色々反省しながら今後の事を考える。 う〜ん・・・パェーリャはもっと練習しないと駄目だな。敗因として
笑えるニュース: 27自治体で住基とネットが“接続” 長野審議会報告
「杉原さんの奥様でいらっしゃいますか?」
「違います」
「ご主人か、奥様はいらっしゃいますか?」
(主人なら私なんだが...)「どういった御用件なんでしょうか?」
「投資の話でして...」
「そういった話でしたら、お断りします。」
・・・まったく、そっちの耳が悪いのか、それともウチの電話が悪いのか?
カラスどもがアパートの屋根で大騒ぎしている。 ただならぬ雰囲気だ。 どうやらドアの上のひさしの鳩の巣をカラスが狙っているらしい。 かえったばかりのヒナのご馳走にあずかろうとでも言うのか。 同じトリ同士のくせになんて奴らだ。 下着姿のままドアをあけてカラスの群れをとりあえず追い払い、 さらに引き返して適当に服を来て傘を持ってカラスと対決しに出て行く。 もうカラスはいなかった。(鳩のヒナもいなかったりして)
夕食に鶏肉のカシューナッツ炒めを作る。 (鳩のヒナがカラスに食べられるのは可哀想と思いながら、鶏は食べるというこの矛盾はどう説明をつけるのやら) 今度、バーベキューをやろうというので、 その練習も兼ねて100円ショップで買った小ぶりの中華鍋で作ってみた。
→ダッチオーブンで作った時よりまずかった。
カセットコンロ程度しか使えなくて、炒め物はおいしくないとなると、 水炊きかスキヤキぐらいしか作れないな。
しかし中には「トマホーク」とか「クラスター爆弾」が頭上から降って、 それを必死に避けていた国もあるんだけどね...
「賭けという言葉は使っているが、勝者が昼食をおごるという慣例の延長線上の話。問題はない」との素晴らしい法律認識と開き直り。 いや〜、自然に囲まれ土地も広く、のんびりしていている所ですと「賭博罪」なんて事は誰も気にしないんでしょう。(笑)
それから無料でインターネットが使えるタイム24ビルや東京都青少年センターに合計3回も寄って、調査の仕事も少しした。 仕事でトラブっているとはいえ、今日は休みなのに...
アトリウムコンサートは良かったですね。 ミヨーのスカラムーシュは、曲があんまり・・・って感じでしたが、ルトスワフスキーのパガニーニの主題による変奏曲は、前衛的な感じもして気に入りました。
昼間食事をした太陽樓も平日で空いていて良かったです。 美味しかったし、海は見えるし。 でも「60品目のメニューが揃った和・洋・中のバイキング」とあるけど、 60品目というのはディナータイムの話ではないか、と思う。 どのみち、それほど食べられませんが。 値段は1時間で、消費税も含めると998円です。
お台場海浜公園では海水の浄化実験の工事をしていました。 今日の台場海浜公園は平日の割りに会社を休んでお台場でくつろいでいる人が結構多い(私もそうだけど)というのと、修学旅行生が沢山いたのが特徴だったかな。 何よりも、パレットタウン前はポピーが満開なのが良かった。
スポーツオーソリティーでアウトドア用品を見て早めに帰宅し、食糧を買って風邪でダウンした知人宅に持参。 私は自分用に砂糖と小麦粉を買いました。 夕食は焼きそばを作って食べた。
凄いな。 渡辺正・東大生産技術研究所教授は
イッキ食いでもしない限り、急性毒性で死ぬことはない。サルのデータなら七万年分だと言っている。
1968年に起きた カネミ油症事件 では、PCBが混入した米ぬか油を食べた両親から生まれた子供にも被害が出たんだが・・・ その主な原因がPCBに含まれていた不純物のポリ塩化ジベンゾフラン(ダイオキシンの一種)だったのだが。
ならば是非、渡辺正教授にはPCBが混入した米ぬか油をイッキ飲みしてもらいたい物だ。 (今から父親になる年齢じゃないから関係無いのかな)
赤レンガ倉庫に行く。 開業当初の殺人的な混み具合も一段落付き、 何とか中が見れるようになったのは喜ばしい。 ここの夜景は、友人からの推薦通り、良かった。 大桟橋の灯や波間の海のきらめき、みなとみらい地区のライトなどがみんな見える。
横浜ワールドポーターズ まで行くとさすがに足が疲れて来た。 ここの VIVRE でトムヤンクン味のカップラーメンと、 伝説的なまずさを誇るルートビールを120円で各3つ購入。 また、横浜の土産を買った。 荷物があるので帰りはさすがに汽車道で近道して桜木町駅に戻った。
家で肉抜きの焼きそばを作って食べた。 キムチ味のカップ麺の残りのスープは冷凍し、これは後日キムチ鍋に再利用するか。
