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所変われど

サンクト・ペテルブルクのゴロツキ警官にはひどい目に遭ったが、 私の地元の神奈川県警も負けてはいないようである。 最近の新聞報道などからピックアップしてみる。

厚木警察署の28歳と26歳の巡査部長が静岡などへの派遣中、 研修先の隊員を後ろ手錠にしたうえ、 低周波治療器で電気ショックを与えたり、(電圧を上げると拷問の様な激痛がある) 実弾入りの拳銃を眉間に突き付けて脅したり、殴る蹴るの暴行をした。 それ以外に隊員の体毛を焼いていた事実も明らかになった。 これは隊員が丸刈りを強要された経験を話した事から発覚。

相模原南署の巡査長が証拠品のネガを持ち出し、 暴力団組員と親しそうに写っていた女子大生を脅して50万円でフィルムの買い取りと親密交際を迫ったが、 被害者が弁護士を通じ渋谷署に相談して事件が発覚。 穏便に済ます事で示談が成立し、 懲戒免職処分になった。 しかし、 神奈川県警は「自己退職」「証拠品はメモ帳で、持ち出したのは捜査手続き上のミス」とうその説明を行い、 社会的な批判を浴びた。現在この事件は立件も検討中。

緑署の巡査部長が生協でペンケースなど6000円相当を万引きし、諭旨免職。

横浜市中区加賀町署の巡査部長が酒を飲んで電車内で女性の体を触るなどして横須賀署で事情聴取され、 諭旨免職。被害者には「会社員」とうそを伝え、警察官の身分を隠していた。

川崎署の警部補が酔ってグリーン券を持たずに東海道線に乗り、 注意した車掌の胸ぐらをつかみ、 騒ぎに駆けつけた別の車掌の頭を叩き、 電車を降ろされた際に車掌を蹴って約2週間のけがをさせ、 傷害容疑などで横浜地検に書類送検された。処分は行われてなかった。

外事課の警部補が意味不明の電話をかけてきた事からホステスに覚せい剤の注射を打たれたことが発覚。 不倫を理由に諭旨免職としたものの、覚せい剤使用を隠していた。

藤沢署の巡査2人が昨年2月、 慰安旅行先で後輩の巡査に「なぜ一緒に酒を飲まない」と殴る蹴るの暴行を加え、 約1時間後、別の巡査が同じ巡査を布団の上から数回蹴り、 ろっ骨骨折などで全治2カ月の怪我を負わせたが、 処分は行わず、2人は依願退職した。

座間署の巡査長はテレホンクラブで知り合った女性とホテルで買春、 投書が寄せられ発覚した。巡査長は依願退職した。

最近では、「叩けば幾らでもホコリが出る」状態であるが、私の気分の変化として

  1. 研修先で隊員に実弾入りの拳銃を突き付けるなんて、最初は信じられない思いだった。
  2. 不祥事が相次ぐうちに、「またか」と思うようになった。
  3. 次第に不祥事慣れしてきて、興味も無くなってきた。
  4. 作家の溝口敦氏は「ヤクザの世界と同じ」と感想を述べているが、私も否定はしない。

サンクト・ペテルブルクのゴロツキ警官と、 神奈川県の不祥事警官との差は、 前者は給料もまともに支払われていないので、 旅行者から金品を巻き上げて生活の糧にしている訳だが、 後者は給料はもらった上に、 さらに50万円や交際を強要するという事である。

旅行者とインターネット

ロシアだと、まだ「最近PCを入れたが、使い方はあまり解らない。 でも、メールを出すなら1通5ルーブルだから、使ってみてくれ」的で、 設定も全然されていないので、こちらで設定しないと駄目というあたり、 かなり上級向きな様に思いました。

最近では旅行者が、 都市でインターネットカフェを探して「ムルマンスクへ向かう。 今度、ワルシャワで合おう」などと連絡しています。 時代は進歩していますね。彼らは、 Hotmail など、 Web ベースの無料メールを使っています。 (Hotmail はトラブルが多い事を知っているので、私は Yahoo! メールの方が 実用的だと感じています)

