昼は、荷物を減らし、かつお金は減らさないという目的で、買い込んだカップ焼きそばを食べる。 また、粉末スープをこの機会に飲む。
荷物を抱えて下船という難関をどうにかクリヤし、竹芝桟橋の待合室へ。 自宅に帰って、 少し眠る。さすがに夕食を作る気になれず、 冷凍庫からタコ焼きを出してレンジで温めて食べた。 写真のデータを少し整理する。
後で浴槽に水を張って3点セットの塩抜きをした。
小笠原村観光協会から Hello Bonin! vol.5 というメールマガジンが届いた。おがさわら丸最後の硫黄島クルーズねぇ。 あれ、でも「硫黄島3島には上陸しません。沿岸から硫黄島3島をお楽しみいただく内容となっております」だって? それじゃ物足りなさそう。 前の号で台風8号を「恵みの台風」と書いて顰蹙を買ったお詫びが文末に書かれていた。
脚注:
宿泊したヴィラシーサイドのページ。
もし "SUPER LINER OGASAWARA" が予定通りに 2005 年春に就航すれば、 東京〜父島間は25時間30分かかっているのが17時間程になるため、 このノウハウは役に立たなくなる。 恐らく、前日の午前中あたりが締め切りになると思われるが、 郵便局に案内が貼りだされるでしょう。ビジターセンターに寄った。本当は、初日に来ようと思ったのだが、今年も最終日になってしまった。シュノーケリングガイドを再び貰う。ハカラメと、その育て方のリーフレットも貰う。 他にもガイドの小冊子があるようだ。この「フィールドブック」は3冊組で、 その1冊がシュノーケリングガイドになるようだ。 それにしても私は言いたい。 「何でこっちから言わないと出してくれないわけ?」
インターネットショップも併設している、みやげ屋の「まるひ」に行って、 出航前の最後のチャンスでメール送信を試みることにする。 30分300円なので、 事前に一昨日のメールを手直しする。 「まるひネット」は、64K の ISDN 接続をさらにハブで PC 3 台に分配している模様。 つまり、とても遅い。メールを送って、10 分経っても配送が終わらない。 「このままじゃ超過料金を取られてしまう。早く配送、終われ!」と心の中で叫ぶ。 待っている間に荷物をまとめ、メールの送信が終わらるや否やレジに駆け込んで「終わりました」と告げる。4分ばかり時間オーバーだったが、300円にしてくれた。 というか、遅いから時間がかかってるのに、それで超過料金を取られたらかなわない。
帰りがけに、船内で食べる物を買いにスーパー小祝と小笠原生協を見比べる。 小笠原では、この2店を見比べれば品定めは終了である。 スーパー小祝でインスタントラーメンと大盛りイカ焼きそばを購入。 宿に戻ると 12:15 だった。 荷物をザックに適当に押し込んで慌しく外へ。 おがさわら丸の待合室に行く。 聞くと、今日は乗客は300人程との事。これだけしか乗っていないなんて空いている。 去年のように、事前に乗船券の整理番号順に列に並ぶという事は、この人数ではしないようだ。 13:30 に放送があるので、船に乗ればいいとの事。 13:15 頃に人が動き出すので荷物を持って船の前の列に並ぶ。
13:30 分に乗船開始。 ところが船に足を踏み入れるや否や、ステップで足を踏み外してずっこけそうになり、乗務員に勢い良くぶつかって体勢を立て直す。ここまで来て転倒して顔面を強打とかしなくて済んだのは幸いであるが、メガネをしていなかったのが敗因であろう。
目が悪いので躓いたりするのには慣れているというのもある。席というか、毛布が引いてある場所は往路と同じだった。 荷物を置いて昼食の準備。 大きいマグカップのような形をしている、ステンレスのクッカー (コッヘルはドイツ語) にインスタントラーメンを割って入れる。いったん注いだ湯を捨てて、粉末スープと調味油を入れ、再び湯を入れる。
湯の温度も低いし、いい加減な作り方だからどの道、美味しくはならないので、湯通しなんかしてもあまり意味が無いかな、という気もするが湯の温度が低いので 5 分程待ったが、「まあ何とか食べられる」といった程度。 スープも飲んで横になる。