みなとみらい ネット・ギャラリーに行く。 夕方は混んでいるらしく、5分程待った。 ここは身分証の提示に加えて IEの「戻る」アイコンを無効にしていたり、 OSも「スタート」メニューも無いなど制約がキツい。 コピーペーストも出来ないようにしてあった。 おかげでネットで見掛けた緊急連絡を要するニュースも、 結局は自宅から会社にメールした。 (急を要するニュースがあると出先で調べられただけでもありがたいが) なとみらい ネット・ギャラリーで「仕事」をするのは、ちょっと慣れやコツが必要だろう。 ここはセキュリティーはしっかりしていると思う。
L.L.Beanの横浜店に行ったが、 アウトドア商品はほとんど無く、ウエアばっかりという印象。 ジャックモールのスポーツオーソリティに行く。 アウトドアのリクライニングチェアーなどを見る。 悪くは無いが、買って帰るのは無理ですね。 新しくできた「アルカエフ」という店(ショッピングモール)に行く。 ここの D.I.Y. の店は大きい。
どうしようかとも思ったが、明夜は天気が崩れそうなので、 野毛山公園に行く。 ここの展望台から夜景を見た。 辺りは人が居ないので、女性だけ、とかいうのはちょっと危ないな、という印象を受けた。 肝心の夜景だが・・・まあ、「穴場」と言うのに相応しい。 つまり、あまり大した事は無く、訪れる人もほとんど居ないという事。
腹が減ったので吉野屋にでも行こうかと思ったが、 桜木町には見当たらないようだ。 まあいいか。 家に帰ってパエーリャを作って食べた。
ある日郵便受けに「御近隣の皆様へ」という書類がポストに入っていた。 「何だ、こりゃ?」と思って中を見た。 「東隣りに家が建って朝日が当たらなくなるのか!」とびっくりし、 慌てて図書館やインターネットで泥縄的に調べてみた。 図書館では訴訟や裁判、建築に関わる法律や判例に関する本を借りて必死で連日朝3時頃まで読んだ。
私は借家人なので直接は関係ないと言えばそれまでであるが、将来に自分が同様の立場になった時の社会勉強のつもりで関心を持った。 「こういう場合、泣き寝入りするしかないのだろうか」という事と、自分は実質4階建ての家を建てて良好な日差しを楽しむために、以前から住んでいる住民は日陰になって泣け、という精神態度は人間として許し難いと思った。
聞いた所では、かつて私の親族にこういった面倒事になると決まって逃げてしまう人が居たとの事。 随分昔の事なので話が正確かどうかは不明であるが、 道路を建設するので土地を収用したいとの話し合いにも当日逃げ隠れてしまい、 事情のわからぬ家人が代わりに対応する羽目となり、 結局相当の面積の土地を一切の補償も無しに供出させられてしまったとの事。
戦後に都内の土地の値段は上がり続けたので、 もしかしたら私はゆくゆくは農地の跡取り息子になって、 農地は宅地にして大資産家の御曹司になっていたかもしれない(笑)別にクレーマーになろうというつもりは無い。 (そもそも英語では「文句を言う」は complaint である)しかし、
と思った。
話はだいたい予想した通りだったが、特に笑えたのは
それにしても、普段は使わずに客人が来た時に泊めさせるだけに使うというゲストルームまで作る程に資産のある◯×家が、 日陰になって迷惑をかける近隣住民にビタ一文払えないというのはおかしいと思う。 そんなにお金が無いなら、実質4階建ての家などは建てず平屋の家でも建築すればいい筈だという事になる。 結局、◯×家、あるいは、建設業者は自分の事しか考えていない事になる。 そうであれば、こちらも少しは自分の事を考えて要求すべき事は要求してもいいのではないかと思った。
まずは建築の設計変更をお願いするのが先だと思ったので、 金銭補償はあまり口にしなかった。「金さえ払えば片が付く」と思われては損だ。 私自身は仕事があるので金をせびらなくても生きていける。 もちろん私とて、朝日が当たらなくなるとか、一年も工事でトンチンカンやられるのは全然嬉しくは無いので、設計変更はあくまで拒否するが代わりに色々迷惑をかけるのでその補償に金一封をお受け取り下さいというなら、何ももらえないよりもらった方がまだマシではあるが。
行政法上は違法でないのに日照阻害により工事差し止めが認められた例として、自由国民社「新築・増改築・修繕の法律と手続き」の43ページに
そこで私が住民説明会で、小さいお子さんが日の当たらない環境でずっと生活しなければならないのはあまりに気の毒だという話をした工事の仮差し止めを求める事も可能であるが、多額の保証金を積む必要があるし、訴訟をしても行政法上はギリギリ合法なので勝訴する可能性は低いと思った。
行政法上は合法(違法建築ではない)だからといって、民事法的に、大家さんの所が日照を阻害される事で受ける被害に関して、◯×氏が何ら損害を賠償しなくていいという事にはならない。 大家も近隣に日陰を作っているのは事実であるが、既得権(以前から住んでいた住民の権利は後から来る住民が尊重すべき)があるので、例えば
