2003-05

(2003-0531) 今日は台風4号の影響で雨。 朝はトムヤンクン味のカップ麺、昼はコーンフレークスにトーストに目玉焼きにシェラカップで沸かしたコーヒー。 夕食にはパェーリャを作ってみた。 もちろん、サフランなどという立派な物は無い。 ニンニク2片を薄切りにしてダッチオーブンにオリーブオイルを引いて炒め、 タマネギを輪切りにして(普通はみじん切りにする)一緒に炒め、 ニンジンは乱切りにしてこれも一緒に炒める。 冷凍シーフードミックス200gを入れて炒め、 中身を取り出す。 今度は米を1.5合入れ、 オリーブオイル60cc程度で炒める。 料理の本には「米が透き通るまで」とあるが、火力が強すぎて米が白くなってしまった。 米の外側がアルファ化し、中は生のままである。 これだと火が通りにくいので、既に失敗を覚悟する。 コンソメを溶かした水120ccの代わりにカップ麺のスープの残りを入れ、 ワイン60ccを加え、具を戻して蓋をして(料理の本によれば蓋はしないのだが)弱火で加熱したが、 まるで焼き米(火事になった家から掘り出した米びつみたいに)にようになってしまった。 あたかも出来損ないのポップコーンみたいに、米がパラパラになって焦げている。 いや〜、ここ10年の間で作った料理の中で、最悪の失敗作と言っていい。 バリバリと音を立てながら焦げた米を歯で噛む。 不味い! しかし、捨てた所で代わりに食べる物があるわけではない。 諦めて食べたが、残ってしまった。 明日、これを粥にでも作り変えるか?

色々反省しながら今後の事を考える。 う〜ん・・・パェーリャはもっと練習しないと駄目だな。敗因として

何度か具の無いパェーリャを作って練習するか。 タマネギとニンニク、米とコンソメだけの奴を。 パェーリャ負けてたまるか、と思う。しかし明日はどうしようか。 やっぱりパェーリャはやめておこう。ローストチキンとジャガイモだろうな。

笑えるニュース: 27自治体で住基とネットが“接続” 長野審議会報告


(2003-0518) 電話が来た。

「杉原さんの奥様でいらっしゃいますか?」
「違います」
「ご主人か、奥様はいらっしゃいますか?」
(主人なら私なんだが...)「どういった御用件なんでしょうか?」
「投資の話でして...」
「そういった話でしたら、お断りします。」

・・・まったく、そっちの耳が悪いのか、それともウチの電話が悪いのか?

カラスどもがアパートの屋根で大騒ぎしている。 ただならぬ雰囲気だ。 どうやらドアの上のひさしの鳩の巣をカラスが狙っているらしい。 かえったばかりのヒナのご馳走にあずかろうとでも言うのか。 同じトリ同士のくせになんて奴らだ。 下着姿のままドアをあけてカラスの群れをとりあえず追い払い、 さらに引き返して適当に服を来て傘を持ってカラスと対決しに出て行く。 もうカラスはいなかった。(鳩のヒナもいなかったりして)

夕食に鶏肉のカシューナッツ炒めを作る。 (鳩のヒナがカラスに食べられるのは可哀想と思いながら、鶏は食べるというこの矛盾はどう説明をつけるのやら) 今度、バーベキューをやろうというので、 その練習も兼ねて100円ショップで買った小ぶりの中華鍋で作ってみた。

→ダッチオーブンで作った時よりまずかった。

カセットコンロ程度しか使えなくて、炒め物はおいしくないとなると、 水炊きかスキヤキぐらいしか作れないな。


(2003-0517) 自転車で走行中、カラスが電線に大挙して止まっていた。 警戒して避けながら走っていたら、案の定「ビシッ!」という、 大粒の糞がアスファルトと衝突音が連続する。 幸い、うまく避けられたようだ。危なかった。

しかし中には「トマホーク」とか「クラスター爆弾」が頭上から降って、 それを必死に避けていた国もあるんだけどね...