暑いのでさっさとシャワーを浴びる。 発泡酒を飲むと、すぐに眠ってしまった。
目が覚めたので夕日を見に行く。空が曇って良く見えないが、代わりに水平線の上がピンク色に染まった不思議な光景を見る事ができた。
夕食はちゃんと食べる事にする。トンカツ 680円に、ライスと味噌汁で 980円。 ぼったくりという程ではないが、インスタント味噌汁持参の方が安いかも。 (^^)
Zodiac というのは、RAO がドルフィンスイムツアーに使う大型のゴムボートの名称で、 他のマリンショップが催行するツアーが出す船より小回りがきいてイルカの直ぐ近くまで行けて、全員が同時に全方向から海にエントリーできる利点があるが、屋根が無いので陽射しがきついという欠点もあるらしい。だから、RAO のオーナーは Zodiac というゴムボートを操る Captain (船長) な訳で、RAO は Captain Zodiac という名称も一部で使い続けているのかもしれない。スキンダイビングの事や、 自然環境の事、先日の台風6号の話しなどをする。 この地区は住所などは無く、『扇浦 RAO』と書けば郵便が届くとの事で、びっくりする。 ここ扇浦海岸は好ダイビングスポットで村営バスで来れて、トイレや休憩所もある。
今日も昼はボーノホライズンで食べる。 食後に葉書を買いにいく。「Qussy」という土産物屋である。 ここは小笠原に魅せられて住みついた写真家の経営する店で、 絵葉書の種類が多いとの事。確かに種類が多い。1枚100円なのは、他の店と一緒。 4枚100円ぐらいだと出しやすいんだけど・・・次いで、郵便局に行く。 切手も内地から買って持ち込むより小笠原で買う方が地元局の収入になると教わっていたためである。
小港海岸に泳ぎに行く。 何と、持ってきた筈の日焼け止めが無い! 泳ぐのをやめようかと思ったが、 ここはいいダイビングスポットなので・・・でも、シャツ一枚じゃ、焼けるだろうなと覚悟する。 この湾の様子は分かっているので、真っ先に右の「メガネ岩」という海蝕洞を目指す。 どちらかというと干潮だ。浅い海蝕洞の水路を泳いでくぐり抜ける。 もっとも去年のように「トンネルを抜けると、そこは魚の大群だった」という事は無かった。魚も泳ぐ生き物なので、一年間同じ所に居る訳では無い。 海から上がってシャツを脱いで絞る。 宿で夕食。色々用事を済ませて、 葉書を7枚書き終えて時計を見ると 0:32 だった。 そして3ブロック先の郵便局のポストに投函に行った。
小笠原ではパン一つ取っても「島の事情」というのがあるようです。
宮之浜で泳ぐ。
ここは浅い所も一面サンゴなので、生長するのに何万年もかかるサンゴをドカドカとふんずけるという、いわゆるスキンダイバーとして最低の事をしてエントリーする(海に入って泳ぎだす事)か、浅い所でエントリーしてサンゴで体を傷だらけにするかの二者選択という厳しい条件だった。時間的に、今は引潮なんだろう。(一般論としては、満潮の前後にダイブする)
湾の右のサンゴの群生している所に泳いでいった。次いでブイの方に泳いで、左にもサンゴが群生している所があるので泳いで、最後には湾の左側の浜辺に上がってきた。
休憩所の右のベンチでは地元の日焼けした高校生のグループが、
カセットコンロでタコヤキを焼くなどして楽しんでいたが、
私がブイの方向に真っ直ぐ泳くのを見て、「あいつ、死にに行くんじゃないか」などと言っていたらしい。私は言いたい。
宮之浜は兄島との海峡になっているので海水の温度差が激しく、潮流も急に変わるので沖を泳ぐのは上級者向きで、もしブイの外に出るなら確かに危険だろうが、私は今年はブイの外では泳いでいない。左側の方が、どちらかと言うと浅瀬にサンゴが少ないと、後で思った。
宿に戻ってメールを作成。 デジカメはプリントする可能性もあるので全て200万画素のモードで撮影しているので、 そのままではデータのサイズが大きすぎて送れない。 それで、ImageMagick というツールでサイズを縮小する。 電子メール用と、携帯用に2種類作成。電子メールも携帯のメールも使っていない人のために、同様の内容を FAX でも作成する。具体的には、縮小した画像を BMP 形式に変換し、ペイントで開いてコピーし、ワードパッドに張り付けて、コメントを付けて印刷先を FAX にする。