前述した通り住民説明会では私から金銭的賠償を求めると混乱するのでそれはしなかったが、建築業者は黙っていればビタ一文払いそうも無いので、あれで「住民説明会は終わりました」という気ではないだろうとは思うが、念のため次回は何時なのか確認が必要かもしれない。
また「陳情はできる」という事で、そうなると、区は、金の事しか考えないプロの建築業者ではなく、建築主である◯×氏との話し合いになるようなので、(正確な所は区役所に確認しないといけないが)設計変更や日照阻害による賠償の交渉において、一般人の常識に基づく話ができるかもしれないと思った。(行政法上は適法なので、設計変更や工事差し止めの「命令」は出せないが、近隣住民の意向を受けて◯×氏が設計変更を建築業者に指示するのは一向に差し支え無い筈である)
大家さんには
向かう途中の東海道線の車内で、 喧嘩でも始まったのかと思うような怒鳴り声が響いてびっくりしたが、大声で携帯電話で債務の回収について知人と情報を交換しているだけだった。 不況のせいか、払うものを払わない相手にどう対処するのか、真剣勝負のようなやりとりだった。
横浜駅東口では子どもらが噴水で大はしゃぎ。 今どきこんなので喜ぶなんて珍しい。 さて、桜木町から歩いて入場無料の野毛山動物園に向かう。 歩けない距離ではないが、上り坂だし暑いし、野毛山公園や動物園内で相当に歩くのでバスで来た方がいいかもしれない。 園内は親子連れが多い。(子供の日なのだから当然という気もするが) まずはレッサーパンダ、ゾウ、キジの一種、フラミンゴ、ラクダ、アヒル、ペンギンなどを見た。ウサギやヒヨコ、ハムスターをだっこできるコーナーは、 動物園内に移ったようだ。(ガイドブックには野毛山公園の方にある事になっている) 今日は行列になっている。 ここはタダでのんびりできて楽しいが、バリアフリーにはなっていない。 野毛山公園は横浜市内が一望できる。夜景なんかも綺麗そうだ。
のんびりし過ぎて山手の洋館めぐりをする時間が無いので、 多分花は終っているだろうとおもいつつ横浜公園に向かう。 まず桜木町まで歩いて戻って関内で降り、桜木町方向に近い改札を出て駅前の100円ショップに行って、切れかかったベルトの替えを探したが100円の予算では気に入った物が無かった。吉野屋も今回はパス。
関内の駅前を、石川町方向に歩いて横浜公園に行く。 予想通り花の盛りは過ぎているが、 少しは遅咲きのチューリップもあった。 せっかくだから中華街を通って朝陽門をくぐって山下公園に向かう。 途中で明治屋があるが、さほど珍しいエスニック食品等は無い。 それにしてもしばらく横浜に来ていないせいか、 土地勘がにぶっているようだ。
山下公園の前では学生とおぼしき男性が観光人力車を引くアルバイトをやっているようだ。 赤い靴はいてた女の子が、外人の宣教師に引き取られた事などをかなり詳しく、 かつ正確に客に説明していた。
山下公園の中で外人が大道芸をやっていた。 火のついた棒をお手玉のように投げる程度の芸でずうずうしくもチップに紙幣を要求し出したのと、 今度はチェーンソーをバトンの様に投げる技をやると言って、失敗すると手がちぎれるとの事で、そういった危険でくだらないパーフォーマンスやら、もし失敗した時に血しぶきが飛ぶ悲惨な光景など見たくはなかったので、さっさと退散。
ふ〜む...赤い靴はいてた女の子の歌の詞では、横浜の港が歌われているのか...だから、その意味では赤い靴はいてた女の子のモニュメントが山下公園にあってもおかしくはないんだね。 でも、本当は岩崎きみちゃんは当時有効な治療法の無い結核にかかって回復せず、 宣教師夫妻がアメリカで治療を受けさせたいと願ってもメリケン波止場から長距離の船旅に出るだけの体力はもはやなかったんだよね。
赤い靴はいてた女の子のモニュメントは確か日本に4つある。 横浜のは一番最初の物で昭和54年に完成したから、まだ赤い靴はいてた女の子が誰だったのかが広く知られていない頃に建てられたわけか。 あとの3つのある場所は、生まれ故郷の静岡県清水市、 母と義父とで暮らしていた北海道、 そして岩崎きみちゃんが眠る東京都港区麻布。
歩き疲れたので山下公園から 100円バスに乗って横浜駅に戻る。 結局、今年の連休の行楽費は横浜フリー切符が550円、コーラ 500mL が 150円、後は 100円バスで、 しめて 800円か。やはり観光するからには頑張って早起きして、 山手の洋館めぐりもすれば切符がもっと有効に使えたのに。
家に帰って冷蔵庫の中に残っていたジャガイモとニンジンと食べ忘れて賞味期限が過ぎたソーセージでシチューを作って、パンをトーストして食べた。 モヤシとニラが余ってしまったので、レンジで加熱してラップして冷凍庫に入れた。 いつか味噌汁にでも入れよう。 最近は食材を無駄にする事も無くなった。