(2003-0515) いや〜、最近は Web 日記も広まってきて 賭けゴルフをした 事を書く人までいるんですね。 新聞で取り上げられ、 慌てて削除して釈明するのかと思いきや
「賭けという言葉は使っているが、勝者が昼食をおごるという慣例の延長線上の話。問題はない」
との素晴らしい法律認識と開き直り。 いや〜、自然に囲まれ土地も広く、のんびりしていている所ですと「賭博罪」なんて事は誰も気にしないんでしょう。(笑)
(2003-0514) 図書館で本を返してお台場に行き、 タイム24ビル、テレコムセンター、東京みなと館、大江戸温泉物語、青海南埠頭公園、潮風公園、お台場海浜公園、アクアシティー、デックス東京ビーチ、フジTV、ヴィーナスフォート、サンウォークに行った。 (アステルの PHS がお台場で使い物にならないという情報の真偽を調べて 掲示板に投稿するため)

それから無料でインターネットが使えるタイム24ビルや東京都青少年センターに合計3回も寄って、調査の仕事も少しした。 仕事でトラブっているとはいえ、今日は休みなのに...

アトリウムコンサートは良かったですね。 ミヨーのスカラムーシュは、曲があんまり・・・って感じでしたが、ルトスワフスキーのパガニーニの主題による変奏曲は、前衛的な感じもして気に入りました。

昼間食事をした太陽樓も平日で空いていて良かったです。 美味しかったし、海は見えるし。 でも「60品目のメニューが揃った和・洋・中のバイキング」とあるけど、 60品目というのはディナータイムの話ではないか、と思う。 どのみち、それほど食べられませんが。 値段は1時間で、消費税も含めると998円です。

お台場海浜公園では海水の浄化実験の工事をしていました。 今日の台場海浜公園は平日の割りに会社を休んでお台場でくつろいでいる人が結構多い(私もそうだけど)というのと、修学旅行生が沢山いたのが特徴だったかな。 何よりも、パレットタウン前はポピーが満開なのが良かった。

スポーツオーソリティーでアウトドア用品を見て早めに帰宅し、食糧を買って風邪でダウンした知人宅に持参。 私は自分用に砂糖と小麦粉を買いました。 夕食は焼きそばを作って食べた。


(2003-0512) ダイオキシン 『猛毒説は妄想』 なんて報道があって 多くの読者から反論がったようだが、 本まで出している ようだ。

凄いな。 渡辺正・東大生産技術研究所教授は

イッキ食いでもしない限り、急性毒性で死ぬことはない。サルのデータなら七万年分だ
と言っている。

1968年に起きた カネミ油症事件 では、PCBが混入した米ぬか油を食べた両親から生まれた子供にも被害が出たんだが・・・ その主な原因がPCBに含まれていた不純物のポリ塩化ジベンゾフラン(ダイオキシンの一種)だったのだが。

ならば是非、渡辺正教授にはPCBが混入した米ぬか油をイッキ飲みしてもらいたい物だ。 (今から父親になる年齢じゃないから関係無いのかな)


(2003-0511) 朝はキムチ味のカップ麺を食べて、またちょっと横浜へ。 弁当は京樽の500円のやつにした。 石川町から元町へ。 元町なんて、前に来たことがあるのかどうかも思い出せない(初めてかも)が、 洒落ててなかなか気に入った。 本屋に洋書が置いてあるので行ってみる。 まあ、それほど多くは無い。 元町商店街をほぼ渡り切った所を右折すると外人墓地がある。 外人の墓地を見ても別に面白くは無いが、 (日本の発展に貢献し、横浜の地で眠る事になった点に関しては感謝すべきなんだろうが)どのみち閉まっていた。 港の見える丘公園に行く。 便所の前に薔薇の生け垣があるなんて、なんて洒落ているのだろう。 この公園はこの便所の薔薇が一番見事だ。 展望台から景色を見る。 やはり、野毛山公園の展望台よりずっと良い。 フランス橋を渡って山下公園へ。 先日の外人がまた火のついた棒やチェーンソーを投げている。 観光人力車も営業してた。 いつのまにかプロムナードが出来ていて、山下公園から赤レンガ倉庫方面に歩いて行ける。 京は既に相当歩いたが、根性でプロムナードを歩いてみる。 船が見えて楽しい。 ヒロ・ヤマガタとNASAの世界 という、ど〜しようもない芸術イベントをやっていた。 「入場無料」とある看板に引き寄せられ、 会場に足を踏み入れたが、無駄に会場内を歩いて、サーカス小屋みたいな所の入口で「ここからは入場券が必要です」と言われ、これまで会場を見た限りでは見る価値は無さそうだと判断して引き返すだけという結果になった。