8時頃から電子メール、携帯のメール、 FAX 用の文章を作成し初めて、出来たのが 9:44。しかも、全て送れなかったのである。 気安く「メールします」「FAX 送ります」「葉書出します」なんて約束したら駄目だな、と思った。
昨日は送れたのだからと、意地でネット接続に再挑戦しに行く。 直線で都心とは約1000km離れているが、実際には衛星回線経由のため、衛星の静止軌道を往復すると、およそ 72000km になるせいか、今日はダイヤルアップ接続が確立してもまるでデータが通らず、FAX も途中で駄目という状態。 300円ぐらい費やしても、一枚も写真が送れない。 ipconfig /all をしてみると、ちゃんとつながっている。 それでも通信できないとなると、トラブルシューティングの術が無い。 断念し、宿に戻る。 時計を見ると、23:53 だった。
これなら ISDN で接続した方がマシかと思うが、小笠原諸島は「離島に関する通話料金の特例」を受けるため23区への音声通話は90秒10円で済むが、ISDN はこの特例の適用外のため、1000km の料金がかかるとの事。
朝食は、クロワッサンとパンプキンパン、サラダと紅茶で860円。高過ぎる。和食の方が安上がりかな。紅茶も、250円ではないかとの事。お湯と紙コップはタダなので、 紅茶のティーバッグを持ってくれば良かった。薄い色のお茶のようなお湯はタダである。
入港30分前に圏内に入ったのでショートメールを送る。
上陸すると宿の人が車で迎えに来ている。 「丸丈食堂」に行って食事をする。 テレビでは東京は39度にもなったとニュース報道している。 サンダルは最初から持って来ておらず、でも必要なので帰りがけに「フリーショップまるひ」でぎょさんを780円で買って、島の人のような生活を体験するという一環で郵便局で1万円を降ろす。
メールを書いて出して、 職場のメールを暗号化した物を FTP で取得し、復号したがここで読んでいるヒマは無い。 速攻で PC のシャットダウン操作をして持ち帰る。 リカーショップ沖山に寄る。ここの中のジュースを冷蔵している所にいると涼しい。 数少ない、本当に小笠原で作った特産品の「ラム酒」もあったが、 竹芝桟橋の「東京愛らんど」と値段が変わらない事を確認しただけにとどめ、ジュースを購入。 帰って即座に3点セットを持って、ぎょさんを履いて宿の近くの大村海岸に。 もっとも大村海岸は基本的には海水浴場なので、スキンダイビングの練習という意味合いになる。 何だか去年より下手になっている。
海から上がっる。宿にシャワーぐらいあるのではないかと思ったが、 念のために水シャワーを浴びて宿に帰る事にする。 「今日中に洗濯しなければ明日は着るものが無い」という切羽詰まった状況なので、 何が何でも洗濯しなければいけない。物干場は外と宿の人から聞いていたが、無いようだ。 結局、部屋に干さないといけない。 そこで、海ガメの産卵も、星を見に行こうという誘いも断って、洗濯機を回している間にロープを作る。この「ロープを作る」というのは、ほとんどの旅行者はこんな事はしないであろうが、私はやる場合もある。おがさわら丸の各所に吊るしてあって自由に持って来れる袋(主な用途はゲロを入れるための物。スーパーのレジ袋と同じ)を、包帯ぐらいの幅で螺旋状にハサミで切る。 なるべく幅が同じになるように切らないと、狭い所が切れ易くなってそこで全体の強度が決まるので、慎重に切らなければならない。ハサミも切れ味が悪い事もあって時間がかかる。 結局、6畳の部屋を2往復するぐらいの長さのヒモが出来た。ヒモの中央を壁のフックに通し、編むようにして一本にする。次いで、ヒモをねじる。これで見た目は別として、どうにか下着が室内に干せる程度のヒモが完成した。時計を見るとヒモ作りに40分ぐらいかかっていた。コインランドリーも洗い終わっていたので、干す。「それにしても」と私は思った。「ちょっとミジメな気持ち」