Web でモタモタメールを書いていると時間がかかるので費用がかかるのですが、 ケチってまともに設定もできていないメールソフト(Outlook Express)を無理に使って安く上げようとした結果、 RTF(リッチテキストフォーマット形式。Outlook Expressはこれがデフォルト)で出してしまい、 後で聞いた所によると、職場では「文字化けしてる」とか、 「これが噂のウイルスメールか!」とか言われて散々でした。 やはり私がセコかったのでしょう。

テロの恐怖

値段の手頃さと観光名所のクレムリンのすぐ近くという立地の便利さで短いモスクワ滞在中に2回行ったレストラン街。 アホートヌィー・リャトと書いてある。 (同名の地下鉄の駅があるが、ここはアホートヌィー・リャトのすぐ近く、 という訳ではない) ここから入って吹抜けにあるエレベーターを降りて地下の3階にセルフのレストランが数軒ある。ロシア風、西洋風、中央アジア風の店があるので、色々味わう事ができる。

ここで8月31日、爆弾テロが起き、約40人が死傷した。 地下3階のゲームコーナーに爆弾が仕掛けられていたと聞き、 「あ、あそこか!」と脳裏にレストラン街の中にあったゲームコーナーの光景が浮かんだ。 子供の集まる場所を狙った卑劣なテロ。 もし2ヶ月早く実行されていたら、私も死傷したかもしれない。

無差別テロ

モスクワ郊外、南東部のグリヤノワ通り (宿泊していたTGHから約10km東にある) のアパートで9月9日に大きな爆発があり、 多数の犠牲者が出た。 当初、ニュースでは「生活用のガス爆発では」と報道されていたが、 私は「ソ連の集合住宅でガスを使うことは有り得ない。 爆発事故を防ぐため、調理も暖房も電気で行うからだ。 またテロではないか」と懸念した。

その後、インタファクス通信に、 チェチェンやダゲスタン共和国への空爆に対する報復のために車に爆弾を仕掛けて爆発させたとの電話で犯行声明があった。 これはロシア史上最悪のテロになった。

9月15日に、最悪記録が塗り替えられるテロが起きた。 これで1週間で住民200人以上が爆弾テロで死んだ。

ロシアよ、どこへ行く?

そういえば、私がソ連時代に旅行したら、 2ヶ月後にクーデターが起きて、結局ソ連は消滅してしまいました。 エジプトに旅行したら、その後で大地震が起きて、 救出や復興の手際の悪さから政府に対する批判が高まり、 イスラム教原理主義が急速に台頭し、 テロがたて続けに起きて、 警察とテロ組織で戦争にも近い激しい状況になりました。 (その後、JTBの日本人ツアー客らがバスごとルクソールで襲われて多くの死者を出す事件が起きる) ロシアもまた、当分安定しない状況が続きそうです。 ちょっと、これじゃ行く気にならないですね。 ユーゴみたいにならないように祈るしかありません。

ソ連時代も、崩壊寸前の頃に行ったせいか、 随分社会的矛盾を感じましたが、 それなりの国だとは思いました。 ロシアに変わってから訪れた1996年には、 自由は得たが貧富の差が生じていると感じました。 今回訪れた感触では、 「ロシアよ、ここまで落ちぶれたか」という感じです。 昔は超大国の一角を担い、 他国に援助までしていたのに、 今では散々援助してもらっているのに、 警官が旅行者にタカリをする程度の国にしかなっていない。

結局、帝政ロシア時代も貧しくて、ソ連時代も庶民は豊かになれなくて、ソ連が崩壊しても豊かにはなれなかった。 それでも、ロシアは彼らの国であり、庶民は何とか生きている。 教育水準は高いんだから、もうちょっとあの経済、何とかならないのかな。 まあ、日本も出口の見えない長期不景気と失業の増加で自殺が急増し、 男性の平均寿命が下がったぐらいだから、 他国の心配より、自国の経済を心配すべきなのかもしれませんが。

次はどこへ行く?

特に決まっていません。 ロシアも、リピーターになるほど見所が残っているわけでは無いですし。 次にと考えていた国は、 来年は情勢が不安定な方向に動く可能性が今から予期されるので、 来年はやめておきます。
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