赤レンガ倉庫に行く。 開業当初の殺人的な混み具合も一段落付き、 何とか中が見れるようになったのは喜ばしい。 ここの夜景は、友人からの推薦通り、良かった。 大桟橋の灯や波間の海のきらめき、みなとみらい地区のライトなどがみんな見える。

横浜ワールドポーターズ まで行くとさすがに足が疲れて来た。 ここの VIVRE でトムヤンクン味のカップラーメンと、 伝説的なまずさを誇るルートビールを120円で各3つ購入。 また、横浜の土産を買った。 荷物があるので帰りはさすがに汽車道で近道して桜木町駅に戻った。

家で肉抜きの焼きそばを作って食べた。 キムチ味のカップ麺の残りのスープは冷凍し、これは後日キムチ鍋に再利用するか。


(2003-0510) またちょっと横浜へ。横浜フリー切符を550円で購入。 横浜で降りようとしたら切符の「行き」の方が無い。 駅員に事情を説明して、改札を通してもらった。 ああ、セーフ。 崎陽軒のシウマイ弁当を710円で購入。 美味しいけどちょっと高い。 横濱之地図 を観光案内所で、 メトロポリス横浜 Walking横浜ルミネ で手に入れる。 ルミネで ウィークエンドコンサートをやっていた。 コンサートは一回約30分。なかなか良かった。

みなとみらい ネット・ギャラリーに行く。 夕方は混んでいるらしく、5分程待った。 ここは身分証の提示に加えて IEの「戻る」アイコンを無効にしていたり、 OSも「スタート」メニューも無いなど制約がキツい。 コピーペーストも出来ないようにしてあった。 おかげでネットで見掛けた緊急連絡を要するニュースも、 結局は自宅から会社にメールした。 (急を要するニュースがあると出先で調べられただけでもありがたいが) なとみらい ネット・ギャラリーで「仕事」をするのは、ちょっと慣れやコツが必要だろう。 ここはセキュリティーはしっかりしていると思う。

L.L.Beanの横浜店に行ったが、 アウトドア商品はほとんど無く、ウエアばっかりという印象。 ジャックモールのスポーツオーソリティに行く。 アウトドアのリクライニングチェアーなどを見る。 悪くは無いが、買って帰るのは無理ですね。 新しくできた「アルカエフ」という店(ショッピングモール)に行く。 ここの D.I.Y. の店は大きい。

どうしようかとも思ったが、明夜は天気が崩れそうなので、 野毛山公園に行く。 ここの展望台から夜景を見た。 辺りは人が居ないので、女性だけ、とかいうのはちょっと危ないな、という印象を受けた。 肝心の夜景だが・・・まあ、「穴場」と言うのに相応しい。 つまり、あまり大した事は無く、訪れる人もほとんど居ないという事。

腹が減ったので吉野屋にでも行こうかと思ったが、 桜木町には見当たらないようだ。 まあいいか。 家に帰ってパエーリャを作って食べた。


(2003-0507) 面倒事は一組の書類で始まった。

ある日郵便受けに「御近隣の皆様へ」という書類がポストに入っていた。 「何だ、こりゃ?」と思って中を見た。 「東隣りに家が建って朝日が当たらなくなるのか!」とびっくりし、 慌てて図書館やインターネットで泥縄的に調べてみた。 図書館では訴訟や裁判、建築に関わる法律や判例に関する本を借りて必死で連日朝3時頃まで読んだ。

