持ってて?」とアン。 「おかげで、きっと楽に乗り切れそうに思うの。想像力が無い人は、 どうやって骨折を乗り切っていけるんだろう、どう思う、マリラ?」
幾度となく、アンは自分の想像力の有りがたさを、身にしみて感謝した。 それほどに退屈で、なかなか過ぎていかない7週間だった。 ただし、想像力だけに頼っていたわけではなかった。 アンはたくさんの見舞客を迎えることになったし、 学校の女の子達が1人も顔を見せない日は一日として無かった。 そして花や本、そしてアヴォンリーの子供たちの世界で起こった出来事の話を全部、 お土産に置いていくのだった。
「誰も彼もこんなに優しくしてくれるのね、マリラ」と幸せの溜め息をつくアン、 足を引きずって歩き始めた日のことだった。 「ベッドで横になっているのは楽しいとはとても言えないけど、 明るい面もあるのよ、マリラ。自分にどれだけ友達がいるか、これで分かるわ。 何と、教会監督のベルさんも会いに来てくれたのよ。本当にとても立派な人なのね。 同じ波長の人じゃないけどね、もちろん。それでもあの人、気に入ったわ。 だからすごく反省してるの、いままであの人のお祈りをけなしたりしたけど、悪いことしたなって。 ちゃんとお祈りしてるのが分かったのよ、ただ、癖で詰まんなそうに言っちゃうだけ。 もうちょっと気をつけたら、きっと良くなるわ。分かりやすくヒントをあげたのよ。 あたしは自分でお祈りする時、面白いお祈りになるように、あれこれ試してますってね。 ベルさんも子供の頃足首を折ったことがあるんだって、色々話してくれたわ。 何だか変なの、ベル教会監督さんが小さい男の子だったなんて。 あたしの想像力も万能じゃ無いのね、だってそんなこと想像すらできないもの。 男の子だって想像しても、白髭を生やして眼鏡をかけた子しか思い浮かばないわ、 日曜学校で見かける通りで、背が低いだけなの。でも、アランさんが女の子だった頃は、 簡単に想像できるわ。アランさん、14回も来て下さったのよ。 自慢できる事だと思わない、マリラ?牧師の奥さんて、何かと忙しくて時間を取られるのに! それに、来て下さると元気になれるの。こうなったのは自分のせいなんだから、 これで少しは良い子になれればね、なんて絶対言わないし。 リンドさんは、会いに来るたび、いっつもそう言うのよ。それにあの言い方。 あたしが良い子になれれば良いけど、土台無理な相談だって考えてるのが分かるんだもん。 それにジョージー・パイも会いに来たわ。できるだけ丁重に受け答えしたわ、 棟木を歩けって挑戦したのを後悔してるように思えたからなの。もしあたしが死んでたら、 あの子、良心の呵責という暗い重荷を、一生背負うことになってたかもしれないわ。 ダイアナは今まで同様、忠実な友だったわ。毎日来てくれて、我が寂しき枕辺を慰めてくれたわ。 それにしても、ああ、学校に行けたらすごく嬉しいのに。今度の先生ね、すごいんだって。 女の子はみんな、完璧に素敵な先生だと思ってるのよ。 ダイアナが言ってたわ、可愛らしい金髪をカールさせて、すっごく魅力的な瞳なんだって。 着てる服がまた麗しいのよ、袖のパフなんかアヴォンリーの誰よりも大きいんだって。 金曜日の午後は隔週で暗誦会を開くの。みんな詩を暗誦するか、 対話劇のパートを受け持たなきゃいけないのよ。 ああ、考えただけでも楽しそう。ジョージー・パイは嫌でしょうがないって言うけど、 それはジョージーに想像力が少なすぎるからね。 ダイアナとルビー・ギリスとジェーン・アンドリューズで、対話劇の練習をしてるわ。 『朝の訪問』っていう劇で、今度の金曜日に演じるのよ。 暗誦会のない金曜の午後は、ステイシー先生がみんなを連れて森に行く『野外観察』の日。 シダや草花や鳥について学ぶの。それから、朝と夕に体育体操をするんだって。 リンドさんが、聞いたことの無い妙な事ばかりして、女教師なんか選んだせいだって言ったそうよ。 でも、あたしは素晴らしいことだと思うな。 きっとね、あたしと同じ波長だと思うわ、ステイシー先生って。」
「これだけは言えるね、アン」とマリラ、 「バリー家の屋根から落ちても、あんたの舌は健在だってことだよ。」