もちろん常識的には、頻繁に洗濯しなければいけないのであればヒモぐらい持って来るべきである。いざとなればヒモを作れるとしても、ヒマが十分あるというのでなければ貴重な旅先での行動時間が無駄になる。
PC を立ち上げ、デジカメのデータを吸い上げる。 暗号化した職場のメールを読む。 職場の送別会&壮行会をするので今日の5時までに出欠を返事されたいというメールもあったが、 「昨日出して今日の5時とは無茶だ」と思って無視を決める
日記をつけて寝る。
超暑い中を、手に喰い込む荷物を持ってJR品川駅へ。 通勤ラッシュの満員電車に気兼ねしながら乗り込む。 浜松町の自動改札の手前で切符を床に落とす。 荷物が多過ぎて、切符もうまく拾えない。 竹芝桟橋への道のりが暑く、長く感じる。 私の従来の旅行スタイルでは基本的に貧乏旅行で、「紙一枚でも軽く」をモットーに極限に近い軽装備で、 「タクシーに乗るのは旅行者の恥」という感覚を培っているのだが、 今回は「荷物を担いだまま走ったり、電車のタラップから飛び降りられる程度」 では済んでいないので、見栄を張って「私は旅慣れているんだ。竹芝桟橋ぐらい自分で行ける」などとしない方が良かっただろう。
のちの報道によると、20日は大手町の気象庁で最高気温39.5度、足立区では42.7度を観測したようだ。 日本の最高気温の記録は昭和8年に山形市で観測された40.8度。 気温の正式な測定は芝生の上1.5m場所で測るなどと規定されているので、42.7度は参考記録になるようだ。竹芝桟橋の「東京愛らんど」で「長期滞在者のための小笠原観光ガイド」を購入した。 いよいよ乗船。 自分の荷物がバラけ、手におえない状態。またPCを落とす。 立教小学校の「選択旅行 小笠原コース」の5年生の男子27人、教師3人、引率1人が来ている。 一等に乗るようで、優先的に乗船する。この子達、お金がある家なのかなぁ。 船から、見送りに来てくれた人たちを見送る。 さっそく iモードでメールを送る。
PC が動いたので安心した。 とりあえず船の中でする事と言えば、ジャスミン茶を飲んで、お菓子を食べて寝る位な物である。 船が東京湾から外洋に出ると、ちょっと揺れ出す。 船内は寒い。 衛星公衆電話から FAX 送信を試みたが、送れなかった。 注意書きを見ると、FAX は送れないと書いてあるので諦めて夕日を見る。 再度、衛星公衆電話から、今度はダイヤルアップを試みる。 アサヒネットもつながらない。0077 の様な特番はダメとも書いてあった。 そこで、「負けてたまるか」とアルファネットへのダイヤルアップを試みる。 スピーカー音を大きくして、回線の様子を聞いてみる。自宅では聞いた事も無いような、エコーがかった変な音。まるで接続できない。テレホンカードの残り度数だけが減っていく。 「船の中からメールや FAX で近況を送ってびっくりさせてやろう」という計画は、計画倒れに終わった。
南の島で行動するのに向いた靴が無いので買いに行ったが、良いのが無いので諦める。 考えてみれば、今のも1000円で買った物だから、たとえこれが小笠原で駄目になっても、 帰ってから新しいのを買った方が、南の島用に靴を買うより安いと考えた。 それで買い物は100円ショップでベルトを買うだけで終わり。
東京都小笠原は、 DoCoMo の mova しか使えない。 そこで知人が解約した携帯を「小笠原で下さい」と頼んで、もらった物をドコモショップに持ち込んで、契約料3150円を払って使えるようにした。 iモードは月額300円で、これも日割りで精算で良いとの事で、物は試しと申し込んだ。
gpg --gen-key
でキーを生成して (1024 bit) sh から symmetric encryption で使ってみる。判ったこととして
#!/bin/sh LOG=/tmp/log rftp -i -v -n ftp.example.com << END >>$LOG user Username Password ls bye ENDなどとしてやればいいようだ。(結果は LOG に残る) ああ、長年 UNIX をやっていて、こういった基礎も身に付いていないとは。 これでファイヤーウォールを越えて自動で FTP できるな。後は GPG で暗号化すればいい。