私は借家人なので直接は関係ないと言えばそれまでであるが、将来に自分が同様の立場になった時の社会勉強のつもりで関心を持った。 「こういう場合、泣き寝入りするしかないのだろうか」という事と、自分は実質4階建ての家を建てて良好な日差しを楽しむために、以前から住んでいる住民は日陰になって泣け、という精神態度は人間として許し難いと思った。

聞いた所では、かつて私の親族にこういった面倒事になると決まって逃げてしまう人が居たとの事。 随分昔の事なので話が正確かどうかは不明であるが、 道路を建設するので土地を収用したいとの話し合いにも当日逃げ隠れてしまい、 事情のわからぬ家人が代わりに対応する羽目となり、 結局相当の面積の土地を一切の補償も無しに供出させられてしまったとの事。

戦後に都内の土地の値段は上がり続けたので、 もしかしたら私はゆくゆくは農地の跡取り息子になって、 農地は宅地にして大資産家の御曹司になっていたかもしれない(笑)
別にクレーマーになろうというつもりは無い。 (そもそも英語では「文句を言う」は complaint である)しかし、

「私は面倒事に逃げ出す男にはなりたくない」

と思った。

行政法上の観点

今度建つ◯×さん宅は、日影(にちえい)規制ギリギリで設計しているので、行政法上は合法なので、建築を差し止める裁判を起こしても勝訴する可能性は低いようだ。 よって、条件闘争にならざるを得ない。

条件闘争の内容

近隣住民説明会

書類には「期日は、はなはだ勝手ながら下記の通りとさせていただきます」と一方的に日時や場所が書かれていた。全くその通りで、何の相談も無しに決めて「話を聞きに来い」というのは勝手その物だと思ったが、出る事にした。 出ないと「欠席裁判」で原告全面勝訴みたいになりかねないとも危惧した。

話はだいたい予想した通りだったが、特に笑えたのは

  1. 「崖が崩れる事は絶対無い」とまず太鼓判を押しておきながら、 「崖の地質はこれから調査して事故の無いように安全に注意して行いますので」との説明。 まだ調査もしていないのにどうして絶対安全だというのかと聞くと、 建設業者の一人は声を荒げて私の前の机を掌で叩き、 なにやら弁明していた。 「では、もし崖が崩れるなどして被害が出たら補償する事を書面に書いて下さい」 と言った。
    →「絶対安全」な割には、書面に書くのは気が進まない様だった。
    →大家さんによると「この崖は以前に一度、崩れている」との事。 何もしなくても崩れた事のある崖の、すぐ下を 6m も掘り下げて安全な訳は無いと思うが。
  2. エアコンの室外機が6つも、まともに隣家(つまり、ウチの方)に向いているのに、 「6台同時に使うことはまず無い」とか(そんな保証がどこにあるというのか)何度も強調して納得させようと試みたり、 「7m 離れているので熱風が行くことは無い」と言うので 「7m と言ったところで、水平に 7m ではなくて、崖の下から 7m だから、熱気は上に行く以外に無いでしょう」と言うと、 「いや、そんな事は無い。熱は拡散する」 「では、どこに拡散するのか。下に熱風が行くとでも言うのか。(熱風は崖を上に伝わって)上に行くしかないでしょう」 と言って、ようやく熱気が上に行く事を認めた。 これも、「熱風が来たら、そちらの費用で工事をやり直すと書面に書いてくださいね」と希望を伝えた。
言う事について数々の矛盾に目をつぶらない限り、信用するのは難しい業者だ。

それにしても、普段は使わずに客人が来た時に泊めさせるだけに使うというゲストルームまで作る程に資産のある◯×家が、 日陰になって迷惑をかける近隣住民にビタ一文払えないというのはおかしいと思う。 そんなにお金が無いなら、実質4階建ての家などは建てず平屋の家でも建築すればいい筈だという事になる。 結局、◯×家、あるいは、建設業者は自分の事しか考えていない事になる。 そうであれば、こちらも少しは自分の事を考えて要求すべき事は要求してもいいのではないかと思った。

