配布キットの将来

結論から言うと、「もしやれれば将来もやります。でも約束はできません」という事です。


去年の桜の頃には生きておられた知人が若くして相次いで亡なくなった。

「友らなき 桜の元に 集い来て 我、この花を あと幾度見る」

その後、ご家族の方から見せてもらいましたが、友人の歌の方が格段に優れていました。

あの人と 共に見たかった 今年の桜も

私に関しては、来年とか、2〜3年先に関しては大丈夫だと思うが、 私とて、2人よりも幾らか遅れて生まれただけの差しかないから、 いつか私の目がこの花を見なくなる日が来るんでしょう。 だから時間は大事に使わないといけないと思うようになった。

たかがメール

歳を取る日が来るなんて考え付かなかった幼い時なら 「将来、宇宙飛行士になりたい」という夢でも見られるが、 人生も折り返し点を過ぎると、そうも言っていられない。 のんびりペースで論文を書いていた人でも、提出期限が近付いてくると必死にならざるを得ない様に、刻々過ぎて行く人生の残りの時間の中で何が成し遂げられるかを考えるようになった。 年齢と共に、頑張ればかなえる事ができる夢や希望さえも限定されてくる。 それで、限られた余暇時間の使い方に優先順位をつけないといけないと思うようになった。 それで、あまりにも多くの時間を、 自分で Mew をインストールできない人のために、ボランティア的に パッケージ作成をしたり、サポートの仕事をするために割くわけにはいかないと思う。そういう贅沢な時間の使い方をするのが困難になってきている。 私にも、生活があるのだから。

もちろん、無償で素晴らしいソフトウェアを開発してくださる方々は、 価値のある、素晴らしい事をなさっていると思います。 それらの方々をけなすつもりは全くありません。 発達しつつあるネットワークの技術の先端を行くというのは、 大変興味深い研究分野です。 コンピューターが仕事の人、 またコンピューターを学んでいる学生さんは、是非頑張って立派な仕事、あるいは研究をしてくださればと思います。

私はコンピューターは好きなだけです。仕事ではありません。 また、苦労して配布キットを作って、何度もテストしてリリースしても、 半年〜1年で古くさいバージョンになってしまうのだと、 あらかじめ判っているわけです。 それで、私の生活と比較すれば、 配布パッケージを作ってサポートするというボランティア仕事が占めるにふさわしい割合はおのずと限度があるという意味において、 あえて「たかがメール」と正直な心を書かせていただきました。

ユーザー層の問題

それで、私が、誰にも頼まれもしないのにサポートを買って出る必要があるだろうか?、 代わりに、他のメーラーではどうしても Mew の代替として駄目なのか?、を考えてみました。 こう考えると、Mew は Windows で日頃ビジネスアプリなどを使ってOA業務をこなす人でメールも沢山書く必要がある人や、 趣味でPCを使う人で PC-UNIX には手を出さないがメールは沢山書く人などに限定すれば他のメーラーでは置き換え不可能な需要があるという事になります。 ですから、メジャーなメーラーにはなれなくても、 一定のシェアは取れるかもしれません。 よって、「それなりにやる価値はある」という結論になりそうです。

いずれにせよ、私は少し前は 「パソコンなんかやってる場合じゃない」状況でした。 そんな時、睡眠時間や健康や生活を犠牲にしてでも 配布キットをバージョンアップしたり、 サポートしろと誰かから要求されても、丁重にお断わりする以外に無いですね。 私の人生はメールより大事だから。

今は、たまたまやれる状況だから、やっているだけです。 私は、できない約束はしない主義なので、 「将来もサポートします」とは言えません。 将来もサポートできるなら、そしてニーズがあって、 よりふさわしい後継者が誰もいなければ、相変わらず私がしているでしょう。

予告

言うことが矛盾もいい所ですが、 Mule2.3 でここまでやれるというバージョンを作っています。今のところ、 今、手を付けているのは です。それが一段落付いたら、 Meadow を採用したパッケージでも、、、

まあ、何も約束はできません。「やれたらいいな」と思っているだけです。