さて、ノート PC に FreeBSD 4.10-RELEASE を入れると
umass0: CBI reset failed, TIMEOUT
umass0: CBI bulk-in stall clear failed, TIMEOUT
umass0: CBI bulk-out stall clear failed, TIMEOUT
となる問題に挑戦。
どうもこの問題にハマったらしい。 どうしても解決しない。umass ドライバは 4.10 で
The umass(4) driver now supports the missing ATAPI MMC commands and handles the timeout properly.と言っているが、タイムアウトを適切に処理するどころか、 無限ループっぽいじゃないか。 しかも umass ドライバはカーネルに静的にリンクされているので、 外したカーネルを作りたくても、起動できなきゃどうしようも無い。 悪あがきをしたが駄目。
そこで他の 4.10-RELEASE のマシンで umass を外した kernel を作り、 Windows でそのノート PC に kernel をコピー。 (たまたま FAT のパーティションがある PC だったが、無ければ CD-ROM をマウントする事になるだろうか) PC を fixit.flp で起動して、
mkdir /freebsd
mkdir /dos
mount_msdos /dev/ad0s1 /dos
mount /dev/ad0s3 /freebsd
cp /dos/kernel /freebsd/kernel
としてやったら、、、立ち上がった。そこで、
これを参考に (さすがに見ないでやるのは厳しい) ifconfig を手で設定し、他の 4.10-RELEASE のマシンで
vnconfig vn0c /usr/tmp/4.10-RELEASE-i386-disc1.iso
mount_cd9660 /dev/vn0c /usr/local/www/data/ftp/pub/FreeBSD/releases/i386/4.10-RELEASE
してカーネルのソースをネットワークでインストール。
カーネルを作り直して起動。やった! と思いきや、キーボードが認識されない。 (;_;)
さすがに、やり直すのは明日にしよう。
ガザでイスラエル軍が難民キャンプにミサイルとの報道。
他には イラク人に川への飛び込み強要、1人死亡、米兵訴追とか、 イラクにイスラエル人尋問官? アブグレイブ元責任者 という記事もあった。
ある人と話をする。イラクの人質殺害を「テロリスト」「残虐」と言っている。 まあ、それは間違ってはいないと思うが、F-16 やトマホーク、ステルス戦闘爆撃機やアパッチ戦闘ヘリコプター、クラスター爆弾や劣化ウラン弾まで用いて民間人をドバドバ殺すのは、残虐だと思わないという感覚が理解できない。そういえばサダム・フセインが裁判にかけられるらしい。イラクで散々悪いことをしたから裁かれる事自体はいい事だが、問題は
事だろう。
サダム・フセイン政権が大量破壊兵器を用いたテロを起こす可能性があったから先制攻撃をするのは正当だという「大義名分」はどうなったのか? その結果、どれだけ多くの無実のイラク市民が犠牲になったのか。1万人を越えているという報道もあるが、結局、
という事になる。犠牲者の数を考えれば、という事だが。
もちろん、テロは悪い。ただ、相手を根拠も無くテロ呼ばわりしさえすれば、どんな事をやっても許されるし自分は正義なのだ、といった主張は通用しないだろう。
1988年に女子高生コンクリート詰めリンチ殺人事件を犯した当時17才の少年が監禁致傷で逮捕。33歳になっても、何も反省も更生もしていなかったようだ。 何とこの男は事件が起きた埼玉県八潮市に今も住んでいた。 コンピューターオペレーターをしていたとの事。