まずは建築の設計変更をお願いするのが先だと思ったので、 金銭補償はあまり口にしなかった。「金さえ払えば片が付く」と思われては損だ。 私自身は仕事があるので金をせびらなくても生きていける。 もちろん私とて、朝日が当たらなくなるとか、一年も工事でトンチンカンやられるのは全然嬉しくは無いので、設計変更はあくまで拒否するが代わりに色々迷惑をかけるのでその補償に金一封をお受け取り下さいというなら、何ももらえないよりもらった方がまだマシではあるが。

行政法上は違法でないのに日照阻害により工事差し止めが認められた例として、自由国民社「新築・増改築・修繕の法律と手続き」の43ページに

という場合があった。
そこで私が住民説明会で、小さいお子さんが日の当たらない環境でずっと生活しなければならないのはあまりに気の毒だという話をした
工事の仮差し止めを求める事も可能であるが、多額の保証金を積む必要があるし、訴訟をしても行政法上はギリギリ合法なので勝訴する可能性は低いと思った。

行政法上は合法(違法建築ではない)だからといって、民事法的に、大家さんの所が日照を阻害される事で受ける被害に関して、◯×氏が何ら損害を賠償しなくていいという事にはならない。 大家も近隣に日陰を作っているのは事実であるが、既得権(以前から住んでいた住民の権利は後から来る住民が尊重すべき)があるので、例えば

という交渉もできるであろうが、なにせ相手はプロの建築業者なので一筋縄ではいかないであろう。 ◯×氏はそんなに自分勝手な人間ではなく、一生懸命働いて財を成して、 面倒事の全てを建築業者に任せているだけなのかもしれない。 しかし、建築業者は億単位のお金を動かすので、一般人の常識は通用しない場合が多いと思う。私も数百円の物でもスーパーで安売りをしていれば「買いに行かなくちゃ損だ!」と思うが、それが億単位の金額になるのだと思えば、金に対する執念に関して察しがつく。 おおかた手に入れた土地(「こんな急斜面に家建てるか、フツー?」と言いたくなるような土地ではあるが、都内なら話が別なようで、根性で造成するようだ)に最大限付加価値を高めた家を建ててそれを売って利益を上げ、近隣住民の補償などはゼロか最小限にして経費を目一杯節約しようというのだろう。

区の不動産相談

裁判を起すとか、弁護士に相談するのは費用も時間もかかるが、区には随分と税金を納めているのでたまには相談サービスを受けても悪くはないであろう。 費用は無料である。 もっとも私は、区役所の相談の代表番号にかけて事情を話し、3箇所ぐらい電話を回されはしたが、一応相談に乗ってくれたので役所に赴く事はしなかった。 ちなみに区役所の「建築相談係」で聞いた話によると、 という厳しい内容だったが、「行政法上は適法だが、日照阻害により被害を受ける場合の賠償に関しては全く話が別」との事で、まずは住民説明会で話を聞いてみてくださいとの事でした。

前述した通り住民説明会では私から金銭的賠償を求めると混乱するのでそれはしなかったが、建築業者は黙っていればビタ一文払いそうも無いので、あれで「住民説明会は終わりました」という気ではないだろうとは思うが、念のため次回は何時なのか確認が必要かもしれない。

また「陳情はできる」という事で、そうなると、区は、金の事しか考えないプロの建築業者ではなく、建築主である◯×氏との話し合いになるようなので、(正確な所は区役所に確認しないといけないが)設計変更や日照阻害による賠償の交渉において、一般人の常識に基づく話ができるかもしれないと思った。(行政法上は適法なので、設計変更や工事差し止めの「命令」は出せないが、近隣住民の意向を受けて◯×氏が設計変更を建築業者に指示するのは一向に差し支え無い筈である)

大家さんには

などをされると良いのでは、とお話をした。
(2003-0505) あまりお金が無いのと、今日はどうせ連休の最終日でどこも混んでいるだろうし、 ちょっと朝寝忘して遅くなってしまったので、 Spring holiday period (和製英語ではゴールデンウィーク) の気分転換としては近場の横浜にして、メチャ混みしなさそうな所に行った。

向かう途中の東海道線の車内で、 喧嘩でも始まったのかと思うような怒鳴り声が響いてびっくりしたが、大声で携帯電話で債務の回収について知人と情報を交換しているだけだった。 不況のせいか、払うものを払わない相手にどう対処するのか、真剣勝負のようなやりとりだった。

横浜駅東口では子どもらが噴水で大はしゃぎ。 今どきこんなので喜ぶなんて珍しい。 さて、桜木町から歩いて入場無料の野毛山動物園に向かう。 歩けない距離ではないが、上り坂だし暑いし、野毛山公園や動物園内で相当に歩くのでバスで来た方がいいかもしれない。 園内は親子連れが多い。(子供の日なのだから当然という気もするが) まずはレッサーパンダ、ゾウ、キジの一種、フラミンゴ、ラクダ、アヒル、ペンギンなどを見た。ウサギやヒヨコ、ハムスターをだっこできるコーナーは、 動物園内に移ったようだ。(ガイドブックには野毛山公園の方にある事になっている) 今日は行列になっている。 ここはタダでのんびりできて楽しいが、バリアフリーにはなっていない。 野毛山公園は横浜市内が一望できる。夜景なんかも綺麗そうだ。

のんびりし過ぎて山手の洋館めぐりをする時間が無いので、 多分花は終っているだろうとおもいつつ横浜公園に向かう。 まず桜木町まで歩いて戻って関内で降り、桜木町方向に近い改札を出て駅前の100円ショップに行って、切れかかったベルトの替えを探したが100円の予算では気に入った物が無かった。吉野屋も今回はパス。

関内の駅前を、石川町方向に歩いて横浜公園に行く。 予想通り花の盛りは過ぎているが、 少しは遅咲きのチューリップもあった。 せっかくだから中華街を通って朝陽門をくぐって山下公園に向かう。 途中で明治屋があるが、さほど珍しいエスニック食品等は無い。 それにしてもしばらく横浜に来ていないせいか、 土地勘がにぶっているようだ。

山下公園の前では学生とおぼしき男性が観光人力車を引くアルバイトをやっているようだ。 赤い靴はいてた女の子が、外人の宣教師に引き取られた事などをかなり詳しく、 かつ正確に客に説明していた。

山下公園の中で外人が大道芸をやっていた。 火のついた棒をお手玉のように投げる程度の芸でずうずうしくもチップに紙幣を要求し出したのと、 今度はチェーンソーをバトンの様に投げる技をやると言って、失敗すると手がちぎれるとの事で、そういった危険でくだらないパーフォーマンスやら、もし失敗した時に血しぶきが飛ぶ悲惨な光景など見たくはなかったので、さっさと退散。

ふ〜む...赤い靴はいてた女の子の歌の詞では、横浜の港が歌われているのか...だから、その意味では赤い靴はいてた女の子のモニュメントが山下公園にあってもおかしくはないんだね。 でも、本当は岩崎きみちゃんは当時有効な治療法の無い結核にかかって回復せず、 宣教師夫妻がアメリカで治療を受けさせたいと願ってもメリケン波止場から長距離の船旅に出るだけの体力はもはやなかったんだよね。

赤い靴はいてた女の子のモニュメントは確か日本に4つある。 横浜のは一番最初の物で昭和54年に完成したから、まだ赤い靴はいてた女の子が誰だったのかが広く知られていない頃に建てられたわけか。 あとの3つのある場所は、生まれ故郷の静岡県清水市、 母と義父とで暮らしていた北海道、 そして岩崎きみちゃんが眠る東京都港区麻布。

歩き疲れたので山下公園から 100円バスに乗って横浜駅に戻る。 結局、今年の連休の行楽費は横浜フリー切符が550円、コーラ 500mL が 150円、後は 100円バスで、 しめて 800円か。やはり観光するからには頑張って早起きして、 山手の洋館めぐりもすれば切符がもっと有効に使えたのに。

家に帰って冷蔵庫の中に残っていたジャガイモとニンジンと食べ忘れて賞味期限が過ぎたソーセージでシチューを作って、パンをトーストして食べた。 モヤシとニラが余ってしまったので、レンジで加熱してラップして冷凍庫に入れた。 いつか味噌汁にでも入れよう。 最近は食材を無駄にする事も無くなった。